ひとりごと
「現役の政治家は、任期の限り精一杯働くことだけに専念すべきだ」
そう信じています。
ですから、マスメディアの方の取材や市民の方からお尋ねされるたびに
「予算議会が終わるその日(3月25日)まで、自らの今後の身の処し方をフジノはお伝えするつもりはありません」
と答え続けてきました。
けれども、率直に申し上げて、悩んでいます。
吐き気がするほど毎日考えてしまわずにいられません。
僕は、再出馬すべきなのか、否か。
上の新聞報道の通り、立候補予定者向けの事前説明会が開かれました。
ほとんどの市民のみなさまは知らないと思うのですが(12年前のフジノも知りませんでした)、この説明会に参加して配られる資料をもらわなければ立候補にエントリーすることが(『実質的』には)できません。
だから、迷い続けて悩み続けているままのフジノも、参加しました。
けれども、僕は迷っています。
僕は、自分がこのまちに必要とされているとは自分自身では全く感じられないのです。
やらねばならないことは、いつだって山積みです。
だから、いつだって全身全霊をかけて働いてきました。
全国に誇るような政策をいくつも実現してきました。
今まで実現した政策の数々は、たくさんのテレビや新聞や本に取り上げられました。
そして、今日だって朝から真夜中までずっと(本当に寝ないで食べないで)ずっと市民の方からのご相談を受け続けています。
悩んでいようが、親が死にかけていようが、うつ病持ちでパニック障がい持ちで移動もままならなくても、弱音を吐きながらも、いつだって僕は全力で働いてきました。
けれども、市民のみなさまは『政治家フジノ』を本当に必要としているのでしょうか?
- 『政治家フジノ』が存在することが逆に、『お任せ民主主義』を深めていませんか。
- 『政治家フジノ』が12年前に誕生したせいで、誰でも安易に立候補するようになって、このまちの政治家たちは明らかに『劣化』が進んでいませんか。
- 『政治家フジノ』が吉田市長の1期目の当選を応援したせいで、このまちからは明らかに『活気』が失われていませんか。
歴史に「もしも」は存在しませんが、もしも12年前にフジノが政治家に転職しなかったならば、今の現実はもっとマシなものだったかもしれないとさえ感じる時があります。
僕は、与えられた仕事だけでなく、自分で勝手にどんどん現場に入っていって、苦しんで助けを求めている人の声が微かにでも聴こえれば、どこにだって飛んでいきます。
その悩みや苦しみに、どんなに月日が経とうとも寄り添い続けていきます。
でも、それは『政治家』でなくても僕にはできることです。
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明日も、予算委員会です。
政治家フジノはいつもどおり全身全霊をかけて質疑をしてきます。
後日追記:3月30日、結論を出しました
この日書いたように、ずっとずっと悩み続けてきたフジノです。
けれどもようやく3月30日に結論を出しました。
その時の想いを記したブログがこちらです。どうかご覧下さいね。