成人式へ
今日は、不入斗の横須賀アリーナ(総合体育館)にて『平成21年・成人式』が行なわれました。
毎年フジノはいつも成人式に対して横須賀市議会で1番の辛口で
「税金を使って成人式をやるのは廃止するべき」
「新成人自身に企業からの協賛金を求める活動をさせて、協賛金をもって開催費用にすればよい」
「現代日本社会では20才が成人とは言えない。あえて成人式をやる必要性は無い」
と、廃止も含めた見直しをくりかえし訴えてきました。
けれどもそれは、『ショック療法』として、
市民のみなさまに愛されているイベントをあえて廃止することで、もっと税金の使い道の優先順位について、市民のみなさまに敏感になってほしかったからなのでした。
本意は、成人式を廃止するかどうか、ということではなく、『横須賀美術館』や『長井海の手公園ソレイユの丘』などをはじめとするハコモノ行政を『それでも望む市民の方々』がいることへの怒りでした。
(その証拠に、いまだに高層ビルでの新中央図書館の建設を強く望んでいる市民の声を聞くことです。いいかげんにハコモノ幻想から目を覚まして下さい。ハコモノでは景気は回復しません!)
新成人の希望に満ちた笑顔が全てだ
けれども今年のフジノは、成人式批判はいったんとりさげます。
これだけ現実が厳しくて不景気な中、明るいニュースがほとんど聞こえてこない中で
今日、横須賀アリーナに集まった数千名の20才の若者たちの希望に満ちた幸せそうな笑顔を見るにつけても、こころから祝福したい気持ちでいっぱいになったからです。
かねて書いてきたとおり、不況とは企業の業績悪化だけが全てではなくて、人々の消費に対するマインドが冷え切っている状態でもあります。
思い切りシンプルに書くと、不況でもあえて希望を持って笑顔で生きていくことということが、実は、景気回復へのリカバリーのスイッチとも言えるのです。
この20才の笑顔こそ、大きな意味がある、と感じました。
例年どおり来賓席には行かないで、フジノは式典の最初から歓談に入るまで2階からみんなをじっくり見ていました。途中からホールに降りて、みんなの笑顔をじかに見て過ごしました。
蒲谷市長のあいさつを聴いている人なんか誰もいない。
20才の子たちによる成人式検討委員会のあいさつも誰も聴いている人なんかいません。
成人式という名前の壮大な同窓会では、『旧友との再会』と『晴れ着姿を見せあうこと』だけが全てです。
市長も市歌も祝辞もどんな権力や権威をおしつけても、その全てが無意味なのです。
でも、それこそが20才の今、ハッピーなのです。
政治家としてフジノは「それでいいのだ」と考えています。
友達との再会に喜ぶ笑顔。
素敵な着物や髪の毛のセットなどの非日常の1日を思い切り楽しむこと。
この笑顔は、希望につながるのだ、とフジノは感じました。
新成人のみなさん、おめでとうございます
今日、成人式を迎えた新成人のみなさん、こころからおめでとうございます。
そして、こどもたちを20才まで育てあげて下さった親御さん方にもこころから感謝を申し上げます。
成人、おめでとうございます。