池袋からとんぼがえりでワイデッキへ
池袋から大急ぎで横須賀に戻って、そのままワイデッキへと向かいました。
今夜も『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』を行ないました。
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今夜のワイデッキは、ここ数日で最も人出が多かったです。
きっと忘年会に行く為に、みんなで待ち合わせをしておられたのだと思います。
若い人たちがものすごくたくさんいました。
あいかわらず若い人たちはフジノの演説をよく聴いてくれて、声もかけて下さるので、ありがたかったです。
でも、今夜もっとうれしかったのは、中高年の男性が何人も足を止めて、ずっと演説を聴いていて下さったことです。
中高年の男性の多くは、まだまだ悩みごとや苦しい気持ちを相談窓口などで吐き出す、という行為はしづらい世代だと思います。
むしろ、お酒を飲んでつらさを紛らわす、あるいは男は黙って耐える、というような感じ。
けれどもフジノはそんな高倉健さんの映画のような価値観はもういらないと考えています。
どんどん中高年の男性にグチってほしいのです。
そういう想いでいるフジノですから、わざわざ足を止めてずっとお話を聴いていて下さったことにとてもありがたい気持ちになりました。
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正直なところ、もうずっと何ヶ月も休んでいなくて、体もこころも限界に近づいているのを感じます。
丸一日の休みを取ったのも、父が危篤だからベットサイドで泊まった時くらいです。でも、翌朝にはすぐに仕事に戻りました。
心身の限界を感じながらも、それでもフジノは「みなさん、どうか何でも相談して下さい。どんなことでもけっこうです」と言い続けずにはいられないのです。
それが政治家の仕事だと信じているし、藤野英明という人間がやらなければならない仕事なのだと信じているのです。
馬鹿げたヒロイックな考え方ですけれども、少なくとも御用納めの9日間連続で官公庁が休みの期間も
「公的な支援は無くてもセーフティネットを絶対に無くしません」
「みんながあなたを見放したとしても、少なくともフジノはあなたの声を聴かせてほしいと願っています」
と叫びたいという、内臓の奥の方から強い衝動がこみあげてくるのです。
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他の人々みたいに、年末年始、こたつに入ってテレビを観ながらみかんを食べたり、いくらでもだらけようとすれば、休むこともできるかもしれません。
でも、フジノは絶対にそこに逃げたくないんです。
何故なら、フジノは『現実』を知っているから。
困っている人、苦しんでいる人、誰にも助けを求められない人、声を上げられない人がいるという『現実』を知っているから。
「現実を知っている人間は、逃げてはいけない」とフジノは信じているのです。
ささやかなことですが、今日、モアーズで迷子のこどもがいました。僕は放っておきたくないのです。一緒に親御さんに会えるまで、その子につきあいました。
忙しいし、シカトすることもできたと思います。でも、僕はイヤなんです。
迷子でさえ見過ごしたくないフジノは、目の前の『現実』を知っているのに、逃げたくないんです。
真正面から『現実』を変えたいんです。
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明日は丸1日、マラソンカフェトークなのでずっと続けてきた『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』もおやすみします。
けれども、大晦日も元旦も三が日も必ずフジノは声をあげつづけます。
声にならない声に、耳を傾け続けます。
何故なら、そうせずにはいられないからです。
誰かに褒められたり認められたりなんて、そんなことはどうでもいいんです。
そうせずにいられない、だから、やる。
やり続けます。