精神保健フォーラムに行ってきました
今日は、銀座で行われた『第5回精神保健フォーラム』(2日目)に参加してきました。
(詳しいプログラムなどはこちらをご覧下さい)
基本テーマは『脱施設化とノーマライゼーションの現実』です。
『脱施設化』と『ノーマライゼーション』。
この2つの福祉用語、分かりますか?
『ノーマライゼーション』とは、障がいのある人がふつうに暮らせないような世の中はまちがっている世の中だから、その世の中を直す(ノーマルに直す)ということです。
障がいのある人を変えるのではなく、社会をもっとノーマルに変えることがノーマライゼーションです。
そして『脱施設化』。
これからは全ての障がいについて『施設解体』『脱施設』そして『地域での暮らしへ』です。
障がいのある方々を生まれた場所や育った場所からひきはがして病院の中や入所施設の中に閉じ込めておくような暮らしは、もう終わりだ!
- 入所施設は全て無くす=施設解体
- 施設に入っている人々を地域に戻していく=脱施設
(2つの意味はかなり違いますよね)
という意味です。
今日の基本テーマは、どちらもフジノからしたら「もうとっくに達成されていなければならない当たり前の考え方」なのですね。
絶対に、この流れは変えられません。
福祉の変化は遅くとも絶対にあきらめない
福祉の変化は本当に遅くて悲しくなります。
地域で当たり前に暮らしていくなんて、僕が精神保健福祉の道に入ることを決心した14年前にすでに岩波新書で書いてありました。
だけど現実は一体何だろう。涙が出てくる。
いまだに達成されていない。
僕は14年前から信じて生きてきた。
それがこんなに時間が経っても変わらなかったのは、明らかに『政治の失敗』です。
僕らは1秒だって待てない。
家族は1秒だって待てないんだ。
悔しい。
その為ならおれは何だってやってやると思って、だから政治家になったのだ。
政治なら力がある。変えられる。
そう信じて、政治家になったのだ。
この遅すぎる福祉の変化を待ちきれない当事者と家族の為に、たとえ1年でも1ヶ月でも1日でも早くするのが僕の役目だ。
アサノ知事の講演!
今までの政治は遅くてたまらない!いいかげんにしろ!
という感じで、フジノはこれまでの政治が大キライです。
けれどもそんなフジノにも、たった1人だけ尊敬している政治家がいます。
それが宮城県のアサノ知事です。
彼が『知事』だから尊敬しているのではなくて、彼の『政策』が本当に素晴らしいからです。
アサノ知事のことを知ったのは10年前のことです。
詳しい経緯は以前に書いたのでそちらを読んで下さい。
それが今ではお互いのHPにリンクをはってもらえるまでになったのですから感動です。すごくうれしいです。
実はそのアサノ知事が今日、このフォーラムに招待されていて講演を行なうのです。
講演のテーマは、アサノ知事が今年2004年2月に発表した『みやぎ知的障害者施設解体宣言』についてです。
そこでフジノは飛んでいきました。
みやぎ知的障害者施設解体宣言!
講演は素晴らしかったです。
アサノ知事は、言いました。
知事には任期があるから、必ず私はいなくなる時が来る。
たとえ知事が変わろうとも、私がいなくなろうとも、もう地域福祉への流れは絶対に止めさせないという宣言なんだ」
他にも、実践に裏づけられた素晴らしい言葉がたくさんありました。
フジノが本気で感動していると、アサノさんはユーモアで笑いをとろうとする(苦笑)。
でも、どれだけユーモアで包んでも情熱は隠しきれない。
アサノさんは、本物だ。
こうして、1時間ぴったり(ほんとにぴったり)でアサノ知事は講演を終えたのでした。
アサノ知事にどうしても伝えたいことがあって
今日のフジノには、講演を聞くだけではなくてどうしても、もう1つやらねばならないことがありました。
アサノ知事にお会いして、伝えたいことがあったのです。
もちろんメールだってかまわないのですが、直接にお伝えしたいことがあったのです。
でも、いつもながら、アポなし...。
フジノはこれまでも何度もアポ無しで憧れの人を直撃してお会いしていただいてきました (竹中ナミねぇ、大熊一夫さん、べてるの家の方々、などなど)。
だから、今日も気合で挑戦です。
講演が終わると同時にダメもとでフォーラム事務局の方々をつかまえて
「知事の控え室はどちらですか?」
と尋ねまくりました。
「関係者の方ですか?」
と逆に聞かれて
「いいえ、違います。でも、どうしてもお会いしたいんです」
と、必死に想いを伝えました。
一生懸命事情を話して、ついに秘書の方に取り次いでいただきました!
