(前の記事から続いています)
性的マイノリティとは何か?
そもそも『性的マイノリティ』=『LGBT』とは何でしょうか?
すさまじく省略して書くと、こんな感じです。
Lは、レズビアン。
Gは、ゲイ。
Bは、バイセクシャル。
Tは、トランスジェンダー。
レズビアンの方々は、女性が好きな女性。
ゲイの方々は、男性が好きな男性。
バイセクシャルの方々は、男性も女性も好き。
トランスジェンダーの方々は、体の性別と自分が認識している性別が一致していない。
本当は『性的マイノリティ』=『LGBT』ではありません。
『LGBT』というのはわずか4つの在り方を省略した単語に過ぎません。
メディア向けに分かりやすく省略した単語だとフジノは受け止めています。
実際には、性的指向・性自認の在り方はもっと様々で人の数だけ多様なのですね。
もう1つ、『性的マイノリティ』という単語についてです。
『LGBT』を人数的な側面から見ると、『少数派』=『マイノリティ』とされています。
そこで『性的マイノリティ』と呼ばれています。
フジノはこの呼び方そのものが好きではありません。
では、「『マイノリティではない』=『マジョリティ』は何か?」というと
S、ストレート。異性が好き。
体の性別と自分の認識している性別が一致している。
という状態の人々ですね。
この状態の人々が今の社会では多数派なので(多数派だと考えられているので)、そうではない人々はかなり厳しい状況に追い込まれている訳です。
実際は「性的マイノリティ」ではなく「性的バラエティ(多様性)」です
フジノは『性的マイノリティ』という表現は事実を表していないし、キライです。
いわゆる性的マイノリティとされる方々は、世界の人口の3~10%以上存在していると推計されています。
10人に0.3~1人も存在している方々をマイノリティと呼ぶこと自体がおかしいです。
いろいろな在り方があってこその人間であり、様々でバラバラであってこそ社会が成り立っていくべきです。
ある方が言っていた
『性的マイノリティ』ではなくて『性的バラエティ(多様性)』なのだ
という言葉がフジノにはしっくり来ます。
そのような理由から、フジノはこの単語をつかいたくありません。
ただ、
「『いわゆる性的マイノリティという社会的な状態』に押し込められている人々だとフジノは考えています」
と毎回記すことは文字量が多くて読みづらいです。
加えて、とても悔しいのですが、世間的には『性的マイノリティ』という単語が普及しつつあります。
このホームページが検索でひっかかる為だけにこの単語をつかいます。
そこで妥協策として『いわゆる性的マイノリティとされる方々』と記します。
もっと良い表記法が見つかれば、すぐに直したいと思います。
性的マイノリティであることは何の問題も無い。では、何が問題なのか?
人はみんな大切な人と幸せに生きる権利と義務がある、とフジノは考えています。
でも、それが難しい状況に追い込まれている。
いや、それ以前に、生きていくことさえ難しくなってしまっている。
これが問題なんです。
例えば、去年2007年12月9日に報道された岡山大学大学院教授・中塚幹也教授の調査によると...
岡山大学病院を受診した全国661人に聞き取り調査
- 「自分の性に違和感を自覚したのは小学生時代」と回答した方がほとんど
- 回答者の4人に1人が不登校を経験
- 回答者の5人に1人が自傷行為・自殺未遂を経験
- 回答者の68%が自殺を考えた
この結果は、あってはならないと感じます。
この結果が意味していることは
小学校時代から違和感を抱いているのに、不登校や自傷・自殺未遂へと追い込まれたのは、彼ら/彼女らをサポートしてくれする人が存在しなかったからですよね?
