上田副市長、今まで本当にありがとうございました
本日10月4日をもって、上田副市長の任期が終わりました。
上田副市長、今まで本当におつかれさまでした。
こころから感謝を申し上げます。ありがとうございました。
昨日の神奈川新聞には、上田副市長の退任がその『功績』について紹介された記事ではなくて、「吉田市長のもとで副市長がゼロになること」についてがメインテーマとして報道されていました。
メディア的にはそういうことになるのでしょうが、率直にフジノはこの論調を残念に感じます。
フジノは今、上田副市長の『横須賀市への貢献』を純粋に高く評価したい気持ちしかありません。
これまでも尊敬する歴代の市職員の方々が退任する時に、フジノはその方々への想いを率直に記してきました。
例えば、2005年の森田副市長の退任、今年7月の杉本副市長の退任、などがそれにあたります。
もちろん行政職の方々の在任中は、『市議会議員』と『行政側職員』の間には絶対に越えてはならない『立場の違い』がありますから、決して親しくすることはありえません。
もしも親近感を抱いた瞬間があってもフジノはそれを相手には絶対に伝えません。
いつもどおり、フジノはムスッとした表情で接し続けていきます。
仮に親しさを表明してしまえば、いざという時に市議会議員としての判断が『情』に流されたり鈍る可能性があるからです。
けれども、せめて退任なさった時にはきちんと本音で感謝の気持ちを記したいと思うのです。
政治家フジノの想いを最初に真正面から受け止めて下さった方でした
上田副市長は、フジノが政治家に転職した2003年当時、健康福祉部長の立場にありました。
自殺予防対策と精神保健福祉の向上をメインの政策にして市議会にいのちをかけて乗り込んできたフジノにとって
その政策について誰よりも最初に激しい議論をしたのが、まさに上田健康福祉部長だったのです。
かつて森田副市長の退任にあたって記した活動日記にて、激しい怒鳴りあいを繰り広げたエピソードを初めて記しましたが
実は、その怒鳴りあいよりもっともっと早い時期に、
フジノの感情爆発をまともにぶつけた最初の相手こそ、上田健康福祉部長でした。当選1年目の12月のことです。
当時はまだ日本全体で自殺予防が全く話題にもならなかった頃です。
横須賀でも、全く自殺予防対策に取り組む気配すらありませんでした。
そこでフジノは、「何故、自殺予防対策に取り組まないのか」と健康福祉部長室で上田部長にかみついたのです。
けれども、その時になされた激しい議論がきっかけで、フジノは上田部長に対して揺らぎない強い信頼感を抱きました。
2009年の今でこそフジノは市職員のみなさんはこのまちを一緒に変えていく強力なパートナーと確信していますが
そもそも2003年に立候補した時点では
「市役所なんか100%信頼できない」
という激しい不信感と疑念を持って政治家になりました。
そんなフジノにとって上田部長との激しい議論は、市役所と市役所で働く方々そのものへのフジノの印象が根底から変わるきっかけになりました。
つまりフジノは、上田部長をとおして市役所全体への印象が変わっていったのです。
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副市長の任期が終わる10月4日まで全議員が集まっている日程は9月16日が最後ということで
去る9月16日の本会議終了後、上田副市長が全会派の控え室をあいさつにまわりました。
無会派の控え室にもいらした時に、最後に記念写真をお願いしました。
もう一緒に激しく議論をすることも無いのだと思うと本当に残念でしかたがありません。
できればフジノが政治家を引退するまで行政側の大きな壁として、対峙していてほしかったです。
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残念ながら、行政職員の働きぶりはふだん市民のみなさまに伝わることはありません。
けれども、上田副市長によって、このまちの保健医療福祉行政が大きく推進されたことをぜひ記しておきたいと思います。
例えば、全国に誇れるほどに横須賀市の自殺予防対策がこれだけ実現してきたのは
政治家としてフジノが提案し続けてきたからだけではなく
『行政側』にもその提案を真摯に受け止めてくれる存在がいてくれたからこそだと感じています。
(もちろん最終的な決裁をするのは時の市長ではありますが...)
個人としても、政治家としても、上田副市長の存在に、強く感謝しています。
改めて、これまで長い間、おつかれさまでした。
今まで本当にありがとうございました。