「それでも政治家ならば、本会議に出席するのが務め」
何度も自分にそう言い聞かせても、けさは本当に市議会に行くのが嫌でたまりませんでした。
今日は12月議会の本会議(2日目)。
そして、山城保男さんが亡くなった翌日。
6月に父が亡くなった時も、僕は何事も無かったかのように本会議・委員会に出席し続け、葬儀もこなしました。
ほぼ周りに公表せずに家族葬で父を見送りましたので、いつもと変わらない様子の僕にまさか家族を亡くしたとは誰も気づきませんでした。
でも、今日はどうしても本会議場に来たくありませんでした。
昨晩も眠れなくて、明け方に届いた朝刊を開いたら朝日新聞にも神奈川新聞にも山城さんの訃報がお悔やみ欄に載っていました。文字になっているのに実感がわかず、いや、実際は現実を受け容れたくないのだと感じました。
市議会に着くと、控室の山城さんの机の上に、小室議員がお花をお供えして下さっていました。
無会派の控室は5人部屋(青木哲正議員、上地克明議員、小室たかえ議員、山城保男議員、フジノ)なのですが、いつもみんなで市政のあらゆる話題を議論していて、静かなことがありません。
でも、今日は違いました。沈黙がつまっていました。
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けさは本会議の開会前に議場に集まって、全議員で黙祷を捧げました。
いつもは激しい議論がなされる本会議ですが、今日は本当にいつもとは違う、重い悲しい空気の漂う質疑となりました。
一般質問の筆頭に立った長谷川議員をはじめ、夕方の最後の小室議員まで登壇した全ての議員が質問の前に山城さんへのお悔やみの言葉を述べました。
そして、答弁に立った市長もまずはじめに長いお悔やみを述べました。
僕はその度に僕は涙が出て、やるせない気持ちになりました。
僕の隣の机が山城さんの議席なのですが、そこには花束が置かれていました。
議場に掲揚されている国旗・横須賀市旗・横須賀市議会旗も全て弔旗となっていました。
13年の市議会議員としての日々で、どんな時でも本会議場では、僕は闘いの気持ちをもってそこに座っていました。
けれども今日はここに居るのがつらくてたまりませんでした。
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お昼休み、傍聴にいらしていた前市議会議員の一柳洋さんとお話ししました。
山城さんと一柳さんとフジノの3人で立ち上げた『脱原発社会を考える議員連盟』も、今ではフジノしかいなくなってしまった。
一柳さんもまたとても悲しそうでした。
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とにかく、今はこの現実を受け容れて、そして山城さんの想いを同じ政治家として引き継いでいかねばならないと考えるようにしています。
いつも家族想いの山城さんでしたが、一方で、政治家の本務を全うする事もまた山城さんの望みだったのではないかと推察します。
山城さんがいつも大切にしていた平和への想い、脱原発、原子力空母の母港化反対など、山城さんの想い・政策を受け継いでいかねばならない、それしか自分にできることは無い。
ジャーナリストの橋本康二さんが撮影してくれた山城さんの動画が『You tube』に掲載されています。
先日の本会議でも、まさにこの動画でおっしゃっていたように原子力空母の問題を取り上げておられました。
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どう書き直しても、明るい雰囲気や、一般質問の内容を書く気持ちにはなれなくて、今の素直な気持ちをブログにそのまま書きました。
いつも政策にかかわること、市民のみなさまの暮らしに直結することだけを書こうと決めているブログですが、今日は本当にごめんなさい。無理でした。