政策と政策をぶつける選挙を!/市長の決断に従った部長は問題なのか?

市長に限らず、政治家とは『政策』をぶつけあって、『政策』で市民のみなさまに選ばれるべきです。

いくら選挙がヒートアップしたとしても、『ネガティブキャンペーン』や『泥仕合』のような選挙には、フジノは絶対に反対です。

その意味で、1つの例を挙げて、今日は問題提起をしたいです。



「原子力空母母港化の担当部長だった広川さんはダメだ」という批判

あるHPでは、その広川さんを批判する文章が記されています。

他の立候補予定者である岸牧子さんを応援している『原子力空母の横須賀母港化問題を考える市民の会』のHPです。

原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会HPに記された広川さんへの批判

原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会HPに記された広川さんへの批判

こんな風に書かれています。

広川さとみ氏は、蒲谷市長時代の企画調整部長です。

『原子力空母母港化反対』を公約として平成17年6月の市長選挙に当選した蒲谷市長が、平成18年6月に『原子力空母母港化容認』に転じるポイントとなった、最初から容認ありきの『市民の意見をきく会』を仕切ったのも広川さとみ氏でした。

何としても、広川さとみ氏が横須賀市を仕切るような事態は御免願いたいものです。

これは『完全に的はずれな批判』です。

公務員であれ、会社員であれ、『組織に属している社会人』は、『上司の命令』に従うのが当然のルールです。

2006年当時、広川さんは企画調整部長でした。基地対策を所管している部署のトップです。

けれども、横須賀市の方針を決める最高責任者は『市長』です。『部長』ではありません。

  1. 選挙公約で『母港化反対』を訴えて当選した蒲谷前市長が『母港化容認』に転じたのは、当時の広川部長の責任なのでしょうか?
  2. 蒲谷前市長が決めた方針を、部下として遵守した当時の広川部長が、何故、批判を受けねばならないのでしょうか?
  3. 当時の広川部長は、蒲谷前市長に辞表を叩きつけるべきだったというのでしょうか?

広川さとみさんは『叩き上げ』の公務員として37年間にわたって全力を尽くしてきた方です。

公務員として、市長の命令を守るのは、当たり前のことです。

さらに公務員も会社員と同じですが、当然ながら私人としての生活があります。

広川さんは、家庭を持ち、お子さん3人を育てている父親です。

生活を捨ててまで、上司である『市長の命令』に背くとか、『意見を聴く会』をサボタージュするとか、市長に対して『辞表』を出してでも反対するなんてことは、あまりにも常識はずれで無責任です。

岸牧子さんのことをフジノは大好きなのですが、岸さんを応援している団体の1つによる『的はずれな批判』には、フジノは悲しくなりました。



どんなに批判を浴びても耐え忍ぶ「公務員」としての姿に感銘を受けました

また、「最初から容認ありきの『意見を聴く会』を仕切ったのも広川さんでした」とあります。

担当部長ですから仕切るのは『業務』ですから、これも当たり前です。

当時(2006年5月2日)、フジノもこの『意見を聴く会』について、蒲谷市長に意見書を提出しました。

しかし、蒲谷市長は現れませんでした。

かわりに担当部長である広川さんがフジノたちの意見書を受け取りました。

蒲谷市長のかわりにフジノたちの抗議に耳を傾ける広川さん(当時企画調整部長)

蒲谷市長のかわりにフジノたちの抗議に耳を傾ける広川さん(当時企画調整部長)

フジノたちがどれだけ厳しい意見を述べても、じっと忍耐でその言葉に耳を傾ける広川さんの姿に

「方針転換をしたのは蒲谷市長なのだから、部下に過ぎない広川部長には反論したいこともあるだろう。それでも一切の反論をせずに、私心を殺して上司を守る。さすが広川部長だ」

と敵ながらあっぱれという気持ちになったことをハッキリと憶えています。



政策と政策をぶつけあう市長選挙にしたい

今日はあくまでも1つの例を挙げました。

的はずれな批判は、政策論争とは全く無縁であって、民主主義を損なうことになります。

このまちの未来を良くする為に選挙に立候補するのですから、民主主義を発展させる選挙の闘い方を実践して下さい。

それぞれの立候補予定者を応援している方々は、政策論争をこころがけて下さい。

ぜひお願いします!



原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会HPに記された広川さんへの批判

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