フジノは、市長選挙では全ての候補者から政策をうかがい、意見交換をします
政治家は『政策』で選ぶものです。
だから、過去2回の横須賀市長選挙(2005年・2009年)では、フジノは全ての候補者の方々にお会いしていただきました。
じかにお会いして、その政策をうかがい、意見交換をさせていただくのです。
これは、フジノが絶対に譲れないポリシー(信念)です。
その上で
「自らの想いを託したい」
と感じた方に対して、フジノは『勝手連』として応援してきました。
ですから、今年6月に行なわれる市長選挙でも、フジノは立候補予定者のみなさんにお会いしていただくつもりです。
こうして、先日は岸まきこさんにお会いしていただきました。
そして今日は、前副市長の広川さとみさんにお会いしていただきました。
ただ、3人の立候補予定者の中で、実は、広川さんに対してフジノはやや特別な想いがあります。
あらかじめ、それをご説明しなければ、不公平というか誤解をみなさまに与える気がしています。
まず、そのことをお話します。
広川さとみさんに「立候補してほしい」とフジノは期待していました
実は、フジノは「広川さんに立候補してほしい」と強く願っていました。
2012年12月14日〜2013年2月までの間、とても強く「立候補してほしい」と願っていました。
その理由を説明します。
対立候補がいない選挙は「民主主義が機能していない状態」だ
広川さんは、2012年12月に副市長を辞職しました。
そして、2013年2月に立候補を表明しました。
それから2ヶ月が経った今でこそ、吉田市長の対立候補として、少しずつ市民の方々に知られるようになってきました。
けれども昨年12月の段階では、誰も対立候補は名乗りをあげていませんでした。
(岸まきこさんが立候補表明をされたのは2013年3月25日のことです)
もともと市長選挙というのは、統計上、圧倒的に『現職』が有利とされています。
それこそ全国の選挙において『現職』の勝率は9割と言われています。
市長は仕事であらゆる団体に顔を出しては挨拶してまわります。
『市長としての公務』がイコール『選挙活動』のようなものです。つまり、何もしなくても吉田市長が圧倒的に有利なのです。
だから、
「吉田市長が無投票での再選か?」
「もしも共産党が対立候補を擁立しても吉田市長の圧勝か?」
という、『吉田市長の不戦勝もしくは圧勝』という空気が漂っていました。
フジノはそんな空気がとてもイヤでした。
とても重苦しい閉塞感を感じていました。
「対立候補がいない」ということは、「民主主義が機能していない」ということです。
このまちにとって、とても不健全な状態です。
ほぼ成果ゼロなのに、改革のイメージ戦略がうまく高い人気の市長
しかも、これまでフジノのブログを読んで頂いた方々であれば、吉田市長の『改革』はほとんど実現していない事実はご存知のはずです。
ハコモノ改革は、形だけ。大手広告代理店にうまく利用されて、法的な問題があっても進めてしまう。
自治基本条例が実現できないのは市議会の反対のせいにしていますが、実際には否決されてもそれを再度提案できる権能である『再議』も行なっていません。
マニフェストの中でも小さなことばかりを「達成した」「実現した」と言い、実現する努力をしなかったものは全て「市議会が反対したからできなかった」というのです。
こんな今の横須賀市政に、フジノは心底うんざりしています。
けれども、イメージ戦略が圧倒的に上手な吉田市長は、今も市民のみなさまにとても高い人気があります。
「若くて何かを変えてくれそう」という漠然としたイメージだけが、4年間が経った今も多くの市民の方々には浸透しています。
『改革派のイメージ』と『成果がほとんど無い現実』との間に圧倒的な断絶があることに、フジノは強い閉塞感を持っていました。
だって、市民のみなさまにお聴きしたいのです。
あなたの暮らしはこの4年間で良い方向に変わりましたか?
少なくともフジノは、良い方向に変わったとは全く考えていません。
吉田市長就任後、8人の部局長が定年を前に辞職して去っていった現実
現実の吉田市長は、組織のマネジメントが全くできておらず、破綻していました。
なんと吉田市長の就任後、8人もの部局長が定年を前に辞職していました。こうした事態は過去に1度も例がありません。
特に、8人目の辞職者である(市長が自ら連れてきた)上下水道局長にいたっては、市長の失敗をかばって辞任したという印象しかフジノにはありません。
3年半前の市長就任の演説では「職員の尻をぬぐえる市長になる」と宣言したのに、尻をぬぐうどころか、吉田市長によって8名もの貴重な人材(=人財)が損なわれてしまったことにフジノは強い怒りを感じていました。
市長の組織運営能力に疑問を持った上地克明議員(2010年9月2日)と田辺昭人議員(2012年2月28日)がすでに一般質問で質していました。
それにも関わらず、2012年7月に民間団体が主催したイベントにパネリストとして出演した吉田市長は、
「退職した部長たちは変革について来ることができていなかった」
と発言しました。
自分の方針に従わずに辞職していった人間は『変革』についてこれなかったから仕方がない。
こんなパワーハラスメント的な発言は、自殺対策に取り組んできたフジノには許せませんでした。
そこで、12月議会での本会議における市長への一般質問で、フジノは市長に対して発言の撤回を求めました。
しかし、吉田市長は自らのパワハラ発言を反省することも撤回することもありませんでした。
なんと最後の「重し」であった広川副市長までもが義憤にかられて辞職へ!
