社会保障の在り方そのものを変えていく為に学んだ半年間でした。修了証も頂きました/「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」

「医療福祉の転換~地域包括ケアシステムの構築へ~」最終日でした

夕方から、東京・青山一丁目の国際医療福祉大学大学院に向かいました。

4月14日から半年間にわたって毎週土曜日の夜は大学院で聴講してきたのですが、ついに今夜で最終回となりました。

国際医療福祉大学大学院前にて

国際医療福祉大学大学院前にて


今のフジノには「どうしても学ぶべき必然性があった」ので振り返ると、本当に感慨深い半年間でした。



政治家フジノの「ライフワーク」が増えた理由

10年前、フジノが政治家に転職した理由は、2つのことを実現する為でした。

  1. 対策が存在しなかった『自殺対策』を新たに創りだす為

  2. 質・量ともに圧倒的に不足している『精神保健福祉』を向上させる為

この2つへの想いが2003年にフジノを選挙に立候補させました。

政治家としての日々の中で全力を尽くしている政策は他にもいくつもあるのですが、『自殺対策』と『精神保健福祉』は僕にとっては特別なのです。

政治家でなくなっても、どんな立場に変わったとしても、これからの人生を賭けてずっと取り組んでいく『ライフワーク』なのです。

その『ライフワーク』は、当選の翌年に3つに増えました。

2004年12月、父が脳梗塞によって植物状態になってしまったことがきっかけで、新たに『高齢者福祉』についてむさぼるように学ぶようになりました。

高齢者の保健医療福祉について、全ては頭の中で『知識』としては知っていたことなのに、僕は自分自身が体験して、改めてその苦しさを痛感させられました。本当に苦しいことばかりでした。

「手術をしても助からない可能性が高い」

と言われた手術を終えて、あまりにも急なことに気が動転している中で詳しいことも分からないままに、胃ろうの造設や経管栄養を行なうようにドクターに言われるがままに家族として判断をせざるをえなかったこと。

障害者手帳の申請や、生命保険の一時金の申請、介護認定の申請、市役所のあらゆる窓口を駆けずり回ったこと。

3ヶ月が経つとすぐに退院を迫られて自宅で介護をするのか、特別養護老人ホームや療養病床に受け入れてもらえないか、悩みぬいて苦しんだこと。

施設への入所を決めた後も、全く受け入れ先が見つからなかったこと。すさまじい数の待機者がいることを改めて痛感させられたこと。

疲弊しきった家族は心身がボロボロになって家族が倒れたり、入院したりが続いたこと。

そんな時、助けてくれるはずの市役所の相談窓口も、病院の相談室も、何も有効な相談相手にはなってもらえなかったこと。

長期の入院は、医療費以外にも出費がすさまじくて、僕はどんどん借金をしなければ入院費をまかなえなかったこと。

高齢者福祉には、こうした問題がずっと昔から存在していて、しかも今も状況は全く変わっていないことを体験しました。

こうして『高齢者福祉』は『ライフワーク』になりました。

政治家としてこの現実を絶対に変えなければいけないし、家族として父を取り巻く現実を変えなければいけないのです。

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です

最終回の講師は高橋紘士先生ご自身です


植物状態の父との8年間の日々を通して直面した問題に1つ1つ取り組んでいくうちに、その背後に、全てに共通している根っこが見えてきました。

それは、知れば知るほど、学べば学ぶほどにハッキリと見えてきました。

このままの政治・行政が続く限りは、僕と僕の父のような問題はむしろ避けることはできない。むしろ、この先もっと爆発的に増えていかざるをえない、ということが分かりました。

その理由は、

この先わずか30年のうちに人口やその構造が急激に変化していくから

です。

もはや完全に日本社会は変わってしまうのです。

コメントする武藤正樹教授

コメントする武藤正樹教授


それにもかかわらず、確実にやってくるその変化に対応する為の準備はほとんどなされていません。

現在の福祉政策の多くは、戦後60年間続いてきた経済社会状況の古い枠組みの中で、その場しのぎのやりとりをしているに過ぎないのです。

今の日本の社会保障制度のままでは、僕と僕の父よりももっともっと悲惨な状況を味わう人々が凄まじい勢いで爆発的に増えていくことを避けることはできないのです。

『社会保障制度の在り方』そのものを変えていかなければならない。

そんな『危機感』がフジノの中でどんどん強くなってきました。

こうして、『社会保障の在り方』そのものについて取り組むことが4つ目の『ライフワーク』なのだ、と考えるようになりました。



「ライフワーク」の政策に徹底して専念していくと改めて決意しました

3期目に立候補するにあたって、選挙ではそうした『想い』を率直に語ってきました。

しかし、実際には当選直後から今年3月末までは『震災対応』と『原子力事故』に関する仕事にひたすら追われていました。

そして、あっという間に1年間が過ぎていきました。

もちろん、『震災対応』も『原子力事故』に関する仕事も大切です。

けれども僕は

「自分の能力や心身のキャパシティを考えると自分の成すべきことを絞らなければならない」

と感じました。

「いくつもいくつも抱えすぎているテーマをリセットしなければならない」

とハッキリと思いました。

次から次へと相談を受けるがままに取り組んでいくだけでは自分はすり減っていくばかりで、本来成すべきことを実現できなくなってしまう。

僕が政治家として成すべきことは4つ。

そもそもこの4つだけでも、あまりにも大きすぎるテーマなのだ。

この4つだけに専念しよう、そう決心しました。

「その決心に忠実である為に僕は学ばなければならない」

と感じました。

2030年、2050年に向けて、今までとは全く違う社会構造の中で『地域保健医療福祉』を推進する為にもっと深く学ぶことが必要だと痛感してきました。

そして、これまで読んできた文献や、傍聴を続けてきた国の審議会などで強い関心のあった先生方から直接に学ぶ機会を得る為に、この半年間の講座を受講することにしたのです。

 半年間、通い続けることができて本当に良かったです。

修了証も頂きました

修了証も頂きました


『震災対応』と『原発事故』関連の課題への対応に奔走してきた昨年1年間のフジノのことを応援してきた」

という方々からはたくさんのひんしゅくを買うことになるのかもしれません。

けれどもフジノは本来のテーマに戻って、自分が今成すべきだと信じることに専念していきたいと考えています。

今、聴講を始める前よりもあらゆることを学んで、より一層、『危機感』は強くなりました。

学んだ成果はすでに本会議や委員会での質疑にどんどん反映しているつもりです。

さらに学び続けて、フジノはフジノが成すべきことをしっかりと1つずつ実現していきます。

どうか市民のみなさまには、そんなフジノの活動を信じて見守っていていただきたいです。



国際医療福祉大学大学院前にて

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