福光洋一さんの『くらしの相談センター』へ
今日は、衣笠にある『くらしの相談センター』を訪れました。
このセンターをたったお1人で運営されている、福光洋一さんにお会いするためです。
このセンターは、先日テレビのドキュメンタリーでも放映されて知っている方もすごく多いと思います。
どんな相談にも『無料』でのってくださる、ものすごく素晴らしい方です。
こんな方が同じまちに存在していることは「奇跡だ」と僕は思います。
遅まきながら僕もまたこの番組を観て、福光洋一さんという存在を知りました。
番組を観終えて涙がたくさん出て、
「ああ、この方のやっていることは僕のやりたいことを究極までつきつめたものだ」
と感じました。
『センター』という名前ではあるものの、あくまでもわずか数畳くらいしかない部屋です。
そこにテーブルとイスがあって、24時間そこで福光さんは寝泊りしながらたくさんの方々の相談をうけていらっしゃるのです。
75才の福光さんは、退職されてから14年間、たくさんの方々を助けてこられました。
その生き方を知って、僕は僕のめざしているものを突き詰めた姿を見た気がして、「こういう生き方がしたいんだ」と自分のことを再確認しながらも、同時に、ものすごく恐ろしい気持ちになりました。
本気で「弟子入り」をお願いしました
ものすごく運が良かったのですが、長年にわたって福光洋一さんと交流のある方と出会いました。
そこでその方にあいだに入って頂いて、福光さんの忙しいスケジュールをやりくりして頂いて、やっと今日お会いすることができました。
福光さんは今日も朝7時半から相談にのっていらっしゃいました。
僕は10時から11時半までお時間をいただいたのですが、その間も電話がかかってきたり人が訪れてきたり。
本当にたくさんの方が福光さんの存在を必要としていることが、わずか1時間半の滞在でも十二分に分かりました。
僕がお会いした目的は、本音で書きますが
「弟子入りさせてください」
とお願いしに行ったのです。
朝から夜中までぶっとおしで、福光さんのスケジュールは完全に埋まっています。
毎月100件以上の相談に福光さんは支えになって下さっています。
けれども、もしも福光さんがいなくなってしまったら...。
「これだけ多くの『福光さんを必要としている人々』が行き先を失ってしまうのは絶対に避けたい」
と僕は考えました。
「彼の遺伝子・たましいを受け継ぐ人材を育てなければならない」
と(生意気ですが)僕は考えました。
それならば、まず僕自身がそうなろう、僕自身がそうなるべきなのだ、と思いました。
僕でも、僕じゃなくても、誰でもいいんです。
こういう大切な『よろず相談所』をこのまちにたくさんたくさん存在させたいのです。
本当は行政がそうなれれば1番いい。
けれども、行政(市役所)でさえ、福光さんに相談をまわしているのが現実の状況です。
そこで、弟子入りをお願いしに行ったのです。
弟子入りは断られてしまいました
「きみはまじめすぎるからなあ(笑)」
あっさりと弟子入りの話は断れらてしまいました。
「週1日だけでも、福光さんのそばについて学びたいんです」
そうお願いしたのですが、やんわりと笑顔で諭されてしまいました。
「市議会議員には、市議会議員にしかできない仕事がある。きみにはそれをやってほしい」と。
そして、これまでの相談体験を1時間半、語ってくれました。
笑いが絶えない、楽しい時間を過ごさせていただきました。
やがて、別の相談者の方が訪れて僕たちは帰りました。
ソーシャルワークを徹底してやり続けて、いつか福光さんの弟子になります
断られても、僕はめげていません。
いきなり今日会っただけの人間を弟子にするような人なんて、いないはずです。
正直なところ、昨日から緊張してしまって、話したいことの10個のうち1個くらいしか話せませんでしたし、僕のことを全然伝えきることができませんでした。
確かに『政治家にしかできないこと』を政治家フジノとして僕がやらなければならないことも、十分に僕は理解しています。
でも、その前に『人間として僕がやらなければならないこと』があるのを
僕は僕としてやらなければならないのです。
めげずに、邪魔にならないように時々顔を出させていただいて、福光さんのすごさを吸収させていただきたいと思いました。
相談者として生きることの重みと苦しみと
そんなことを書いておきながら、全く逆のことを書きます。
『相談を受ける者』として生きていくのは本当につらいし、覚悟がいるし、精神的にも肉体的に苦しみます。
今日、数ヶ月にわたって相談にのってきた方が、なんとかましな結末を迎えることができて、フジノはふらふらです。
もちろん相談してくださっている方こそが最も苦しくてつらくて大変なんです。
僕なんかどうでもいい。
だから、相談にのっている時はガンガンいけるのです。
でも、無事解決というかハッピーエンドであっても、それがひと段落つくと、気づいていなかった疲れが出てきます。
今日はもう立ち上がれないくらいに、言葉のあやでなく本当に立ち上がれないくらいに疲労感で動けなくなってしまいました。
畳の上でスーツのまま数時間ぶったおれて、やっと今、何とかパソコンの前に座っています。
フジノは「改革者」ではなくて、社会福祉を実践したいだけなのです
まちかどで演説をしていて話しかけられたりする時、多くの方々が
「政治家フジノは『改革者』として在ってほしい」
というイメージを持っているのをつくづく感じます。
若き政治家として、リーダーシップを取っていくことを期待されているのもよく感じます。
けれども、僕自身の中には、『そういう自分』を全くイメージできません。
繰り返しずうっと「市長選挙には出ません」と語ってきたのも決して謙遜でも何でもなく、それは僕自身の『在りたい姿』では無いからなのです。
苦しくても苦しくても他人の相談に少しでも乗りたいと願うのは何故なのだろう、と自問自答した頃もありました。
でも、また疲れが癒えると立ち上がって、少しでも他人の力になれたらと本能のように願うのは、僕が「そう在りたいから」だと今はハッキリと分かります。
僕はそういう人間で在りたいのです。
人の生き死にに少しでもかかわることの重みと覚悟。
それはたぶん相談を受けたことのない方には絶対に理解できない、自分の全存在をかけた時間を過ごすことです。
時に苦しくて吐き気さえしてくることもありますが、でも、それが自分の生き方なのだと思います。