けさは京急久里浜駅前でした
けさは、京急久里浜駅前にて広川さとみさんの政策を訴えました。
京急久里浜駅は大きな駅です。
改札を出た後の出口も5ヶ所に分かれています。
そこで、みんなで手分けしてそれぞれの場所に別れることにしました。
そんな訳で、けさのフジノは広川さんのそばには居られず、かなり離れた場所を1人で担当しました。
笑顔いっぱいで元気な広川さんの隣にフジノは毎朝立っていたので、少しさみしい気持ちになりつつ、政策集をお届けしました。
広川さとみ応援団リーダー、小泉進次郎代議士
…なんて思っていたら、背後から
「フジノ議員、おはようございます!」
と、元気いっぱいの声で声をかけられました。
誰だか分からないうちに握手を求められて、ガッチリと握手されました。
「よろしくお願いします!一緒に頑張りましょう!」と、その男性はフジノに笑顔で話しかけてきました。
小泉進次郎代議士でした。
そこから先は、予定の時間を過ぎても、2人で広川さとみさんの政策を全力でお伝えしました。
このまちの政治の歴史に詳しい人にとっては、小泉進次郎代議士と政治家フジノは『水と油』のカンケーということになっています。
けさの小泉代議士ご本人のブログにも
「今までだったら考えられないタッグだと思われるでしょうね(苦笑)」
と書かれていました。
でも、フジノは小泉代議士の国会での質疑はほとんど全て読んでいます。
もともと『政策』が一致する部分がたくさんあることも知っています。
その1つが放課後のこどもたちが安心して健やかに暮らせる為の場である『学童保育』についてです。
例えば、フジノは2010年11月21日の活動日記に、こんな風に記しています。
ところで、昨年(2009年)の『学童保育まつり』では、小泉進次郎代議士が熱心にお話を聴いてくれていた姿が、フジノの印象に強く残りました。
そして、もう1つ、本当にうれしかったことなのですが、『学童保育まつり』の3日後に行なわれた国会・内閣委員会の質疑で、小泉代議士がこのように発言をしたのですね。
(2009年11月18日・内閣委員会・議事録より引用)
「私は、先週の日曜日、地元でちょうど『学童保育祭り』というのがありまして、その場にも伺いました。そして、学童の保育に携わる方々からお話を伺いましたが、指導員の確保の難しさ、給料15~16万円で、それでいい方だ。そして離職率も高い、1年以内でどんどん辞めてしまう。
その中で、指導員の方々が『自分の今後の将来設計を長期にわたって考えて、自分の結婚も考えたり子育てのことも考えたりするのは到底できる環境に無い』と。
学童保育に携わっている方々すら、親が運営をしている、特に地元の方は民設民営ですから親が運営をしているんです。
その親が、学童保育を運営するに当たって、自分たちが学童保育の運営に携わることで自分たちの子供には目が届かないという、まさに本末転倒な事態も起きている部分もあるんです。
そういったものを考えると、福島大臣御自身も、自分が子育ての、母親として今まで学童クラブのお世話になったことがあると伺っております。
ぜひそうやってバランスがとれた政策を掲げていただきたいと思うんですが(以下略)」
この発言をインターネット中継で観て
「ああ、国会の場で学童保育のことが語られるようになった」と、フジノはものすごく感激したのをとても強く覚えています。
こども手当の満額支給か現物での支給か、という議論はともかく、こうした生活に密着した話題が国会で語られたことに深く感銘しました。
そして、小泉代議士は今年も続けて、『学童保育まつり』に来てくれた。
きっと彼は来年も来てくれるはず。
選挙前の年だからと突然に政治家(と政治家志望の人も)がたくさん来賓でやってきた今回の『学童保育まつり』はうんざりでしたが、彼だけはフジノにとってそんな政治家たちとは全く別の、さわやかな存在に感じたのでした。
不思議ですね。
フジノとしては、誰を好きとか嫌いだとか『感情論』ではなく、いつも『政策論』を優先して活動を続けてきました。
『学童保育』を全ての小学校に設置していきたい、という政策を掲げる広川さとみさん。
国会審議の場でそれを提案し続けてきた小泉進次郎代議士。
市議会の場で同じく提案し続けてきたフジノ。
だから、フジノにとって、同じ『政策』を持つ政治家が共闘するのは当たり前のことです。
まわりの人々が心配しておられるような感情は、特にフジノにはありません(苦笑)。
このまちをより良い未来に変えていく、そんな同じ想いを持つ方々と今こそみんなで力を合わせていきたいです。
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小泉代議士、本日はありがとうございました。