犯罪被害者支援の為に、もっとやるべきことがある
中学生たちの演劇発表会場を飛び出ると、大急ぎで昼ごはんを食べて、横浜・桜木町に向かいました。
ランドマークタワーの真正面にある『はまぎんホールヴィアマーレ』が会場です。
午後から、
に参加しました。
被害者支援に対して強い想いを持つ県のある職員さんから熱心にお誘いいただいてこともあって、喜んで参加させていただきました。
「犯罪被害にあった方々の支援はフジノの政策課題だ」と受け止めて、横須賀市議会でいろいろな提案をしてきました。
アメリカ軍の兵士が起こす犯罪の防止(加害の予防)だけでなく、全ての犯罪による被害にあった方々へのサポート(被害への支援)も、とても重要です。
ご遺族による基調講演「犯罪被害者等が望む支援」
まず、2人の方から基調講演が行なわれました。
最初に、練馬区での殺人事件の被害者のご遺族である糸賀美穂さんから『犯罪被害者等が望む支援』のテーマでお話がありました。
(ここから先は、フジノのメモを基に記したもので、聞き間違いや誤解や重要な情報が欠けている可能性があります。正確なものではなく、あくまでもフジノのメモとお考え下さい)
被害者は、私の息子で25才でした。
息子は、同い年の恋人に殺されてしまいました。
加害者は、極めて一方的な理由によって、息子を永遠に奪い去ってしまったのです。
もともと情緒不安定の女性でした。
息子が彼氏になった後も、平気で他の男性と浮気をしたり、というようなこともありました。
また、彼女は、自分の両親との関係が一方的に悪いと受け止めていました。
実際には彼女の両親は彼女が家出をするたびに毎回、一生懸命に彼女の行方を探してあげたりしていました。
後で供述を読んでしったのですが、彼女は、
「彼氏(息子さん)を殺してあげなければならない」
と自分勝手な思い込みで考えていました。
息子が殺されたことをテレビなどのニュースで観た友人から様々な電話やメールなど連絡がありましたが、事件当日も、お通夜もお葬式も、どのように終わったのか今も記憶がありません。
彼女は、計画性も殺意も容疑も全て認めた為か、刑事裁判は事件からわずか2ヵ月後に始まりました。
けれども2ヵ月後の頃は、まだ私は自分を責め続けていました。
骨壷を抱きながら、毎日謝り続けていました。
私たち被害者の家族の味方と信じていた検察とは話す機会も無いままに、裁判になりました。
「遺族は裁判のはじめに冒頭陳述ができるだけ」
と言われました。
彼女は、何故息子を殺したのか、真実を語ることも無く、息子に対しても私たちに対しても謝罪の言葉も無く、反省の言葉もありませんでした。
2回目の公判では、彼女の親(加害者の親)が陳述することになっていたのですが、当日になって拒否しました。
そこで、私も夫も、彼女の親が自分たちの娘がしたことをどのように考えているのか、謝罪の気持ちがあるのかどうかも、何も知ることができなくなってしまいました。
その日は、私の夫のみが意見陳述をしました。
涙でぐしゃぐしゃになりながらの陳述でした。
夫が陳述を終えた後に、
「加害者、何かありますか?」
と裁判長が彼女に問いました。
けれども、
「何もありません」
と彼女は言いました。
彼女の側の弁護士は、加害者の両親に対して、
「20才を超えた加害者に対して、保護者の責任は無いから接触すべきではない」
と指示を出していたようです。
法廷で会っても、お辞儀ひとつ無かったです。
これまで息子が生きている時には彼女のことで何度も相談にのったり、いずれ結婚するだろうと考えていたので、何度も一緒にお話した間柄だったのにあんまりだ、と感じ、とても悲しくなりました。
検察側は懲役13年を求刑しました。
しかし、自首であること、前科前歴が無いこと、25才という若年であること、反省していること(しかしこれは自分の両親への謝罪の言葉)、で減刑されてしまいました。
加害者には保護や人権が守られているにも関わらず、被害者には何の保護も無いことが分かりました。
被害にあった人は国や司法から守られているものと思っていました。
しかし現実には、自分の私利私欲の為に人の命を奪った犯罪者に対しても「心神喪失や責任能力が無い」などの理由によって、量刑が軽くなってしまうだけでした。
被害者の遺族は、なおさら傷つけられてきました。
また、これは同時に、加害者の為にも良いものなのでしょうか。
矯正教育が今、どのように行なわれているのかは分かりませんが、被害者のことを忘れることなく、罪を真正面から見つめることが必要だと思います。
加害者はもし生きて刑務所を出てきたならば、出所の日からが本当の罪滅ぼしの日々です。
2度と取り返すことのできない現実に苦しみながら生きていかなければならないからです。
1年ほどたって民事裁判を行いました。
けれども、相談にのってもらった弁護士さんから
「どうせ何も取れないのだから、請求額は5000万円にしてはいかがですか?」
と言われました。
「これは一体何の話をしているのだろうか」
と私は思いました。
民事裁判の準備を進めていくにつれて争点が無い裁判は刑務所の加害者に書類を送り、署名をして送り返すだけのものだと初めて知りました。
加害者の署名と言い分として
「私にはお金が無いので、出所したら少しずつ払う」
とだけ書いてありました。
加害者の親は、事件の後も、同じ住所でふつうに暮らしながらえていることに、怒りを覚えました。
相手の母親からは謝罪の言葉は無かった上に、お話をしたいと伝えた途端に、むしろ逆切れされてしまいました。
「あんたね、私たちだって大変なんだよ!」
「あなたの息子がつきあわなければ良かったんでしょ!」
と言われました。
殺された上に、なおもけなされる息子が不憫で不憫で、私はその夜、自殺未遂をしてしまいました。
「死にたい」
という気持ちよりも、
「死んだら息子のところに行くことができる。早く息子に会いたい」
という気持ちになりました。
ようやく今、私はそういう命を救わねばならないと思いました。
『被害者支援センター』からお手紙を何度かいただき、友人らの前では語ることができない想いを毎月1回話せるようになりました。
自助グループに参加するまでは
「こんなことに参加して、一体何の役に立つものか」
と疑問に思っていました。
けれども、センターのサポートや同じ苦しみを持つ方々と体験を話すことで、こころの傷が少しずつ小さくなりました。
その後、2006年犯罪被害者基本法、DV法、更生保護法、少年法の改正、刑事訴訟法も今年12月から刑事裁判の中で遺族も意見を言うことができるようになります。
けれども、これらの法改正も、法律に携わる人々の意識が変わらない限り、ただの飾りになってしまうおそれがあります。
警察や司法、地域の支援ネットの理解が必要です。
自殺予防や犯罪を防ぐ為にも被害者の家族は、なるべく早い段階から支援を受けられるように、自治体やカウンセリングとの連携の必要性=協力が本当に必要だと考えています。
県が条例を作ろうとしていることや取り組みを行なってくれていますが、取り組みの単位は県のように大きなものではなく、それぞれの市町村単位にしてほしいと望んでおります。
みなさまにはぜひ他人事とお考えにならないでいただけたらと思います。
(次の記事に続きます)