フジノがそんな一般質問を行なった12月議会の最終日(12月14日)のことです。
本会議が終わり、議員研修会も終わった後、なんと「広川副市長が辞表を出した」という連絡が入りました。
その知らせを受けて、フジノの怒りは頂点に達しました。
これで、市役所は9人もの人材(=人財)を失なってしまったのです。
その日、フジノはこんなツイートをしました。
議員研修会終わりました。この後、広川副市長から全議員に話したいということで、今、控え室で待機しています。
広川副市長、本日付けで辞表を出したとのことです(涙)
吉田市長のマネジメント能力はゼロだ!怒りが消えない。広川副市長、素晴らしい行政マンだったのに。スーパー公務員として全国に知られた方を、吉田市長は全く人財として活用することができなかった。37年9ヶ月もの経験をムダにしてしまった。
それもまた吉田市長は外部の講演で「改革についてこれなかった」とかほざくのか!?あの広川さんが辞職するなんて、本当に大きなダメージだ。
僕はつい先日、神奈川県の副知事とお話した時に「横須賀は広川副市長が頑張っていますね」と会話したばかりだったのに。まさに内外どちらから見ても、広川副市長が『重し』となって市政をサポートしてくれていたのに。。。
吉田市長はマニフェストは総崩れ。7人もの部局長が定年前に退職していき、上下水道局長としてつれてきた人は辞職に追い込み、そして副市長も今日、辞めていってしまった。なんてことだ。
これで9人辞めてしまった
僕は吉田市長を選挙で応援してしまった戦犯なので、本当に広川副市長にはこころからお詫びを申し上げました。。。国とのパイプ役、アメリカ軍とのパイプ役としても、広川副市長は大きな存在感がありました。これからが心配です…>_<…
次の市長選挙、選挙が得意な吉田市長はまた再選されるのかもしれないけれど、選挙がうまいだけで全く市政の経営能力が無い吉田市政が8年も続くのにはうんざりだ。横須賀はこの3年半、失われた3年半だった。
正直なところ、パフォーマンスはもう心底うんざりなので、イタリアみたいに実務家内閣が良いと思います。パフォーマンスがウンザリなのでフジノ自身は街頭演説をやめて2年以上になります。吉田市長は次の選挙に向けて駅立ちばっかりやってて、予算編成時期なのに頭にきます。
むしろ広川副市長に、来年の市長選挙に出馬してほしいです。そしたらフジノは吉田市政を生んだ罪滅ぼしとして、広川さんを全力応援するのになぁ。。。
広川副市長は、神奈川県からも「若い市長の政権運営を広川副市長がサポートしてあげているから市政が回っている」と評価されていた存在です。
しかも、常に吉田市長の暴走を「重し」となってサポートしてくれていた大切な存在です。
その広川副市長が来年度予算案の策定の前に、辞職を決意したということは、どれほど重い決断だったことか…。
無会派の控え室に辞職のあいさつに来てくれた広川副市長は
「これ以上あの方にお仕えすることは、私自身の公務員人生を否定することになります」
と切々と訴えられました。
フジノはこころを打たれました。
僕自身、吉田市長当選後、必死に支えてきたのに何も市長ご自身は僕らの苦労なんて全く理解していなかったから。
広川副市長が義憤にかられた気持ちには、とても共感できました。
そこでフジノは広川副市長に
「どうか市長選挙に立候補して下さい。有力な対立候補が必要です。広川副市長ならば、即戦力ですし、必ず横須賀を良い方向にリードしていくことができます」
とお願いしました。
けれども、広川副市長は
「今はとにかく休みたいです。先のことは何も考えていません」
とだけお返事をされて、お帰りになりました。
これがフジノが「広川副市長に立候補してほしい」と強く願って経緯です。
ですから、2月に広川さんが立候補表明をした時にはすぐにお電話をして、
「広川さん、よくぞ決心して下さいました。対立候補がいない市長選挙なんて間違っています。横須賀の為に、本当にありがとうございます」
とこころから感謝の気持ちをお伝えしました。
(その2へ続く)