朝日新聞「ひと」欄に、遠藤まめたさん!
今日は朝からとてもうれしいことがありました。
朝日新聞の2面『ひと』欄で、遠藤まめたさんが取り上げられました。
執筆したのは、横須賀にも取材に来て下さった二階堂友紀記者です。
LGBTの若者支援に取り組む
遠藤まめた(27)
『多様な性にYESの日』だった17日、神奈川県横須賀市で多様性を象徴する虹色の旗を振り、全国から集めたメッセージを読んだ。同性愛が国際疾病分類から外され、治療の対象でないと認められたことを祝う国際的記念日だ。
「遠い話ではないと気づいて欲しい」。
2007年に始めたアクションは全国15カ所に広がった。
『まめた』は小学校時代のあだ名だ。両親は女の子向きの名前をつけてくれたが、幼い頃から性別への違和感は募るばかりだった。
母が用意するスカートを玄関の外でズボンにはき替え、小学校に行った。修学旅行では女子と一緒が嫌で、入浴時間に姿を消した。
1998年、埼玉医科大で日本初の性別適合手術――。ニュースを11歳の自分に重ねることはなかった。大人になれば男になると信じていたからだ。しかし、中学で胸が膨らみ始め「間違いが起きた」と混乱した。高1の冬、インターネットで性同一性障害だと気づき、やっと人生が広がった。
子どもたちに「大丈夫だよ」と伝えたい。
18歳から、性同一性障害や同性愛などの性的少数者「LGBT」の若者支援に取り組む。今月、その7割が小中高時代にいじめられていた、との調査結果を発表した。自殺の危険性が高く、支援が必要だ。
自ら命を絶った友人を思い、「同じことをいつまで繰り返すのか」と問いかける。
(文・二階堂友紀 写真・仙波理)
とても良い記事で、2つの意味で嬉しかったです。
まず何よりも、遠藤まめたさんが全国紙でこれだけ大きく報じられたことが嬉しかったです。
フジノが性的マイノリティに関する政策に取り組む為の、強いモチベーションを与えてくれたのが、遠藤まめたさんです。
つまり、まめたさんがいなければ、横須賀市の性的マイノリティに関する政策がここまで進むことはありませんでした。
ささやかな例で言えば、今年2月に横須賀市が開催したパネル展示も遠藤まめたさんの協力なしには実現できませんでした。
同じように、まめたさんがいなければ、全国の性的マイノリティに関する政策の進展はもっと遅かったことでしょう。
フジノに大きな影響を与えたように、まめたさんは全国各地に足を運んで、大きな影響を与えてきました。
国内だけでなく、広く海外との協力・連携にも取り組んでこられたのです。
そんな長年にわたるまめたさんの取り組みを、フジノは見てきました。
だから、彼のことはもっと広く知られるべきだし、彼の活動と成果がもっともっと評価されるべきだと感じてきました。
今回の記事は、その第一歩だったと感じます。
とても嬉しかったです。
横須賀での「多様な性にYESの日」が取り上げられました
そしてもう1つは、横須賀での『やっぱ愛ダホ!』の取り組みが記事の文中で取り上げられたことです。
横須賀市の性的マイノリティ支援の取り組みは素晴らしいのですが、広報戦略には力を入れていないのでアピール力が決定的に欠けています。
そのせいで、横須賀の取り組みはまだ専門家にしか知られていません。
そこでフジノは今年、『広報戦略に力を入れて、横須賀の取り組みをきちんと広く知らせること』に重点を置くことにしました。
全国へのアピール(全国紙・テレビなどのメディア)と市内へのきめ細かなアピール(地元紙・タウン誌などのメディア)が共に必要ですから、今回17日の『愛ダホ!』に、朝日新聞本社とタウンニュース紙が取材して下さったことは、本当にありがたかったです。
でも、朝日新聞には載らない可能性がとても高かったのです。
実は17日のワイデッキで、あらかじめ二階堂記者からは
「今回の記事では、『横須賀の性的マイノリティ支援』をどこまで紹介できるか分からない」
と言われていました。
だからフジノは「残念だけど、横須賀の取り組みは全く記事には出ないのだろうな」と思っていました。
でも横須賀の取り組みを二階堂記者に知ってもらえて良かったし、ラッキーなことに、横須賀市の人権・男女共同参画課長と係長の2人を二階堂記者に引き合わせることもできました。
全国紙に掲載されるインパクトは大きいけれど、今回は仕方がない。次こそ必ず!
…なんて考えていたのです。
それがまさかこんな形で文章にしてもらえるとは思いませんでした。
もちろん遠藤まめたさんを紹介するという主旋律の前にちょっとだけ流れたイントロに過ぎません。
でも、ゼロでは無い。横須賀の性的マイノリティ支援の姿勢がわずかでも活字になって全国に届けば、それでも大きな一歩です。
横須賀で多様な性にYESの取り組みを実施したという情報が、この情報を必要としている方々に一瞬でも目に触れたならば、必ず届くはずなのです。
嬉しい。
生き残った側の闘い
最後に、個人的に感じたことを記します。
●
人それぞれに闘いを続けていく理由はそれぞれなのですが、僕の場合は、まめたさんと似ています。
生き残った側というのは、誰よりも苦しかったのは死へと追い込まれてしまった人々なのだ、ということを深く理解しています。
だからこそ、そうした人々の苦しみを想えば、どんな時でも諦めずに闘いを続けていくことができるのです。
そのどんな時にも諦めずにファイティングポーズを取り続けている姿勢が、時に世間からは美談のように記さることもあります。
「強い人だ」と慕われたり褒められたりすることもあります。
でも、本当はそれだけでは無いんですよ。
もう立ち上がれない、自分も負けてしまった、と感じている時もたくさんあるのです。
でも、生き残った側は、そんな感情を漏らすことさえ許されないと感じていることもしばしばあるのです。
それは美談では無いし、強い訳でも何でも無いのです。
それでも闘うしか無いから、闘うしか無い。
あるいは、もしも自分まで損なわれてしまったら、僕たちを信頼して付いてきてくれている人々はどうなってしまうのだろう、それを思うと立ち上がるしか無い。
そんな気持ちになることだってあるのです。
もしかしたら、まめたさんはそんなことは思わないかもしれません。
ただ、僕はそんな風にしばしば感じながら、とにかくまた立ち上がってファイティングポーズを取り直しています。
●
さあ、明日もがんばろう。