中央公園の平和モニュメントに
9月29日に行なわれる本会議で、市長への一般質問を行なうので徹夜で原稿を書いていました。
朝5時50分頃ようやく質問の構成が固まったので、ずっと缶詰めになっていた事務所を出ました。
向かった先は、横須賀中央公園です。
この公園のてっぺんには高さ20メートルの『平和モニュメント』があります。
これは、今から20年前に横須賀市が行なった『核兵器廃絶・平和都市宣言』を形として見える象徴にして残すことで
宣言をただの言葉だけではなく、永遠に実行していく為に作ったものです。
設置費用の一部は、市民の方々からの募金が集められました。
横須賀の先人たちが願いをこめて創ったこのモニュメントを見ることでフジノは
横須賀市民がいつの時代も平和を求めてきたことをこころに刻んでいます。
「このまちは米軍基地に経済を依存しているのに何が原子力空母反対だ」
とか
「親や家族が米軍基地で働いているから批判を口にすることはできない」
とか
「ドブ板通りをはじめとする横須賀の多くの飲食店はアメリカ兵によってたくさんの利益を受けている」
とか
「日米安全保障の為には米軍の存在が不可欠だ」
とか
そういう言葉を市民の方々が口にするのを聴くたびに、政治家がこのまちの新しいビジョンを示せていない責任を感じます。
市民の本音は、いつだって平和を求めてきた。
それはこのモニュメントを見るまでも無い、当たり前のことなのに。
このまちの市民の方々がハッキリとそう言えないのは、政治家がこのまちの希望に満ちた未来のビジョンを示せていないから。
我ながら、本当に情けなくて悔しい。
この後の原子力空母の横須賀入港を前に、この『平和モニュメント』の前に立って、改めてこの街・この国・この世界の平和を追求する努力を諦めないことを誓いました。
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ここからは横浜ランドマークタワーや対岸の千葉県まで東京湾全体を一望できるのですが
朝6時前と早朝にも関わらず、双眼鏡を手にした方々が
原子力空母ジョージ・ワシントンの入港を見ようと集まっていました。
集まっていた方々のお1人がフジノに気づいて挨拶して下さったので、
「まだ原子力空母の入港までもうしばらく時間がありますよ」
とお伝えすると、
「でも、家に居てもなんだか落ちつかないしねぇ」
とのことでした。
分かりますよ、その気持ち。
僕は今月に入ってからずうっとカレンダーを見るたびに吐き気がするくらいに気分が悪くなりました。
そうフジノが言うと
「今日を境に横須賀は変わってしまうね」
と、その方は海を見つめたのでした。
ついに入港した原子力空母。でも今から新たな闘いが始まる
市議会議員は全員、アメリカ軍から原子力空母の歓迎式典に招待されていましたが
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絶対にフジノはこんなものに出席する気にはなれません。
かわりにフジノが向かったのは平成町のうみかぜ公園です。
東京湾が真正面に見えるこの公園ではたくさんのデモ隊の方々が怒りのシュプレヒコールを行なっていました。

そんなフジノたちの前についに原子力空母が姿を現しました。

それでも、デモ隊の声が小さくなることはありませんでした。
当然です。
何故なら、僕たち市民の闘いは今この瞬間から再び新たに始まっただけのことなのです。
アメリカ政府や日本の政府がどれだけ身勝手で利己的で能無しであろうと
ふつうの市民の良心は、こんなものを誰も求めていないのです。
平和を求める横須賀市民は何度も立ち上がってきた
横須賀市民は過去から現在に至るまで何度も何度も闘っては時の権力に押しつぶされてきました。
けれども、そのたびに何度でも何度でも立ち上がってきたのです。
当然です。ふつうの良心を持っていれば、想いは変わるはずが無いのです。
2回目の住民投票条例案を市議会の多数派が否決した時、僕のこころは挫けそうになったかといえば
そんなことは全く無く、自分のこころを確かめてみれば
どれだけ何が起ころうとも、想いは変わりませんでした。
原子力空母はいらない。
こんなものをこどもや孫の世代に残す訳にはいかないのです。
今日の入港を境に、新たな闘いが始まったのです。
僕がわざわざ言うまでも無いけれどあえて書きます。
あきらめる必要はありません。
むしろ、これからが勝負です。
未来の世代に責任ある立場である僕たちは、現実を変える為に闘い続けるのです。
世界は必ず良い方向に変わるし、僕たち自身の力で必ず変えることができるのです。
だから、決してあきらめずに声をあげつづけていくんです。
このまちは絶対に負けないのだから。