このまちの若き芸術家の才能を愛して
今日、有楽町へ行きました。
友達の展覧会を観るためです。
僕の友達(ジョンさん&TSUYOSHIくん)は、砂浜にたどりついた流木をつかって『オブジェ』を作っています。
どこか遠くの森から川に落ちた樹木の枝が、ゆっくりと時間をかけて海へと流れて
川の流れと波に運ばれて、石や岩にぶつかったりしながら
自然によって形をつけられて、やがて砂浜へたどりつきます。
彼はその流木たちを組み合わせて、こころの中の想いを形にします。
僕はこの夏に初めて彼のオブジェを見て感動して
「展覧会をやる時にはぜひ呼んで下さい」
とお願いしました。
その展覧会に今日行ってきたのです。
彼の作品は、どれも本当に素晴らしかったです。
「フジノは美術ギライだ」という大ウソ
昨年、選挙に立候補するにあたって、フジノは公約を掲げました。
そのためには税金の無駄づかいは絶対にさせない。
こんな不況の時代だから、「あれも欲しい」「これも欲しい」なんて政治家は非現実的です。
何かを実現するためには、何かを捨てなければならないのです。
政策に厳しく優先順位をつけて。
フジノは「ハコモノ行政を徹底的にカットすべきだ」と訴えました。
「カットしたハコモノを福祉の財源を福祉にあてる」
と主張しました。
そして、4位で当選しました。
フジノは公約を守って、美術館をはじめとするあらゆるハコモノ建設に反対しました。
「今このまちに美術館はいらない」
という主張にはたくさんの美術愛好家が賛成してくれました。
フジノは自分の政策に強い自信を持ってきました。
何故なら、今までずっと僕は日常的に美術を深く愛する方々と交流してきたからです。
その方々でさえ、美術館建設に税金が使われることを拒みました。
僕は彫刻を観るのが大好きで、大学時代には奈良の古寺を歩いてまわりました。
高村光雲の作品を観る為に上野にも何度も足を運びました。
カフェを訪れるのが好きなのも、このまちの多くのカフェにはこのまちの芸術家の絵画が飾られているからです。
けれども、美術館推進派は
「フジノは美術がキライなのだ」
と、レッテルを貼りつけ、多くの人々がそれを信じ込みました。
だから、多くの市議、多くの市職員たちと語ると、ほとんどの人たちが「フジノ=美術ギライ」だと思い込んでいます。
フジノはあえて否定するのもバカバカしく、
『このまちの将来や財政を考えれば、美術愛好家であっても美術館建設に反対するという事実』をいつもこころに自信を持ってきました。
このHPでも、何度も何度もこのまちの若きアーティストたちを応援してきました。
ダンサー。演奏家。芸術家。俳優。小説家。
彼ら/彼女らは、ハコモノが無くても、内側から沸き起こる想いにかられて、踊り、歌い、楽器を奏で、絵を描き、彫刻をし、演じ、書いたのです。
これまで反論してきませんでしたが、1度だけ、あえて反論します。
個人としてのフジノが美術を愛していても、政治家であれば、このまちの将来を考えれば美術館建設に反対するのは当然のことだ!
「美術館を作れば芸術家が育つ」なんて単純に考えているのは、逆に美術を何も理解していない人々の浅はかな考えでしかない。
ハコモノと芸術家には何もカンケーが無い。
僕のことを「芸術が嫌いだから反対している」だとか、いつまでもレッテルを貼ってればいい。
けれども、誰が『赤字』の責任を取るのか。
いったい、誰が『借金』の責任を取るのか。
誰も責任を取らない、そんないいかげんな大人を見て育っていく子どもたちはモラルハザードをきたすのは当然だ。
大切な人
...話を展覧会に戻します。
実は、昨日、展覧会に窪塚洋介くんが来ました。
足は引きずっていたけど、ばっちり自分の足で歩いてたそうです。
展覧会にオブジェを出品した僕の友達は、窪塚くんの友達なのです。
僕は元映画会社の人間だから、俳優のプライベートは本当にそっとしておいてあげたい。
だけど、このHPを観ている僕の仲間たちは、窪塚洋介くんのことを深く愛している人々が多いので、あえてルール違反を承知で報告します。
彼はもう大丈夫です。
6月のあの日だって彼の無事をずっと信じていましたが、もう本当に大丈夫だと思います。
まるでシンクロニシティのように、明日13日の夕方4時からTBSで窪塚くんのドキュメンタリー番組が放送されます。
窪塚くんは、このまちのヒーローであるだけでなく、僕たちの世代の、そして同じ想いを持った全ての仲間たちの『希望』です。
絶対に失いたくない、大切な存在です。
良かった。本当に良かった。
生き続けて...。ずっと生き続けて、元気でいてほしい。
展覧会も最高で、そして大切な人の元気なことも分かって、今日は本当に平和で幸せな1日でした。
ピース。