映画「逃げ遅れる人々・東日本大震災と障がい者」上映会へ

映画「逃げ遅れる人々」上映会へ

今日は、『あんしんネット横須賀』のみなさんが主催して下さった映画の上映会に参加しました。

タイトルは『逃げ遅れる人々〜東日本大震災と障がい者』です。

会場にて

会場にて


2012年に制作されたドキュメンタリー映画です。

震災から1年間の様子を「大地震」「大津波」「原発事故」「県外での避難生活」「当事者派遣」「避難所」の6章で描いています。

フラッシュバック

映画では、2011年3月から2012年までの1年間を描いています。

ちょっと映画そのものとは離れてしまうのですが…フジノがこの映画を観ながら感じたことを記したいと思います。

かつてフジノは、当時のスケジュール帳を読み返して数えたことがあります。

丸1日の「休暇」を取れたのは、1年間で4日だけでした。

とにかく「被災地支援の為に働かなければならない」と強迫的に働き続けていました。

フジノはうつ病とパニック障がいを抱えているのですが、2011年は忙しさで睡眠時間もほとんど取れず、クスリの量を増やしてもらいながら仕事に駆けずり回った心身ともに本当にキツい日々でした。

今日、映画を観ていたら、そんな日々が本当に目の前に見えているかのようにフラッシュバックしてきました。

映像を観ながら2011年の日々が目の前に迫ってきて胸がとても苦しくなりました

映像を観ながら2011年の日々が目の前に迫ってきて胸がとても苦しくなりました

これが2011年3〜4月のフジノの1ヶ月間でした。

5月からは、塩竈の支援、飯舘村の支援の活動にも力を入れました。

元気な若者であるにもかかわらず、持病のパニック障がいで乗り物に乗れない為に被災地に入ることができないフジノは、自分の価値がまるで無いような自責感にさいなまれました。

だから「とにかく今ここでやることができる全てをやらなければならない」と必死に走り回っていました。

毎日ほとんど寝ないで、政治家として、個人として、自分にできることは何かを考えて、とにかく走り回った日々でした。

こうした当時の状況がリアルに頭の中をフラッシュバックして、めまいや吐き気がしてきてしまいました。

フラッシュバックを体験したのは、初めてでした。

亀井県議がスピーチをして下さいました

亀井県議がスピーチをして下さいました


それでも、被災した障がいのある方々はフジノの何倍も苦しい日々を過ごしておられた事実に、映画を通して改めて直面させられました。

映画で描かれていたことは、フジノが理事をしているNPO法人地域精神保健福祉機構も被災地支援に入っていましたので、現地の情報としてリアルタイムで伝え聞いていたとおりでした。

本当にたくさんの方々が言葉にならない困難に追い込まれてしまったことを、映像で改めて追体験しました。

そして、その困難は今も続いていることを理解しています。

まだまだ政治家としても個人としてもやらなければならないことはたくさんあって、くじけてなんていられないのだ、と感じました。

映画についての情報

映画についてご紹介します。

公式サイトより作品紹介を引用します。

障がいがあるということは、災害時には普段以上のハンディとなる。

2011年3月11日の東日本大震災、未曾有の大災害の中、障がいを持つ人々に何が起きたのか?

福島県を中心に、被災した障がい者とそこに関わる人々の証言をまとめた。

障がいゆえに、地震や津波から身を守れず、また必要な情報も得られない・・・。

「ここではとても生活できない」「周囲に迷惑をかけるから」と、多くの障がい者が避難をあきらめざるを得なかった。そうしたなかで避難所に入った障がい者を待ち構えていたのは・・・。

更には仮設住宅へ入居しても、そこでも大変な不自由が待っていた。原発事故により市民の姿が消えた避難区域には、取り残された障害者が不安な日々を送っていた。大震災に翻弄される障がい者と、その実態調査・支援に奔走する人々の、困難の日々。

住み慣れた土地を追われ、避難先で新たな生活を模索する時、涙とともに故郷への思いがあふれる。

マスメディアでは断片的にしか取り上げられない、被災地の障がい者を取り巻くさまざまな課題や問題点が浮かび上がる。

下の動画は予告編です。

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