春光学園に雫有希選手の代理で「招待券」をお渡ししてきました
2.14バレンタインデーに開催されるチャリティープロレス横須賀大会『きらきら太陽プロジェクトfor横須賀〜愛〜』。
本大会では、児童養護施設のこどもたちや、ひとり親家庭の方々を、たくさんご招待しています。
そもそも『全てのこどもたち』に『希望』は『有る』という願いから、リングネームが『雫有希』なのです。
そんな雫選手の強い祈りの気持ちを現実のものにしていく為のひとつの形が、本大会です。
●
多忙の為に横須賀に来れなかった雫選手のかわりに、フジノが『春光学園』(児童養護施設・横須賀市小矢部)を訪問しました。
そして、2.14横須賀大会の『招待券』をお届けしてきました。
当日は約20名のこどもたちがプロレス大会に遊びにきてくれます。
プロレス好きの個人としても、こどもたちの社会的養護を大切に取り組んできた政治家としてもフジノは、たくさんのこどもたちに楽しんでもらえることが嬉しくてたまりません。
70周年を迎えた春光学園
『児童養護施設』は名前こそ『施設』と銘打っていますが、こどもたちの大切な『生活の場』です。つまり、『家』です。
なるべくこどもたちの邪魔にならないようにしようと思って、こどもたちが学校に通っているお昼の時間帯におじゃましました。
そして、招待券だけお渡ししてすぐに帰ろうとしたら…。
「フジノくん、せっかく来たんだからお茶でも飲んでいきなよ」
と小林秀次園長が声をかけて下さいました。
実はフジノにとって小林園長は、『こども家庭福祉』の世界の大先輩なのです。春光学園の園長に就任される前から、フジノにとって大切な先生のひとりです。ありがたくお話を伺っていくことにしました。
『春光学園』は今年、創立70周年を迎えました。
その記念式典が12月に開催されるのですが、記念誌を作成する為に小林園長はここしばらくあらゆる資料を漁って、70年の歴史を振り返っているそうです。
そもそも『春光学園』とフジノはおつきあいがとても古くて、二十歳の頃に大学の『社会福祉論』の授業のレポートで春光学園を取り上げさせて頂きました(もう21年も前のことですね)。
『春光学園』の創立の歴史もかなり勉強したのですが、今日、改めて小林園長に見せて頂いた資料の数々はすごかった!
戦後すぐに立ち上がった『春光学園』の歴史は、『日本の社会福祉の歴史』そのものと大きく重なっています。
フジノが最も感激したのは、『当時の日報や月報を職員の方々が今日まで保管してこられたこと』です。
資料そのものの価値も素晴らしいのですが、「よくぞ、70年間保管し続けて下さった!」という想いでいっぱいです。
さらに、今までフジノは創立10年目(昭和30年頃)の『春光学園』の写真は見たことがありました。これは市の刊行物などにも掲載されています。
しかし、それをさらに遡ること10年、つまり創立当時の写真が見つかったのです。感動しました!
また、昨年フジノは終戦直後の『ララ物資』がいかに日本にとって大きな意味があったかを学び直した訳ですが、今日は『日本の戦後の福祉にいかにアメリカ軍の篤志家の大きな協力があったか』を学び直しました。
70年前から現在に至るまでの日誌を小林園長は丁寧に読みながら、毎日の出来事をピックアップしてノートにまとめておられました。それを拝見すると、アメリカ軍の篤志家(特にこどもたちに想いの強い方々)の定期的かつ莫大な食糧や資金の援助が浮かび上がってきました。
もちろん、横須賀の先人のみなさまの活動があってこその『春光学園』なのですが、日本人だけでなく、特にアメリカ軍の軍人の方々の支援が大きかったことを改めて痛感させられました。
●
その後、さらに『春光学園』と横須賀市が進めている学習支援のブース(昼間なのでこどもたちはもちろんいません)などの様子を拝見したり、園内を改めて見学させていただきました。
本来ならば、こっそりと招待券をお渡ししてすぐに帰るつもりだったのですが、すっかり長居をしてしまいました。
フジノはずっと『春光学園』とこどもたちを応援しています。
「こどもたちには常に希望が有る」と信じる雫有希選手と、『春光学園』の出会いは必然だったのだろうなあと思います。
2.14横須賀チャリティープロレス大会『きらきら太陽プロジェクトfor横須賀〜愛〜』、ぜひみなさまいらして下さいね!
お待ちしております!