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やがて、数分して、アサノ知事の控え室に通してもらえることになりました。
やっぱり今までの『私人』へのアポ無し突撃とは全く違いました。
『改革派知事』の中でも『総理大臣になってほしい人1位』に選ばれるくらいの要人中の要人であって公人ですものね。
何人もの方に囲まれてアサノ知事がいらっしゃいました。
実物、アサノ知事
緊張した...。
手がガクガク震えました。
でも、伝えなければならないことをきちんと伝えることができました。
そしたら、逆に宿題も出されてしまいました。
がんばります。必ずやります。
ちなみに、9年前に買った『アサノ課長が知事になれた理由』という本(僕の福祉バイブルの1つです)にサインしてもらいました!
実は前回(昨年2003年)に初めてお会いした時には、この本を持ってこなかったのです(涙)。
(本書は今、絶版になってしまっているのですが、出版元の岩波書店のHPを見たら表紙の写真まで無いじゃん。ひどいなあ~。フジノが9年前に買って持ってるヤツを写真とって載せておきます。こんな本だったんですよ。)
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伝えるべきことを伝えたら(仕事を終えたら)あとはもう9年間も憧れた人。
生き方にまで影響を与えられた人だから、握手までしてもらってしまいました(笑)
アサノ知事、お忙しい中、本当にありがとうございました。
アサノ知事が引退しなければならない日が来たとしても、あなたの遺伝子は僕のようにたくさんの人に引き継がれてるはず。
福祉は絶対に後退させませんから。
アサノ知事、またお会いしましょう!
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また、精神保健従事者団体懇談会の関係者のみなさま、今日は本当にありがとうございました。
『精神保健フォーラム』、すごく勉強になりました。
もっと報告しなくちゃならないことはたくさんあるのですけれども、今日はヘトヘトです。
昨日の特例子会社への見学も、今日の夕方に会ってもらったフリーペーパーを作ってる方の紹介も少しずつ公開していきます。
今日も1日、みなさまおつかれさまでした。
宣言の全文をご紹介します
最後に、アサノ知事がみずから全て書いたこの文章を載せて終わりにします。
みやぎ知的障害者施設解体宣言
宮城県内にある知的障害者の入所施設を解体して、知的障害者が地域の中で生活できるための条件を整備することを宮城県の障害者施策の方向とすることを、ここに宣言する。
宮城県福祉事業団は、平成14年11月23日、船形コロニーを2010年までに解体し、入所者全員を地域生活に移行させるという、『施設解体みやぎ宣言』を発した。
宣言を発するに至った背景としては、知的障害者本人の希望と関わりなく、施設入所を当然のこととしてきたのではないかという疑問があった。施設運営に関わる職員としては、自分たちの仕事の意義に対する、真剣な反省である。
この疑問、反省は、船形コロニーだけにあてはまるものではない。
船形コロニーは知的障害者の中でも、特に重度の障害を持つ人たちを処遇する場として特別に設置されたものであるから、地域生活への移行を言うならば、県内の入所施設の中では、順番としては一番最後になってもおかしくない位置付けである。
にもかかわらず、施設解体宣言を発したということの重みを、十分に考える必要がある。
知的障害を持った人たちの幸福を実現することこそが、障害福祉の仕事の目的であるという原点に戻って考えたい。地域の中にこそ普通の生活がある。適切な支援措置さえあれば、重度の障害を持った人たちであっても地域での生活を送ることができること、そして、それが知的障害者の生活を豊かなものにすることは、これまでの多くの実践の中で実証されている。
船形コロニーの解体宣言から1年余経った今こそ、宮城県全体として、船形コロニー解体宣言の普遍化をなすべき時である。
つまり、知的障害者の入所施設を解体し、入所者の地域生活への移行を図ることを、宮城県全体の障害福祉の方向として、明確に示す必要がある。
それが、今、このような宣言を発する理由である。
宣言の背景には、これまでの障害福祉施策への真剣な反省がある。
知的障害者への各種の施策が量的にも、質的にも貧しかった頃、知的障害者施策の中心は、施設入所であった。
