「長崎放送」から取材を受けました
原子力空母が入港する前日の9月24日。
フジノは『NBC長崎放送』(TBS系列)の取材を受けていました。
初めて横須賀に来た方でもすぐ分かる横須賀中央駅前の岡田屋モアーズで記者の方と待ち合わせをしたのですが、すぐに場所を変えました。
フジノの複数の友人は被曝3世ということもあり、本当に幼い頃からヒロシマ・ナガサキには深い思い入れがありました。
その長崎からわざわざ取材に来て下さったのですから、政治家としてフジノが『横須賀で最も大切にしている場所』へとご案内することにしました。
原子力空母の母港化問題や『住民投票条例案』の採決の時などに悩んだり、迷った時に、いつも必ず足を運んできた大切な場所です。
『核兵器廃絶・非核都市宣言』を行なった横須賀市が、市民の募金と共に作った『平和のモニュメント』が設置されている横須賀中央公園です。
東京湾が一望できるこの場所に、翌日25日には原子力空母がやってくるのです。
「平和を守りたい」
と願う全ての横須賀市民の代表である政治家として
「インタビューを受けるには最もふさわしい場所だ」
と感じました。
その取材を受けた番組が今日、放送されました。
『報道センターNBC』の特集に出ました
番組のタイトルは、『報道センターNBC』です。
夕方18時台のニュースです。
特集『検証 原子力空母の安全性』として放送されました。
横須賀にも入港しているアメリカの原子力潜水艦ヒューストンは、2年間にわたって放射能漏れ事故を起こし続けてきました。
発見されたアメリカ政府の機密文書には「原子力潜水艦から放射能を排出する」と日本政府に伝えていました。
さらに1963年の日本・アメリカ両政府の間で交わされた覚書には「基準を下回っていれば放射能を含んだ冷却水を例外的に放出できる」とまで記されていました。
どちらも、絶対にあってはならないことです。
この機密文書の存在を知った佐世保市議会では激しく追及がなされました。
市議会で問われた市長も答弁はできず...。
外務省はいつものことながら、何も根拠を示さないまま。
さらに、「アメリカが安全だというから日本政府も安全だと信じる」という外交権を放棄した声明をいつもどおり発表しました。
そして、フジノの登場です。
わずか1日しか違わないのに、『9月24日のフジ』ノはそれでもこんなに平和な東京湾に原子力空母は来ないはずだとどこかで信じていたのでした。
アメリカの民主主義を信じたいという気持ちとアメリカという国のたくさんのウソに満ちた歴史への怒りとが、フジノの中ではいつも2つ存在しています。
インタビューの最後は、自嘲気味に笑うしかありませんでした。
何故なら、麻生総理をはじめとする政府にも、外務省にも、独立国としての意思が存在しないからです。
アメリカが「大丈夫だ」と言えば日本政府も「それならば大丈夫だ」と言うようなそんなバカげた国は、独立国ではありません。
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この9月24日までの横須賀の海は25日の原子力空母入港と共に変わってしまいました。
けれども、これから50年、いや、100年かかろうとも、原子力空母をこの日本から押し返す動きは絶対に止めてはならないのです。
『9月24日の自分』が出ているテレビ映像を観て
「『9月25日以降の自分』は絶対にあきらめてはいけないのだ」
と改めて決意しました。
最後の1人になっても信念は揺らがない
NBCの特集は、とても優れた内容でした。
また、取材に来て下さった方も、本当に勉強熱心な上に行動力が抜群で、記者のカガミだと感じました。
そんな方とお会いする機会がえられて本当に感謝しています。
ありがとうございました。
また、横須賀にはフジノよりも優れた市民活動を続けてきた方々がたくさんいらっしゃる中、そんな諸先輩方をさしおいて、フジノが出させていただいたことには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
それでも、諸先輩方に負けない
「このまちの平和を愛する気持ちを持っている」
という自負心はいつもこの胸にあります。
原子力空母が入港しようがしまいが、反対の気持ちがぐらつくことは一瞬たりともありません。
「入港した以上は、現実的な対応をとる」
なんて、体制にとりこまれただけの情けない言い訳をフジノは絶対にしません。
たとえ最後の1人になったとしても、フジノは
「正しいことは正しい」
と叫び続けます。
その気持ちが折れることは決してありません。
そんな覚悟を再確認させて下さった『NBC長崎放送』さんに感謝しています。
本当にありがとうございました。