20周年を迎えたAIDS文化フォーラムin横浜
参議院議員会館を出て、大急ぎで横浜へ向かいました。
『AIDS文化フォーラムin横浜〜これまでの20年、これからの20年〜』
に参加する為です。
毎年8月、横浜で3日間にわたって開催される素晴らしいフォーラムで、全国からたくさんの人々が集まります。
今年はついに20周年となりました。
開会式と午前のプログラムには参加できませんでしたが、午後にも10分科会+ミニ講座が開催されます。
参加したい分科会プログラムがいくつもありました。
SHIP主催の分科会、「満員御礼」!
数あるプログラムの中でフジノの一番のお目当ては、横須賀での性的な多様性の保障の為にいつも力を貸して頂いている『NPO法人SHIP』と、神奈川県保健医療部による共同開催の分科会です。
テーマは『多様化する性と青少年との関わりについて』です。
しかし、会場に到着してみると…。
すでに『満員』の為、入場できなくなっていました!
SHIPの分科会はしばしば『満員』になってしまうので、今年は最も大きい90人定員の部屋に変更したにも関わらず、それでも定員を超えてしまったそうです!
参加できないことは残念でしたが、同時にとてもうれしかったです。関心を持ってくれる方々がたくさんいらっしゃることに大きな喜びを感じました。
川田龍平議員の分科会へ
でも、落ち込んでいるヒマは全くありません。
参加したい分科会は、同じ時間帯でいくつも重なっているので、さっそく第2希望の分科会場へ向かいました。
それは、川田龍平さん(参議院議員・みんなの党)による講演です!
テーマは『いのちが最優先される社会の実現のために』です。
【分科会の内容】
HIV/AIDSの歴史に学び、薬害、医療、環境、放射能の被害からいのちを守れる社会を創るにはどうすればいいかを考えます。
川田龍平議員は『原発事故子ども・被災者支援法』の生みの親の1人です。
全ての会派が共同提案して成立した法律ですが、そもそものスタートは川田龍平議員と阿部知子代議士が衆議院法制局に法案の策定を依頼したことだった、とフジノは認識しています。
さきの参議院選挙で『子ども・被災者支援議員連盟』メンバーが何人も落選してしまいました。
そんな厳しい国会状況の中で、「生みの親」である川田議員が2期目の当選を果たして下さったことは大変ありがたいことだとフジノは感じています。
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ところで、川田議員はさっきまでフジノが居た『子ども被災者支援法推進自治体議員連盟結成集会』の冒頭で挨拶をして下さいました。
そのまま退出されて大急ぎで横浜に向かって、この分科会で講師を勤めておられたのです。
ですからフジノは、ちょうど川田議員を追いかけるような形で参議院→横浜へと戻ってきました。
1時間半の講演の後、質疑応答になりました。
一般の参加者の方々の質問がひと通り終わった後で、フォーラムにはそぐわないかもしれないとお断りをした上で、フジノも発言をさせて頂きました。
というものです。
川田議員からは逆に、フジノの暮らす横須賀には母港として米海軍の原子力空母が存在している現状やモニタリングポストなどが他都市よりも早くから設置してあることを例に挙げて、
「横須賀の市民の方々の放射性物質への関心は他都市よりも高いですか?」
と尋ねられました。
先ほどまでフジノは『原発事故子ども・被災者支援法』推進の為に参議院会館に居たものの、来賓として参加して下さった国会議員の方々はみな忙しくて、現実的に、意見交換をすることは不可能でした。
それがこうして本当にわずかな時間ではあったものの、国会議員による議連の事務局長を勤める川田議員と意見交換をできたことはものすごく貴重な機会でした。
フジノの質疑が会場の他の参加者の方々の想いを損ねることにならないかと心配でしたが、分科会終了後に複数の参加者の方から『原発事故子ども・被災者支援法』について話しかけて頂きました。とてもありがたいことです。
こんな機会を持つことができたのも、『AIDS文化フォーラム』に参加したおかげです。
フォーラム主催者のみなさま、参加者のみなさま、そして川田龍平議員と秘書の大坊さん、本当にありがとうございました!
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明日もあさってもフォーラムはかながわ県民センターで開催しております。
ぜひみなさまもいらして下さいね!