日本社会事業大学で1年生向けに講義を行ないました
今日は、東京・清瀬にある日本社会事業大学へ向かいました。
1年生の授業を1コマ90分間、フジノが講師を勤める為です。
必修科目『相談援助の基盤と専門職』という授業です。
フジノは、特別な場合を除いて、2010年1月から講演などの依頼を頂いても全てお断りしてきました。
でも今回は、まさに特別なケースでした。
2つの理由から、フジノ自身も「ぜひお受けしたい」と感じたのです。
1つ目の理由は、内田宏明先生から数年ごしのラブコールを頂いたことです。
いつだったか思い出せないくらいずうっと前に、内田先生から「いつか講師をやってほしい」と連絡を頂きました。
さらに今年のはじめになって、改めて再びお話を頂きました。
「ぜひ学生たちに話をしてほしい」という内田先生のご依頼は、フジノにとってものすごくうれしかったです。
社会福祉を学ぶ18才と語りあう大切な機会
2つ目の理由は、依頼された講義が『1年生の必修科目』であったことです。
社会福祉を学ぶ為に入学したばかりの18才のみなさまに向けて、お話できる機会を頂けることにとても大きな魅力を感じました。
現在38才のフジノは、まさに20年前に心理学専攻に飛び込んで、精神保健医療福祉の世界と学問的に向き合うようになりました。
あの頃のフジノは、精神保健医療福祉の全てを吸収したくて朝から真夜中まで1日中、必死に勉強をしていました。
『統合失調症』という病気があまりにも未解明なことに絶望することもたくさんありましたが
世界中の研究者によるあらゆる研究・実践が進められていることを知って、かすかな希望が見えたのもこの頃でした。
今、18才で社会福祉を学び始めた学生のみなさんは、20年前のフジノと重なって見えました。
僕は、「僕の想いを率直に伝えてみたい」と感じましたし、「18才のみなさんの想いを率直に受け止めてみたい」と感じました。
こうして、講義を引き受けてから数ヶ月の間、今日のこの日をこころから楽しみにしてきました。
先月からずっと体調を崩していて、今も心身ともに全くダメなままなので、今日も清瀬まで行けるかとても不安でした。
それでも、今日さえ終わればしばらく倒れてもいいくらいの気持ちで、ゆっくり4時間かけて休み休み清瀬へと向かいました。
講義の45分前に無事に到着することができて、内田先生の研究室でいろいろなお話をさせていただきました。
内田宏明先生と内田ゼミの学生さんとの対話
内田先生のこれまでの臨床経験、大学での教師としての日々、現在の社会福祉の置かれている状況についてのお考えなど、お話には、とても共感することが多くて、すっかり内田先生の人柄に惹かれてしまいました。
研究室では、数日後に行なわれる卒業論文の『中間発表』に向けて、ゼミ生たちが冊子づくりの作業を行なっていました。
内田先生が席を外した時にフジノはゼミ生のみなさんに質問してみました。
「内田先生ってみなさんにとってどんな先生ですか?」
すると、返ってくる言葉は、とても良い評価ばかり。
何よりも「温かくて、厳しいけれど、温かい先生」というゼミ生の言葉はフジノも同感でした。内田先生って、本当に良い先生ですよね!
250人の学生を前に大教室での講義にチャレンジ
さて、ついに大教室へ移動です。
緊張感はほとんどありませんでした。
ラッキーなことに、フジノは日本社会事業大学になじみがあります。
精神保健福祉士(PSW)の国家試験の受験資格を得る為に、日本社会事業大学の通信教育科で『精神保健福祉士養成課程』を1年7ヶ月受講しました。
2004~2005年と2年続けて夏のスクーリングで2週間ほどここに通って授業を受けました。
他にも、いろいろな学会の会場として使われているので何度も足を運んだことがあります。
NPO地域精神保健福祉機構(略称・コンボ)でも『リカバリー全国フォーラム』でも第1回大会の会場としてお借りしました。
だから、場所(教室)そのものにも慣れていたのですが、教員用のドアを開けて教室に入ると、学生さんの数に圧倒されました。
1年生の必修科目なので学生さんたちは約250人です!
