山城さんへの黙祷が記事になっていました
けさの神奈川新聞には、昨日本会議の冒頭で山城保男さんの急逝を悼んで黙祷を捧げたことが報じられていました。
いち市議が亡くなったことに対する黙祷が今まで記事になったことがあるのでしょうか。フジノは初めて読んだ気がします。
山城保男さんが亡くなったことは、まさに市民全体へのインパクトが大きく、市民活動にとっても市議会にとっても誰にも代え難い存在であったことが『記事化』にも表れているのではないかと思います。
最後のお別れへ
フジノは今日、お通夜が始まる一足前に会場にお邪魔しました。
奥さまにご挨拶をし、お焼香の後、山城さんと再会する機会を頂きました。
いつものスーツに黄色いネクタイで眠っていた山城さんは、穏やかなお顔でした。
「いやぁ、フジノさん。まったくやんなっちゃうよ。おっかしいんだから」
と、いつもの調子で山城さんが話しかけてきそうでした。
べらんめぇ口調だけれども穏やかで優しい口調という、他の人には決して真似することができない話し方をなさる方でした。
深刻な相談を市民の方から持ちかけられて、その事態の深刻さに深く同情しつつもそんな事態に追い込んだ社会や企業に対して、「やんなっちゃうよ、おっかしいんだから」と柔らかい口調とは裏腹に、絶対におかしなことは正さねばならないという想いを持っておられる。
ああ、また山城さんが困ってる。きっとまたすごい相談にのっておられるんだろうなぁ。がんばっておられるなぁ。
そんな風にいつもお話を聴きながら思っていました。
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お顔を拝見して、また涙が出てしまいましたが、すぐにそれを拭ってエレベーターに乗り込みました。
もう、気持ちを切り替える決心をしました。
しっかり働くことで恩返しをするしか、僕には道は無いと感じます。
祖父の時と同じく、父の時と同じく、山城さんが亡くなられたこともまた乗り越えていこうと決めました。
政治家として山城さんの遺志を受け継いでしっかりと平和をこのまちから発信し続けていきます。
山城さんとフジノは問題意識も近く、市外での平和集会に参加しているとしばしば顔を合わせることもありました。
原子力空母の問題も、これからは山城さんのようにフジノも市議会で取り上げていきます。
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毎年の元旦、深夜の初詣の参拝の長い列に並んでいると順番を告げる太鼓が鳴ります。
僕はいつも「あの太鼓、今年もきっと山城さんが叩いているんだろうな」と耳を澄ませていました。
列が進んで、やっぱり山城さんが叩いている姿を見つけると、「山城さん、おつかれさまです!明けましておめでとうございます」とご挨拶をしてました。
毎年僕にとって1番最初にお会いする同僚議員が山城さんでした。
もうそれも無くなってしまいますね。
これから、とてもさみしくなりますが、しっかりと働いていきたいと思います。
どうかご家族のことを天国からずっと見守っていてください。そして、横須賀の市民運動も。
山城さん、今までありがとうございました。