「親亡き後」の知的障害者の生活をどうやって保証し、年老いていく親に安心感を与えるかが大きな関心事であったとも言える。
施設入所は、こういった環境の下で、頼りになる施策に思えたのは、ある意味で当然である。
入所施設での処遇に比べれば、地域生活支援施策は、歴史的にも浅いものであり、目に見えるインパクトとしても施設のように目立たない。
一握りの先進的な取組みとして存在し、特に、親達から見えないし、見えたとしても頼りにならないものと認識されていた時代が長く続いている。
一方において、入所施設は、多くの職員と関係者を抱える確固たる存在として、永久に存続するものとして受け止められている。
「解体」という発想は、普通は出てくるものではない。
そういった状況の中で、知的障害者本人の幸せとは何かが真剣に問われることがないままに、障害福祉の仕事は成り立っていた。
「あなたは、どこに住みたいのか」、「あなたは、誰と暮らしたいのか」、「そもそも、あなたは、何をしたいのか」という問い自体が発せられないまま、入所施設に入っているのが一番幸せと、外部から決めつけられる存在としての知的障害者という図式である。
障害福祉の仕事は、知的障害者の幸せを最大にすることを目的とするという見地からは、障害者に対して、まず、この問いが発せられなければならない。そして、その答を模索することが求められる。
知的に障害を持っていることによって、特別なニーズが生じる。特別なニーズがあったとしても、知的障害者が普通の生活を送ることを断念する理由にはならない。
障害福祉の仕事は、その特別なニーズにどう応えていくかということである。
普通の生活は施設の中にはない。
地域にしかない。
であるとすれば、地域の中で、知的障害ゆえに発生する特別なニーズに応えていくことこそが、障害福祉の仕事である。
グループホームがある。日常生活の援助がある。金銭管理、人権擁護、就労の確保などなど、やるべきことはたくさんある。
宮城県での知的障害者への福祉が目指すべきは、この方向である。
「施設解体」を宣言しても、解体することに目的があるのではない。
あくまでも、知的障害を持った人たちが、普通の生活を送れるような条件整備をすることに主眼がある。
そのような条件整備がなされれば、入所施設は不要になる、つまり解体できるということになる。
宮城県の障害福祉のありようとして、こういった方向に進んでいくことを少しでも早めるように各種施策を準備するという宣言でもある。
宮城県内の知的障害者の入所施設を、即刻解体すべしと言おうとしているのではない。
時間はかかっても、目指すべきは施設解体、まずは、それが可能になるための、地域生活支援の施策の充実である。
県内のそれぞれの入所施設において、このことを念頭に置いて仕事をするのと、全く考えずに日々を過ごすのとでは、大きな違いが出てくる。
それぞれの施設において、解体が可能になるまでにやるべきことは何か、何が障害になるのか、障害をなくすための方策、こういったことを現場の職員を交えて真剣に討議し、行動することが求められる。
繰り返して言う。
障害福祉の目的は、障害者が普通の生活を送れるようにすることである。
そのために、今、それぞれの立場で何をなすべきか。
たどり着くべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向は間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。
たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。
同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。
平成16年2月21日
宮城県知事 浅野 史郎
繰り返して言う。
障がい福祉の目的は、障がいのある方々がふつうの暮らしを送れるようにすることである。
その為に、今、それぞれの立場で何をなすべきか。
たどりつくべき島影をしっかりと視野に入れて、船の進むべき方向を間違わないように荒波を乗り越えつつ進んでいかなければならない。
たとえ時間はかかっても、必ず目指す島に到達することはできると信じている。
同じ船に一緒に乗り込んで欲しい。
僕は大声で応えたい。
「アサノ知事、もちろん!」
後日談:あるお願いについて
この記事で記した『あるお願い』ですが、実は願いが叶い実現しました。
こちらをご覧下さい。