これはさすがに多いですね。
90分間を3つのテーマに分けて、講義を行ないました。
『自殺総合対策の実現における社会福祉専門職の必要性について』
- 20年前に18才だった僕が自殺対策に取り組む政治家になるまで
- いま18才のみなさん(20年前の僕)に知ってほしいこと
(1)自殺についての正しい知識
(2)プリベンション・インターベンション・ポストベンション
(3)あらゆる対策の存在
(4)特に『自殺未遂者支援』『自死遺族支援』の必要性について
(5)どの取り組みにおいても社会福祉専門職が必要であることの理由
(6)現在の国の動向について、医療サイドの巻き返し
(7)自殺予防ロールプレイングを通した、寄り添うことの難しさの体験 - 質疑応答
はじめのうちは、授業中なのに教室への出入りがあったり、隣同士で私語を続けている学生さんたちもいましたが
5分も経つ頃には教室中がシーンとして、フジノの話に耳を傾けてくれていました。
フジノが18才だった頃から20年もの月日が過ぎたとはいえ、あの頃の気持ちを僕自身が忘れることはありません。
みなさん、フジノの言葉に自らの現在を重ねて聴いて下さったのではないか、と思いました。
さらに、2つめのテーマの最後には、10分間をとって、『自殺予防ロールプレイング』という体験学習を行なってもらいました。
これは、かつて藤原和博校長先生が杉並区立和田中学校で『よのなか科』のプログラムの中で行なっていたものです。
2人1組になって、
1人が「今、まさに自殺をしようとしている人の役」をもう1人は「親友としてなんとかして自殺を止めたい人の役」を全力でロールプレイしてもらいました。
5分間経ったら、役割を交代してもう1回です。
はじめこそ照れ笑いが混ざりながらの対話でしたが、やがて、とても真剣に対話に取り組んでいる学生さんの姿が多くなりました。
このロールプレイに正解はありません。
今の内閣府の自殺対策があまりにも『誰でもがゲートキーパーになれる』ということを強く打ち出し過ぎていることにフジノは疑問を感じています。
人が他人に寄り添うことは本当に難しいことです。
それは親しければ親しいほど難しいことです。
社会福祉専門職として人に寄り添うことを使命とする職業に就けば、嫌というほどそれを体験することになる訳なのですが
(そして、その無力さを痛感しつつも寄り添うことを続けるのが本当のゲートキーパーであり、社会福祉専門職だとフジノは信じています)
1年生のみなさんに寄り添うことの難しさを感じてほしくてあえてこのロールプレイを体験していただきました。
講義の最後に質疑応答をしました。
わずか10分しか時間が取れなかったのですが、3人の学生さんから発言を頂きました。
特に惹かれたのは、次の質問でした。
「彼女が自殺によって亡くなった後と前とではフジノさんの死生観は変わりましたか?」
明らかに、フジノの死生観は変わりました。
いつまでもそこに存在し続けてくれると思いこんでいた命は実は、いつ失われてもしまってもおかしくない。
ついさっきまで当たり前に存在していたはずなのに、もはやどんなに会いたくても話したくてもそれが叶わなくなる。
どんなに大切な相手であっても、失われて永遠に戻らなくなる。
そして、それは誰にでも起こる。もちろん、自分にも。
こうした圧倒的な喪失感は、フジノの世界観を完全に覆しました。
それは、3.11を経た今の日本であれば、多くの方々が同じ想いを共有しているのではないかと思います。
だから、目の前のものはどんなに努力をしたとしてもいつか必ず圧倒的な力の前に失われてしまうのだ、という絶望的な確信と
だけど、目の前の大切なものを全身全霊を賭けて守ろうとそれでもなお必死にあがきもがき続けずにはいられない衝動との間を
いつも行ったり来たりしながら歩みをつづけてんでいる、そんな気持ちが続いています。
こうして、90分間の講義は終わりました。
学生のみなさんの多くはとても快活で元気にあふれていましたが、中には、壊れやすい脆さというか、とても繊細さを感じさせる方もいました。
それは自らがうつ病とパニック障がいを持つフジノにとって、ちょっとうれしい発見でした。
さて、それから再び内田先生の研究室に戻っていろいろ意見交換をさせていただきました。
講師を勤めさせていただいたことは、やはりものすごく貴重な機会となりました。
内田先生には、こんな大切な機会を与えていただいたことに改めて深く感謝の気持ちを感じました。ありがとうございます。
帰宅後も、学生さんたちから何通もメールをいただきました。本当にありがたいことです。
まだ、全てのメールに対してお返事を書ききれていないのですが、みなさんの考えていること・感じておられることはとても大切なことだと強く感じています。
やがて社会福祉士・精神保健福祉士などの福祉職として、いろいろな困難を抱えている方々の支援にみなさんは取り組むことと思います。
どうか今の気持ちをずっと大切にこのまま歩み続けてほしいな、と僕は思いました。
みなさん、本当にありがとうございました!
内田先生、今日は貴重な機会をありがとうございました。
そして学生の皆さん、フジノの拙い話を聴いて下さって、本当にありがとうございました。
またいつかお会いしましょうね。
できれば将来、臨床の現場でみなさんと再会できますように!