祖父とのお別れ
お通夜に続いて、今日は祖父とのお別れの1日でした。
葬儀、告別式、出棺、火葬、骨上げ、繰り上げ初七日、精進落とし、と夕方まで続きました。
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遺影は十年くらい前の写真で、僕には強い違和感…。直近の祖父の方がもっと男前なのに。
祖父のお骨は、とてもしっかりしていました。
ああ、長生きした祖父のお骨は立派だなあ、と思いました。
戒名も生前の祖父をとてもよく表していて、「ぴったりだね」「いいね」と親戚もみんな気に入ったようでした。
人は死んでも終わりじゃないとつくづく感じる
今日のこのブログのタイトルは『祖父とのお別れ』と書きました。
でも、『お別れ』どころか、むしろ祖父の存在をより身近に僕は感じています。
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斎場からの帰り道、夕暮れ
確かに、物理的には肉体は消えてなくなりました。
でも、祖父の写真も動画も僕はたくさん撮ってあるので、声を聴きたければいつでも聴くことができるし、顔を見たければいつでも見ることができます。
「祖父の戦争の体験を途絶えさせてはいけない」と思った高校生の頃から、機会をとらえて祖父のお話をたくさん録音・撮影させてもらっていました。
だからiPhoneでデータを呼び出せば、僕はすぐに祖父と再会することができます。
それ以前に、目を閉じれば、すぐに祖父の優しい顔が浮かびます。
亡くなる直前までユーモアをもって僕に接してくれた、祖父の声が聴こえてきます。
「人は死んでも終わりじゃない」
と、つくづく感じます。
祖父は僕の中に生きているのだと思いました。