三が日もひとり自殺対策街頭キャンペーン
今夜も横須賀中央ワイデッキにて『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を行ないました。
フジノが話すのを最初は立って聴いていた女性が、途中からワイデッキのベンチに座って、メモを取りながら最後まで聴いて下さいました。
そして、街頭キャンペーン終了後に話しかけてきてくれました。
愛知県某市の保健所で保健師をしておられるとのこと、お正月休みを利用して横須賀市内に暮らす親戚に会いに来たそうです。
勤務しておられる某市では、なかなか自殺対策が進まないそうです。
「市議会議員が率先して自殺対策に取り組む横須賀はうらやましい」と褒めて下さいました。とてもありがたいことです。
自殺対策基本法が成立してからだいぶ経ちますが、財源も人材も不十分なまま。地方自治体ごとに取組状況もバラバラなままです。
「お互いにがんばりましょうね」とエール交換をしました。
追悼の気持ちを込めて
今夜、フジノは横浜でお通夜に参列して、とんぼがえりで横須賀に戻っての街頭キャンペーンでした。
新聞記者のMさんのお通夜です。
12月29日、突然の交通事故によって、まだ53才の若さで命を奪われてしまいました。
今夜はMさんへの追悼の気持ちを込めて、ワイデッキに立ちました。
何故なら、Mさんはフジノにとって『自殺対策に関わる仲間』のひとりだったからです。
『かながわ自殺対策会議』という2007年から神奈川県が開催している会議があります。フジノは必ず毎回傍聴することにしています。
Mさんは、報道機関の代表という立場で委員メンバーに選ばれていました。『あて職』でメンバーに選ばれると発言をしない委員もいらっしゃる訳ですが、毎回Mさんは発言も多くしておられました。
2009年からは『副部会長』に就任されました。
自殺対策の学校教育の現場への『出前講座』の実現や、周知啓発の為の街頭キャンペーン活動の実施や、その際に配布するリーフレットの作成など、いろいろなことにご尽力いただきました。
特に「街頭キャンペーンには、必ず首長(知事・市長)も参加すべきだ」と提案して下さいました。現在では、県知事も各市の市長らも街頭キャンペーンには必ず参加するようになっています。
さらに、2011年からは『副座長』に就任されました。
「鉄道駅のホームにはホームドアを必須のものとして設置すべきだ」という提案も行なって下さいました。これはフジノも繰り返し本会議で市長に対して提案し続けてきたことで、Mさんに援護射撃していただいた気がして、本当に心強かったです。
Mさんは、新聞記者の養成についても触れて、「記者研修には現在、自殺対策に関するものが無い。実現に向けて、自分が旗振り役にならねばいけない」ともおっしゃっておられました。
自殺対策への熱意は強く、フジノにとって、とても心強い存在でした。
Mさんとフジノは取材を通しての関わりは全く無かったのですが、横須賀市議としてのフジノの存在を知っていて下さり、傍聴に行くとよく声をかけて下さいました。
自殺対策に想いのあるジャーナリストが新聞社に存在してくれるということは、自殺対策を推進する上でものすごく強力な存在なのです。
そんなMさんが交通事故によって、理不尽にも命を絶たれてしまった。
もっともっとやりたいことがあったはず。やらねばならないことがあったはず。
僕は、Mさんの自殺対策への想いを引き受けて、これからも今まで以上に取り組んでいかねばならないと痛感しています。
Mさんの分まで絶対にがんばります。
Mさん、ありがとうございました。