祖父の想いは叶わず、救急搬送に・・・
体調不良で苦しんでいた祖父の容態が好転しないので、深夜になって叔父が救急車を呼びました。
市内の病院に搬送されて、CTスキャンなどの検査を受けた後、肺炎と診断されました。
96才の現在までずっと医者いらずで暮らしてきて、外部から介護サービスを受けることも無い、自立した生活を続けてきた祖父です。
さすが大正生まれで、戦争にも行ってきたおじいちゃんらしい、立派な生きざまだと思います。
おじいちゃん子である僕は、祖父とたくさんの会話をしてきました。
政治家として『看取り』についても取り組んでいることから、祖父の『死生観』についてもいろいろ対話をしてきました。
「救急車も呼ばないでほしいし、亡くなるその瞬間まで自宅で暮らしたい」
これが一貫した祖父の意思でした。
「その想いを大切にして叶えてあげたい」というのが孫であり、おじいちゃん子である僕の願いです。
ただ、孫である僕の意思の前に、祖父の実のこどもたちである叔父らきょうだいの迷いや葛藤やその結果としての意思決定プロセスも、大切にしたいと願ってきました。
こうして昨夜については、叔父が救急車を呼んで、そして入院という結果に落ち着きました。
できれば祖父の願いどおり自宅に帰したい
在宅での看取りを大切なテーマとして取り組んできた政治家として、たくさんの現実をみてきました。
だから、もしも『リビングウィル』を明確に記していたとしても家族の間で意見が別れる姿はしばしば見てきました。
もちろん正解は、ありません。
ただ、政治家としての自分と、個人としての自分は別です。
入院先に向かう為に、僕はパニック発作に襲われながらもとにかく電車に乗って、その間いろいろなことを思い出してみました。
祖父と僕は、僕が幼い頃から本当にたくさんのことを語り合ってきました。
中学、高校、大学、そして社会人になってから、さらには政治家に転職してからも、僕にとって祖父は大切な存在で在り続けました。
家族には言えないことも、祖父に相談にのってもらうこともたくさんありました。
祖父は、決して言葉を多く語る人ではありません。
でも、僕にとってはたくさんの言葉よりも、その生きざまそのものと時々の対話を通じて『人生』について本当に多くのことを学んできました。
ここ数年は、人生を生きるということと死にゆくということについて、祖父と語り合ってきました。
僕は、おじいちゃんを退院させてあげたい。
そして、亡くなるならば祖父の望みのとおり、数十年間にわたって暮らし続けてきた自宅でその瞬間を迎えさせてあげたい。
だから、少しだけ元気を取り戻してほしい。
仕事は朝から晩まで詰まっているけれど、できるかぎり僕はたくさんお見舞いに行くから、おじいちゃん、あと少しだけ元気を出してね。