還暦を迎えたアサノ知事をお祝いしました
『横須賀法人会』の主催による新春講演会として『地方活性化とこれからの福祉・医療・地方分権』のタイトルで講演が行なわれたのです。
しかし『浅野史郎さん』なんて書くとなんかフジノには違和感があるなあ~。
15年前(大学1年)からフジノはこころからリスペクトしている、元宮城県知事のアサノさんです。
アサノさんの横須賀での講演は2004年12月にお招きして以来3年2ヶ月ぶりです。
会場のセントラルホテルは満員でした。
横須賀法人会さん、貴重な機会をありがとうございます!
特に、事務局長の釜谷さん!ありがとうございました。
(アサノさんにとても気に入られてしまって「釜ちゃん」と呼ばれてました)
会場全体を駆けめぐる大活躍でしたね~。本当におつかれさまでした。
会場を大いに笑わせながら、民主主義の意味、情報公開の大切さ、政治家が生まれる時の『正当性』についてなどなどが語られました。
アサノさんの話術は見事なので会場は爆笑しながらお話を聴いていました。
1つずつのお話が本当は1時間くらいかけて語られるテーマをすさまじい勢いと笑いと共に語られてしまいました。
例えば、政治家が生まれる時の『正当性』の話なんて本当は涙なしには聴けないシリアスな話なのになぁ。
正当性、という言い方を今日はしていましたが、アサノ知事が誕生して以来『出生の秘密』という言い方でどんな時もアサノさんが常に忘れずに語り続けてきたことなのですね。
どうして政治家にならなければならなかったのか
という、立候補せざるをえなかった『原点』についてのお話です。
アサノさんの『原点』についてのお話をフジノは政治家になってから一瞬も忘れたことがありません。
僕にとっても、どんな時も常に戻るべき政治家フジノの原点です。
だから、というか、初めてアサノさんにお会いした方々の為にも、もっとじっくり1つのテーマだけでお話ししてほしかったです。
ちょびっと、もりだくさんすぎたかなぁ。
「こころの師匠」に対する、勝手な想い
実は、今日の講演会、行かないつもりだったんですよね...。
「横須賀に行くといつもフジノが出てくるんだよなあ」
って、アサノさんが思ったらイヤだなあと心配で行くのやめよう、と思ったのです。
(僕は尊敬する人や好きな人に対してはすごく小心者なのです)
でも、ある日、アサノさんと親しい大坂聖子さん(前・大磯町議会議員)からメールをいただいて
「横須賀での講演会の日、アサノさんは還暦の誕生日なんだよ~!お祝いしましょう!」
とお誘いをいただきました。
それはお祝いしなければ!
ということで、講演会に行って、誕生日をお祝いしようと決心しました。
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でも、政治家になってからあらゆる贈り物・プレゼント(身内への誕生日プレゼントさえ)をフジノは完全にやめてしまったので
いったい何をあげたら喜んでもらえるのか、けっこう考え込んでしまいました。
アサノさんはおしゃれだから、赤いチャンチャンコは着ないだろうし。
さんざん悩んだ結果、『プリザーブドフラワー』の真っ赤なバラを一輪、プレゼントすることにしました。
相手に喜ばれる為、というよりはフジノの願いを勝手にこめました。
プリザーブドフラワーは、ドライフラワーとは違って、枯れているわけではありません。
何年も何年も、美しく咲き続けた姿のままで存在します。
いつまでも枯れることなく、情熱の真っ赤なバラのように咲き続けてほしいなあという願いを(勝手に)こめました。
今日の講演の中で、アサノさんが候補者としてかつぎだされたこないだの東京都知事選挙について、少しだけ触れました。
本当に何気ない話を一瞬だけされたのですが、思わず僕は、あの選挙の最終日に引き戻されました。
あの夜、僕は雨の降る新宿駅東口にいました。
(翌日の読売新聞の一面に載ったアサノ候補を囲む大観衆を写した写真の中にフジノの姿が映ってました)
アサノさんの言葉に、こころの底から感動をしました。
その言葉にこころを揺り動かされて知らずのうちに涙が流れて、初めて「福祉を守りたい」と願った日の原点を想いました。
そして、政治家を辞める決意をしていた自分自身も改めてもう1度、闘う決心をしました。
だから今、僕は再び政治家になりました。
このまちの精神障がいのある方々の声と、追い込まれた末に亡くなっていった自死をされた方々の声と共に、アサノさんの存在こそが僕を政治に引き戻したのです。
僕の原点です。
だから、なんかうまく言えないのですが、もう1回、アサノさんの闘う姿が見たい、と感じました。
教授の仕事も素晴らしいし、コメンテーターの仕事もお見事ですし、アサノさんの才能は多彩だなあと感心するばかりです。
でも、でも、あえて。
もう1回、福祉を守る為に政治の世界で闘ってほしい。
そんなことを、勝手に弟子だと信じているフジノは『こころの師匠』の姿を見て、思ったのでした。
それは、あまりにも手本にできる政治家がいないからかもしれませんし、この国の福祉があまりにも追い込まれているからかもしれません。
いずれにしても、フジノは、
アサノさんのような方の存在が今こそ政治の場に必要なのに
と強く感じたのでした。