人は『希望』を持ってより良い未来へ変えていかれると僕は信じている
本来ならば朝7時くらいに家を出て『日本臨床死生学会』に向うつもりだったのですが、朝から行くのはやめることにしました。
やっぱり、葬儀に行きたかったのです。
けれどもあまりに昨日憔悴しきってしまって、もう1度、葬儀へ出席する為に埼玉まで行くだけの気力・体力を奮い起こすことはできませんでした。
だから、葬儀が行なわれている時間帯だけでも、出席できないかわりにせめて大切な後輩のことを想いながら過ごそうと決めました。
ひととおりの読経や儀式が終わった後、やがてついに『彼』の肉体が灰になってしまうとしても『彼』に対する僕の想いが消えてしまうことだけは絶対に無い。
昨日、僕は「死ぬまで生き続けよう」と改めて後輩と約束をしたんだ。
どれだけつらくても、生きていくのだ。
『彼』のことを思い浮かべるたびに、笑顔か汗を流しながらがんばっている姿しか浮かばなくて、本当に『彼』は素敵な人だったのだ、と思いました。
「日本臨床死生学会(第15回)」へ
大切な喪の時間を終えて、11時半くらいに横須賀を出発して本郷三丁目へ向かいました。
会場は、東京大学・本郷キャンパスです。
『赤門』っていつ来ても、誰かしら写真を撮っていますね。
フジノもつられて、撮っている人々とかわりばんこに写真を撮りました。
さて、第15回日本臨床死生学会のテーマは、
『臨床現場で生きる/活かす死生学』
です。
自殺予防対策をメインの政策に掲げていれば、生きることと死ぬこととの意味については日常的に常に向き合って考え続けているのですが、
ふだんは、働きながら学んでいく、体を通じて体験が蓄積していく、ということばかりです。
あるいは、父とのかかわりの中で死の在り方と生きていくことの在り方を体験しています。
そんな風に僕は体感的に死生学と接しているので、せめて『学究的な知識』を年1回くらいは吸収していかなければいけないと考えています。
だからこその学会への参加です。
そうして得た知識や情報を日常の仕事に反映していかれれば、より良い市民相談や政策に活かすことができると思います。
そんなフジノの想いはまさに今回の学会テーマ、『臨床現場で生きる/活かす死生学』と合致していますね。
下の写真は、メイン会場の安田講堂の前で、学会パンフレットを持つフジノ。
中学生時代のフジノにとって、安田講堂という言葉は特別な響きを持っていました。
学生運動の是非はともかく、理想とする社会を実現していく為に、あれだけの活動を多くの学生たちが行なったという事実が当時の僕を強く惹きつけました。
自分の机や生徒会室の壁に、日大全共闘の言葉をマジックで書いていたりしました。
正確かどうか自信が無いのですが、こういう言葉です。
生きてる 生きてる 生きている
バリケードという腹の中で 生きている
毎日 自主講座という栄養をとり
友と語る という清涼飲料剤を飲み
毎日 精力的に生きている
生きてる 生きてる 生きている
つい昨日まで 悪魔に支配され 栄養を奪われていたが
今日飲んだ解放というアンプルで 今はもう 完全に生き変わった
そして今 バリケードの腹の中で生きている
生きてる 生きてる 生きている
今や青春の中に生きている」
僕は自分のことを『左翼』だとは思いません。
左翼の中にある要素の1つである、「未来は常に良い方向へと必ず変えていかれる」ということを僕は信じています。
それはマルクスの言うような、一方向へと進化を続けていくという意味ではなくて
人には未来に対する『希望』を持つ、という力があることを僕は深く信じているのです。
その『希望』だけは、中学時代も今も、変わることはありません。
政治家になろうが、中学生の時であろうが、変わりません。
人間の未来への希望を、僕は強く信じています。
つらいことがあるたびに、大切な人が亡くなるたびにその信念はいつも試練に直面させられます。
けれども、失われてしまった多くの物事にさみしさを覚えても、それでも、僕は明日は今日よりも良い世界になっていると信じたいのです。
そこに根拠は無くて、根拠無くただその想いへと立ち返ってしまうのです。
そこに根拠が感じられるならば僕はきっと悩むことが無いままに、生きていかれるんだろうなあと思います。
でも、そんな風にはなれないので、ただひたすら悩みながらも、常に『希望』を信じながら転んでも転んでも立ち上がる、それしかないのです。