何故たまたま『性的マイノリティ』に生まれただけでこんなにも長く苦しみ続けなければならないのかと言えば
それはこの国が『ふつう』であることしか許さない社会だからです。
でも、本当は『ふつう』なんて存在しません。
現実は、「1人1人みんなが違う、誰もが違う」ということです。
それなのに「みんな同じでなければダメ」みたいな圧力が、それを受け容れられない人々を排除していくのです。
『性的マイノリティ』だけじゃなくて、いつだってこの国はそうです。
例えば、結婚した女性の多くは
「おこさんはいつ?」
「こどもは作らないの?」
とか言われる。傷ついた方はたくさんいるはずです。
妊娠できない方々がものすごく多いのがこの国の現実なのです。
けれども「みんな同じでなければダメ」圧力は、そんな1人1人の事情を無視します。
『こどもを産む=良いこと』『こどもを産まない=悪いこと』という圧力をかけてきます。
そして、たくさんの人たちが苦しめられています。
では、誰が圧力をかけるのかというと『ふつう』の人々です。
本当は『ふつう』なんて存在しないのに、自分のことを『ふつう』だと信じている人々によってです。
「いろいろな在り方がある」ことを認めない態度が、たくさんの人々を死に追い込むほど苦しめているのです。
あまりにも厳しい現実があります
ちょっと脱線してしまいました。
話を『性的マイノリティ』に戻しますね。
去年2007年9月9日に朝日新聞で報じられた京都大学院医学研究科の日高庸晴客員研究員らが実施した調査によると...
ゲイ・バイセクシャルの男性5731人に対する調査結果
- 回答者の約半数が学校でいじめにあったと回答
- 回答者の3人に2人は自殺を考えたと回答
- 回答者の14%は自殺未遂の経験があると回答
あまりにも厳しい現実があります。
こんな現実は絶対に変えなければいけないですよね?
たまたま生まれたセクシュアリティが理由でこんな差別を受けて苦しまねばならないなんて、おかしいです。
僕たちは変わらなければいけない
こうしたデータとしてあらわれている実態だけでなく、『生の体験』としてあなたも記憶にありませんか?
「おかま」とか「ホモ」という言葉によるいじめ。
僕も学生時代、そういう言葉を平気で投げつけてきました(バカで無知でした。本当にごめんなさい)。
でも、そうした浅はかな言葉がたくさんの人を傷つけてさらには不登校や自傷行為や自殺にまで追い込んできたのです。
死ぬ必要の全く無い大切ないのちが『無理解』から失われていくとしたら、それは間違っています。
僕たちは、変わらなければいけません。
人はみんな違う。それが当たり前。
これまで僕たちは、学校の授業の中で『性的マイノリティ』についてきちんと正しい知識を習うことも無かった。
そして、もしも自分が『性的マイノリティ』だとしても誰にも相談できないし、どこにも相談できるところが無かった。
でも、今は明らかに時代は変わりつつあります。
変えていかねばなりません。
性別というものは、生まれた時の肉体の性別だけが全てではありません。
性的な在り方が様々なのは(例えば、ゲイであったり、レズビアンであったりするということは)特別なことでも何でも無いのです。
もしもこれを読んでいるあなたが
「そうはいっても気持ち悪い」
とか
「いや、理解できない」
と思うとしたら、まだあなたは現実を知らないだけなのです。
あなたが今そう思った気持ちやその感じ方だって、これまで僕たちが受けてきた教育によって作られているだけです。
『性的マイノリティ』という事実をこれからの教育の中できちんと教えていく。
あるいは、相談機関を作る、その存在を知ってもらう。
こうした活動によって、『性的マイノリティ』は『性的バラエティ』へと価値観は必ず変わっていくはずです。
僕たちは、変わらなければいけないのです。
性的マイノリティの方を求めています(再再掲)
フジノは『性的マイノリティ』の方を求めています。
これまでも当事者の方々からお話を伺ってきましたが、できることならばもっとたくさんの方々のお話を伺いたいのです。
今日のイベントのおかげで、インカレのサークルにお邪魔させてもらうお願いをしたり、機会は広がりそうな感じはあります。
カミングアウトをしていない方もたくさんいらっしゃるでしょうし、「お話を聞かせてください」とフジノが言ったからといって「じゃあ、話します」なんてカンタンにいかないのは分かっています。
昨日お会いした方も
「フジノさんにメールをしようとずっと思っていたけれど、タイミングが分からなかった」
とお話しされていました。
だから、あなたのタイミングで、もちろん匿名でOKで(カフェトークもいつも匿名でやってますし)
ぜひお話を聞かせてください。
よろしくお願いします!
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(次の記事に続きます)