市長選挙が終わりました
2013年の横須賀市長選挙が終わりました。
すでにみなさまご存知の通り、フジノが勝手連として応援した広川さとみ候補は、落選してしまいました。
この敗戦は、フジノの力不足が原因です。
公職選挙法では、勝っても負けてもお礼もお詫びも申し上げられない決まりになっています。
その為、7万6,961人の市民のみなさまから託していただいた想いに対して、フジノはその想いを言葉にすることは許されていません。
広川候補とともに、フジノは全身全霊をかけて横須賀市中を駆け巡った1週間でした。
そして、広川候補と固い絆で結ばれていた小泉進次郎代議士とともに、横須賀の為に初めて1つになって闘った1週間でした。
この1週間の闘いを、フジノはこれからもずっと誇りに感じて生きていくと思います。
勝手連としての活動記録です
選挙期間中の様子を、手元にある写真だけですが、ご紹介します。
ここに紹介する写真は、あくまでも勝手連としてのフジノたちの活動です。
選挙1日目(6月23日)
浦賀で開かれた『出陣式』。
「フジノも出席してほしい」
と言われて、初めて本隊に合流しました。
広川候補の生まれ故郷、浦賀。
ものすごい暑さと日差し。
わずか40分の出陣式でしたが、すっかり日に焼けました。
勝手連のフジノですが、本隊に1つだけお願いをしました。
「どうしても西郷議員と渡辺議員と岩崎議員の3人と、フジノを一緒に廻らせてほしい」
とお願いしました。
西郷・渡辺両議員の演説は、とても素晴らしいです。
そして、岩崎絵美議員のアナウンスが加わると完璧です。
この3名の若手議員によるチームを『三銃士』とフジノは勝手に名付けていました。
『三銃士』+フジノ、ボランティアのAさんとKさん。
この6人で1週間、市内を駆け巡りました。
事務所では、広川候補が握手した市民の方々の数をカウントして毎日貼りだしていました。
フジノはすでに初日の時点で喉が潰れてしまい、声がガラガラになってしまいました。
選挙2日目(6月24日)
この日は、北久里浜駅前での駅立ちからスタートしました。
選挙に本格的に突入してからも、広川候補はこどもたちを笑顔とハイタッチで送り出し続けました。
今回の選挙で初めて亀井たかつぐ県議会議員の演説を聴かせていただいたのですが、素晴らしい演説の名手でした!
切れ味が鋭く、聴いた人の心に突き刺さる演説に感動させられました。
選挙3日目(6月25日)
3日目は、久里浜で活動をスタートしました。
広川候補ら本隊は、京急久里浜駅前へ。フジノたち勝手連は、JR久里浜駅前へ。
浦賀の県営かもめ団地では、すでに夜の暗闇の中で演説を行ないました。
フジノの演説が始まると、いくつものベランダから住民の方々がペンライト(懐中電灯?)を振って応援して下さいました。
そのあまりの美しさに、フジノは涙が止まりませんでした。
ずっと笑顔で走り抜けた選挙の1週間でしたが、ここでの演説だけは涙ながらの演説になってしまいました。
選挙4日目(6月26日)
この日は、雨の追浜駅からスタート。
15分だけ、広川候補の両脇に小泉代議士とフジノが並んでの応援となりました。
この日はずっと雨が降っていました。
夕方、平成町での演説はすさまじく強い雨の中で行ないました。
選挙5日目(6月27日)
ワイデッキでの駅立ちからスタートしました。
けさはついに広川候補の両脇に、小泉代議士とフジノが並びました。
選挙6日目(6月28日)
早朝、フジノは過労がたたったのか、血尿が出てしまいました。
ひどい痛みで立つことができませんでした。
最終日の最後まで立ち続けていられるようにする為に、朝の駅立ち〜午後まで休ませて頂きました。
夕方、勝手連に復帰しました。
不思議なことにマイクを握って演説している間は、お腹の痛みも全く感じません。
でも、自宅に帰ると途端にひどい痛みで動けなくなってしまい、「これならむしろずっと演説している方がラクなのかもしれない」と感じました。
選挙最終日(6月29日)
今日は朝から何度も何度も吉田候補とすれ違いました。
やはりかつての同志。
最終日に廻るべきコースは同じルートになるのだろうなと思いました。
残念ながら、勝手連のフジノは、本隊(広川候補ら)とは、1週間ずっと別行動でした。
朝の駅立ちと全てのスケジュールが終わった後の事務所でしか、広川候補のそばには居られませんでした。
本隊の凄まじい闘いぶりは、市民のみなさまがきっとご覧になられたはずです。
もしも許されるならば、本音ではフジノも広川候補のそばで闘いたかったです。
それだけが、7日間の唯一の心残りでした。
そんな僕の想いを知る小泉進次郎代議士(選挙対策本部長)のはからいで、最終日の夕方、横須賀中央のかわしま前で、3人だけで演説をさせて頂きました。
応援していた全ての市議・県議のみなさまの想いを託していただいて、若輩者のフジノにあえて演説を任せて下さった。
ずっとフジノは、反自民・反小泉で生きてきました。
そんな恩讐を越えて、フジノに演説の機会を託してくれたことを、とても意気に感じました。
小泉代議士、ありがとうございました。
6月30日・投開票日
夜20時、投票が締め切られました。
市内の投票箱は全て総合体育館(不入斗)に集められて、21時から開票作業が行われました。
22時過ぎまで開票作業を見届けた後、広川事務所へと向かいました。
23時20分頃、吉田候補に『当確』が出ました。
テレビ神奈川の選挙特番の映像の中に、当確が出た瞬間の放心状態の自分が映っていました。
政治家にとって、主権者である市民のみなさまの判断は『絶対』のものです。
したがって今回の結果は、政策を訴えるフジノの力が足りなかったのだと受け止めています。
広川候補の政策そのものはとても正しかった。
どうすればもっと多くの市民のみなさまにその政策を正しくお伝えすることができたのか、それは1日経った今もまだ分かりません。
1つ言えることは、これからもこのまちを守る為に自分は死ぬまでここで暮らしていくということです。
絶対にどこにも行かない。
このまちで最期の瞬間まで、僕はずっとこのまちで生きていく。
そして、僕と同じようにこのまちで生まれて、このまちで暮らして、このまちで死んでいく全ての人々のことを、僕は守りたいと強く感じています。
選挙という1週間の闘いは、終わりました。
けれども、このまちの暮らしは今この瞬間も続いています。
だから、闘い続けていきます。
ずっと。