あなたにとって来年が良い年になりますように祈っています/父のお見舞いへ

夕方を過ぎてからようやく父のお見舞いに行くことができました

今日は朝からずっと仕事が忙しくて、自分の時間がとれたのは夕方になってからでした。

大晦日は毎年、父のお見舞いに行くことにしています。

すでにみなさんがご存知のとおりで、僕の父は脳出血によって植物状態になってしまいました。かれこれ11年目になります。

大晦日の病院はガランとしていて静かです

大晦日の病院はガランとしていて静かです


父は大晦日まで生き延びることができたのは奇跡だと感じます。

今年だけで合計5回、危篤を言い渡されました。

朝早くや深夜を問わず、「今夜がやまです」「もってあと数時間です」「危篤です」「ご家族の方、いらしてください」という病院からのコール。

そのたび、フジノはパニック障がいに悩まされながら、父の入院している病院に向かいました。

泊まりこみでベットサイドに座り、生と死の間を行ったり来たりする父の姿を見つめ続けました。

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手

拘縮で固まってしまい、カサカサになってしまった父さんの手


12月に入ってからも父の状態の悪さは変わりません。

12月27日には39度の発熱、今日31日も37度から下がりません。

元気な頃の父の平熱は35度なので、そうとう苦しい状態なのだろうなと切なく感じます。

でも、「生きよう」とし続けている父の意思を僕はこころから尊重したいと思います。

お見舞いから戻ったら『ひとり自殺対策街頭キャンペーン』に向かう。

これが毎年のスケジュールです。

けれども横須賀に戻った時点で、すでに21時を過ぎていて、今年は叶いませんでした。

明日、1月1日はいつもどおり街頭に立ちます。



こころからみなさまの幸せを祈っています

本当ならばご自身もこどもたちとゆっくりとお正月を迎えたいであろう、警察、消防、救急、自衛隊、医療福祉関係のみなさん、サービス業のみなさま。

本日もお仕事、本当におつかれさまです。

あなたがたの働きのおかげで、世の中の多くの人たちが安心して暮らせています。政治家として、こころから感謝しています。

フジノ自身は今年は苦しいことがとにかく多かったです。

1月には、大好きな祖父が亡くなりました。

そこから立て続けに大変なことばかりが続きました。

8月には、15年ぶりくらいに僕の精神疾患も重くなってしまい、いつ自殺してもおかしくない日々が続きました(わが主治医の治療はすごい。4ヶ月後の今、なんとかフジノは生きていますからね〜)。

それだけに、人の優しさが深くこころに染み入る1年でもありました。

たくさんの出会い、細やかな優しさ、温かい気遣い。

感謝してもしきれません。

フジノが2014年を生き延びることができたのは、友達や先輩のおかげです。本当にありがとうございます。

そんなつらい日々にあっても、今回フジノは自分の病状の深刻さを世間に対してお伝えしなかったので(伝える余裕も無かった)、市民のみなさまからはどんどん相談や仕事の依頼が押し寄せました。

政治家フジノを信じて助けを求めて下さるこんなにもたくさんの方々がいらっしゃる以上、一刻も早く元気になって仕事しまくらなければ。

その想いがリカバリーへの後押しになりました。

フジノをこきつかい続けて下さる市民のみなさまにも、こころから感謝しております。

そして、その感謝の気持ちはたくさんの政策の実現でお返ししてきたつもりです。

今年もフジノの提案がたくさん実現しました。

フジノは自信をもって自ら「僕は今年も政治家としてかなり良い仕事をしてきました」と自負できるのも、いつもフジノを信頼して下さる市民のみなさまのおかげです。

その信頼に対して、フジノはいつも全力で働いて成果を出すことで、お返しをしてきました。

これからも常にその信頼に対して、成果をもってお応えしていく政治家でありたいと想っています。

フジノにとって年末年始もふだんと変わりませんし、明日も今日と変わらずいつもどおり全力で働くだけです。

でも、暦としてはひとまず「新年」になるので、人々の気持ちが新たに幸せに満ちた年になることを祈っています。

どうか、あなたの2015年が少しでも喜びと幸せの多い1年となることを願っています。

その為にフジノは、政治家として、個人として、全身全霊を尽くして働いていきます。

みなさま、どうぞ良いお年を!



大晦日の病院はガランとしていて静かです

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