地域包括ケアを実現の最新の理論と事例を学ぶべく大学院へ
今夜は、大学院での聴講でした。
高橋紘士先生・武藤正樹先生による「医療福祉の連携と総合化〜地域包括ケアシステムの展開へ〜」です。
今夜のゲスト講師は、長谷川敏彦先生でした。お話を伺うのは昨年4月以来、1年ぶりです。
長谷川先生は3月いっぱいで日本医科大学教授を退官されたのですが、その熱弁は1年前と全く変わりませんでした。
- 現在の日本は、世界のどの国も体験したことのない『未踏高齢社会』に突入している。
- 日本の取り組みを、世界が注目している。
- 『未踏高齢社会』の先駆者として、日本はその取り組みを世界に発信していかねばならない。
- そして、その『未踏高齢社会』では、理論も制度も新しい枠組みを構築していかねばならない。
その為の新しい理論として長谷川先生が提唱しておられるのが
『ケア・サイクル論』
です。
長谷川敏彦先生の「ケア・サイクル論」とは
と言っても、全く難しいものではありません。
長谷川先生がおっしゃるほど新しい概念でも無くて(長谷川先生、ごめんなさい)、今では多くの方々が直感的に感じておられるであろう「ケアの在るべき姿」のことです。
フジノなりに理解した『ケア・サイクル』を説明してみます。
『ケアサイクル』とは、1人の患者が受ける連続したケアのこと。
様々な保健資源・医療資源・福祉資源から、その時点の状況に対応したケアを受ける、というもの。
ひとことで定義すると、上のようになるとフジノは思います。
かつて『病気』は、毎回孤立した出来事でした。
ドクターの仕事(使命)は、救命して完治させることでした。
その『病気』だけにピンポイントで責任を果たしていれば良かったのです。
例えば、肺炎になった方がいれば、ドクターは肺炎を治すことだけを目指して治療をすれば良かった訳です。
けれども、そういう時代は終わりました。
ほとんどの人は、複数の病気を抱えているものです。
例えば、入院して肺炎そのものは治っても、ご高齢の方は病院に入院してベットでの生活を送った後には、退院したら寝たきりになってしまうことがあります。
つまり、『病気』そのものは治せても『生活』が守れなければ、それは治療として正しく無いのです。
その時その時の処置によって、ある『病気』の状態は良くなります。
けれども、他の『病気』や『障がい』や『生活レベル』は元のようには完全には戻らないことが多いものなのです。
こうして、人はみな、完全な健康では無い状態のまま、寿命を迎えるその日まで生き続けていきます。
そこで、人の健康を『ケア・サイクル』で見ていく必要があるのです。
長谷川先生の提言というのは、このようなことだとフジノは考えています。
決して特別な考え方ではなくて、むしろ今の時代では「当たり前」という感じですよね?
ただ、それが実際の現場レベルではまだまだ実現していない。
だからこそ、長谷川先生のようにあえて理論化して訴えていくことが必要なのかな、とフジノは理解しています。
- ある病気が発生する。
- 日常の生活動作(ADL)が低下する。
- 病院(急性期)に入院して、回復する。
- 自宅で在宅ケアや福祉支援を受ける。
- また容態が変化する。
- 治療を受けて、回復すれば自宅に戻る・福祉施設に入所する。
- このサイクルを繰り返しながら、最後は死を迎える。
長谷川先生によると、「男性は4~5回、女性は7〜8回のケア・サイクル回転をする」とのことでした(この根拠を伺ったのですがフジノには理解できませんでした)。
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保健・医療・福祉のあらゆる職種が役割を分担して、地域全体で人々の暮らしを包括的に支援していくことが重要です。
さらには、都市政策・住宅政策も重要です。
こうした取り組みがフジノの考える『地域包括ケア』です。
2025年まで、あとわずか12年しかありません。
一刻も早く『地域包括ケア』を実現していきたいです。
今夜の講義では、そうした基本的なスタンスを再確認させていただきました。