「政治家フジノ」は入学式や卒業式には「来賓」として参加しません
フジノは、政治家に転職してから入学式や卒業式には来賓として一切参加しないできました。
何故ならば…あなたも分かるでしょう?
幼い頃の僕は、せっかくの卒業式や入学式で、同級生や先生との別れや出会いの大切な時間を過ごしているのに
「来賓として国会議員の●●さんが・・・」
とか紹介されたり
「市議会議長の●●さんが本日、来賓として・・・」
とか長ったらしい挨拶をされたり
正直なところ、とても違和感をおぼえたし、顔を売りに来ている感じがとても嫌だったからです。
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だから、自分が政治家に転職した後も「卒業式・入学式には『来賓』として行かない」というマイルールを作りました。
かつて自分が体験した嫌な気持ちを、下の世代(現役の小中学生・高校生たち)に感じさせたくないからです。
そして、そのルールをずっと守ってきました。
(*統合を止められなかった桜台中学校だけは除きます)
県立横須賀高校・定時制の卒業式に「個人」として行ってきました
でも、今年はどうしても『卒業をお祝いしたい存在』がいました。
やぎしゃんです。
僕は彼の卒業がこころから嬉しいし、これから社会に出ていく彼を拍手で送り出したいとこころから願いました。
「無事に卒業が決まった」との報告を受けた後、あらかじめやぎしゃんにはオッケーをもらった上で、『保護者・知人・友人』の座席に座ることにしました。
ラッキーなことに、学校側から『来賓』としての招待状も届きませんでした。ホッとしました。
招待状が来るたびにお断りのお返事を出しているのですが(それはとてもおっくうで心苦しい作業です)、お断りをしたのにそこへ行くという事態になったら、もっとやっかいだったからです。
こうして僕はいち個人として卒業式に向かいました。
こころおきなく『保護者・知人・友人』ゾーンにひとりの個人として座って、彼の旅立ちの日に立ち会うことができました。
それにしても、体育館はすさまじく寒かった!
実はここはフジノの母校でもあって、高校時代は寒さなんて全く感じずにここで体育をしたり同じように卒業式を体験しています。
巨大な暖房(オレンジ色のものすごいカーボンヒーターみたいなもの)が付いているのに、足元から凍えるかと思いました。これはフジノが年をとった証拠です(笑)
卒業生代表の言葉に思わず涙が出ました
でも、そんなフジノの凍えきった体が思わずしゃきっとした瞬間がありました。
『卒業生のことば』を、卒業生代表が語った時のことです。
昼間は働いて、年上ばかりに囲まれて過ごしているみんなは、きっと同世代よりも早く大人になることを要求されてきた4年間だったことだと思います。
そんなみんなが仕事を終えて登校すると、教室では少しホッとしながら、疲れた体でもクラスメートに再会した嬉しい気持ちで元気が出た。
そうして4年間を乗り越えてきた…。
そんな卒業生の言葉に、思わず感動してしまい、涙が出てしまいました。
本当に素晴らしい答辞でした。
やぎしゃんにお祝いの言葉をじかにかけれたことも嬉しかったけれど、卒業生代表の彼女の『卒業生のことば』を聴けたことで、僕は本当に今日ここに来て良かったと感じました。
やぎしゃん、ご卒業おめでとうございます。
僕はあなたの将来がきっと素晴らしいものになると信じています。
「高校」の校歌を22年ぶりでも歌えました!
ところで、我が母校にはフシギな文化があります。
それは、『高校』の校歌を歌える人があまりいないのです(もちろん歌える人もいます)。
1908年創立という長い歴史を持つ『県立横須賀高校』は、かつて、旧制中学校だった時代があります。
つまりスタートした当時は『県立横須賀中学校』だったのです。
その時の『中学校の校歌』の方が在校生にも卒業生にも愛されているのです。
それは、フジノの先輩方もそうでしたし、フジノの現役時代もそうでした。
やぎしゃんの2015年の今も、変わらないままだそうです。
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それでも今日の卒業式の最後、『高校の校歌』をみんなで歌いました。
22年ぶり、しかも現役高校生時代にもほとんど歌った記憶がありません。
でも、完璧に歌えました。歌詞カードも見なくても歌えました。
我ながら本当に不思議でした。
何故ならば、同級生はみんな知っていることなのですが、現役時代フジノは高校が大嫌いでした。
欠席はしないものの、遅刻の数の多さは学年で2番めに多かったです。
バイトとバンドに明け暮れて、とにかく高校に居たくありませんでした。
さらに、政治家に転職した12年前。
立候補したフジノに対して、横須賀高校OB・OGらしき人々から『2ちゃんねる』などのネット上でひどい誹謗中傷を書かれました。
「横須賀高校の恥!」
「同じ卒業生だとか思われたくない」
こんな小さな半島の中だけの進学校を卒業したことを大人になってもいつまでもプライドに抱えてる情けないヤツらだと、フジノもますます母校を嫌いになりました。
だから、フジノは高校現役時代から卒業して現在に至るまで、一貫して母校が大嫌いです。
同級生たちは大好きなのですが、高校そのものに対する気持ちは全くポジティブな想いがありません。
マスメディアの取材などで卒業した高校を尋ねられると、必ず答えないできました。
そんな僕なのに、高校の校歌がそらんじて歌えたのだから不思議。
生きていると、永遠にありえないと思っていた『和解』というものがふと訪れるのかもしれませんね。