ついに12年間ただひとりフルで質問に立ち続けました
最近、井坂しんや議員としみじみとお話する機会がありました。
井坂議員もフジノも、「本会議場では緊張することもなく堂々と議論をしている」と市民のみなさまには見えていることでしょう。
けれども、ふたりともそうではありません。
本音を語り合った結果、井坂議員もフジノと同じように苦しみながら緊張しながら壇上に立っていることが分かりました。
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ほとんどの市民の方々がどうやって原稿が作られるかはご存知ありませんよね。
もちろんフジノも政治家に転職する12年前まで全く知りませんでした。
無所属のフジノは、たったひとりきりです。
だから、誰にも質問原稿の作り方を教わったことがありません。
完全に『自己流』です。
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フジノが原稿を作る理由や方法は、こんな感じです。
質問の原稿を作る以前に何年も何ヶ月もその問題にとりかかってきて、たくさんの方々の悲しみの声や苦しみの声を聴いて、何とかして解決できないかと必死に法律や制度を学びます。
それでも動かせない、だから本会議で質疑に立って現実を変えるしか無い。
そう決意して、必死で原稿を書いていくのです。
何日も徹夜します。
フジノの場合は、どんなに議会会期中でも市民相談を受けることにしているので、事務所に戻れるのは夜になってからです。
そして、食事を取る時間や寝る時間を捨てて、ひたすら質問原稿を書くのです。
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本会議の前日や当日は、緊張でアタマがおかしくなりそうになります。
フジノの場合、本会議場に立つと足がすくんで、ブルブルと震えます。
本会議で質問に立つ議員の後ろ姿を観ることができるのは、ただひとり。議長だけです。
だから、かつて市議会議長をしておられた歴代の方々(例えば、神保議員、山下議員、山口議員、現在は板橋議員)はみなそれを知っています。
かつて山口議員が議長だった頃や神保議員が議長だった頃には、そんな緊張で倒れそうなフジノの様子を見かねて
「大丈夫だぞ」
「フジノ、しっかりしろ」
と小声で議長席からそっとフジノに声をかけて下さることもしばしばありました。
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市長のバックには、3000人の職員がついています。
本会議の最中も、議場の隣の小部屋には担当課長がずらりと待機してインターネット議会中継を観て答弁を書く為にせいぞろいしています。
本会議中に市長のもとにいろいろなメモがガヤガヤと回ってくるのは、別室の課長たちが書いたメモが回ってきているのです。
だから、フジノは本会議場で質疑に立つ時、たったひとりきりで3000人の職員と議論をしているのです。
すさまじい緊張感です。吐き気が毎回します。
フジノには精神疾患があってメンタルクリニックに通っていますので、頓服で処方されているクスリをいつも以上にたくさんのんで(多分ふだんの6倍くらい)、何とかその場に立ち続けることができています。
そもそも質疑が無い日であっても、本会議場に座っていると、40万人市民の代表としてそのいのちと暮らしを左右する決断をしているのだと感じて苦しくて、頓服薬をのむ量は増えてしまいます。
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それでも意地でファイティングポーズを取りつづけるのは、その質問を作ったもとになった人々の顔が目に浮かぶからです。
僕は、たくさんの涙を見てきました。
たくさんの大のおとなが、僕の前でおいおいと涙を流すのを見てきました。
あなたは誰かに涙を流しながら助けを求められたことがありますか?
僕は、政治家に転職してから何千回もそんな場面に出会ってきました。
僕はそのたくさんの涙を背負っているのです。
逃げる訳にはいきません。
僕は、自分の脳みそがどうなってもいいから、一般質問を終える為に、現実を前に進める為に、処方されている精神安定剤をがぶのみして質疑に立ちます。
僕の敵は、市長ではありません。
僕の敵は、僕のこころの弱さやからだの弱さです。
たくさんの人々の苦しみの声や悲しみの声を最後の最後まで代弁する為に、どんなことがあっても壇上に立ち続けなければならないのです。
それなのに僕のからだもこころも弱くて、メンタルクリニックに通っていたり、肺に穴があいていたり、健康な四十代の会社員の方々であればできるような当たり前のこともできません。
でも、僕はどんなことがあってもファイティングポーズを取り続けるのです。
そんなダメでもろい僕が、40万人の想いを背負って潰れてしまいそうになりながら、それでも12年間、1度きりも休むこと無く本会議で質疑を続けました。
フジノが政治家に転職してから、毎年4回ひらかれる定例会で1度も質問を休まなかったのはフジノただひとりきりです。
全ての本会議でフジノは必ず質問に立ってきました。
あえて言います。
この『偉業』を破ることができるのは、たぶんこの先ずっと横須賀市議会には現れません。
フジノだから、できた。
いろんな人の悲しみや苦しみに同化してしまうフジノだから、できた。
質問に立たなければ、いろいろな人の悲しみに応えられない自分を死ぬほど責めてしまうフジノだから12年間ずっと立ち続けることができたのです。
新人議員が当選してくるたびに、「おれと同じことをやってくれ」「毎回必ず質問に立ってくれ」と祈ってきました。
でも、今まで誰もフジノと同じことをやれた新人議員はいません。
毎回必ず本会議で質問に立てた新人議員は、ゼロです。
とても悲しく、でも同時に、しかたがないことだとも感じます。
質問に立ち続けるのはフジノの宿命、『やらねばならないこと』だからです。
誰もフジノの代わりになってくれる人は、いないのです。
ハッキリ言って、こんなふうに他人の悲しみにシンクロして生きる人間は政治家をやるべきではないと思います。
ふつうの政治家の多くは、もっと他人と良い意味で距離感を持つことができています。
フジノにはそれができません。
苦しんでいる人がいれば、自分も苦しいのです。
その苦しみを取り除かなければ、自分も苦しくてたまらないのです。
こうして、12年間ずっと人々の苦しみを聴き続けて、そして本会議場で吐き出し続けてきたのです。
明日、12年間で最後の本会議場に立ちます。
言葉のあやではなく、「いのちを削って作った質問」を市長と教育長にぶつけてきます。
どうせいつもの市長のことだから、フジノには短い答弁(しかも質問とは全くカンケーのない、質問の本質をそらしたどうでもいい内容)が返ってくるだけでしょう。
それでも、全身全霊をかけて言葉を発してきます。
何故なら、それがフジノの仕事だから。
質問に立たなければ、政治家フジノが生きている意味は無いから。
がんばってきます。