「横須賀市長選挙、上地市議が出馬表明」と報じられました
一緒に議員提出で議案を何本も出し、決議案を提案し、控室では隣の席でいつも横須賀の在るべき姿を議論してきました。
厳しい現実を直視しながら、実現すべき希望あるまちへ、いかに政策に落とし込んでいくか。
最もシビアな現実主義者でありながら、根っからの明るさでこどもたちの未来を希望あるものにすべく闘い続けてきた上地克明さん。
上地さんこそ、吉田市政で破壊された横須賀を生まれ変わらせる唯一の存在だとフジノは信じています。
多くの市民のみなさまと同じく、何年も何年もフジノは上地さんが決意して下さることを待ち望んでいました。
昨日の記者会見の様子が新聞やテレビで報じられるのを観て、改めて上地さんに感謝の気持ちでいっぱいになりました。
うれし泣きで涙が止まらなかったある日
ある日。
上地さんが決意したことをフジノはお聴きしました。
その瞬間、フジノは涙が出てしかたがありませんでした。
第1に、『安堵』から。
やっと横須賀がまともなまちに生まれ変わることができるという気持ち。
このズタズタにされた横須賀を一刻も早く立て直さなければならない。それができるのは上地さんしかいない。
上地さんのもとで、市民のみなさまが1つになって、さらに国・県・市が連携して、横須賀が在るべき未来へ進んでいくことができる。
このまちの未来を憂う政治家として、上地さんの決意に心からホッとしました。
第2に、『申し訳なさ』から。
何年も前から上地さんがこのまちのリーダーになってほしいと多くの人が言葉にしてきました。フジノもそうです。
けれどもその一方で、上地さんは権力欲とは全く無縁で、ただひたすらに政策実現を愚直に続けてこられました。
みなさまもご存知のとおり、息子さんはとても人気の高い俳優・歌手です。上地さんは父としてご自身の政治家としての仕事が、息子さんに影響しないようにいつも心配しておられました。
上地さんはご自身のことよりもご家族を大切になさる方で、いつも心を砕いてこられました。
今回の決意は、これまでの上地さんの想いを知っているひとりとしては申し訳なさでいっぱいになりました。
第3に、『うれしさ』から。
上地さんや僕たちのふるさとである横須賀は、もっと生きやすい土地でした。今はボロボロです。
こどもたちは貧困にあえいでおり、大人たちは過労死寸前まで働いても所得は増えていきません。
上地さんとともにたくさんの議員提出の議案をつくり、いくつもの決議案を提案し、プライベートでも市議会の控室でもいつもこのまちの在るべき未来の姿を語り合ってきました。
上地さんの持つ政府や官公庁へのパイプの太さ、議会で厳しい議論をしながらも市職員から愛される公平・公正さ、あらゆる分野の民間との人脈の広さ、ビジョンをもとに政策を立案していく能力の高さ、政治家として最高の人材だと思います。
さらに、すさまじく現実主義者でありながら(上地さんはとても苦労人なのはみなさんご存知だと思います)、根っからの理想主義者で誰からも愛される明るい人柄は、リーダーに求められる資質そのものです。
こんな素晴らしい人がこのまちのトップになってくれたら、弱い立場の人々を励まし、経済に元気を取り戻し、横須賀が明るく希望のあるまちへと生まれ変わることができると期待せずにはいられません。
そんないくつもの気持ちが混ざって、ずいぶん長い間フジノの涙は止まりませんでした。
上地さんの瞳もうるむのをみて、フジノは思わず上地さんにハグをしてしまいました。
「横須賀の為に、ありがとうございます」
それがフジノの素直な想いでした。
このまちのリーダーとして、上地さんほどふさわしい人はいません。
あなたにも上地さんのことをもっともっと知ってほしいです。
パフォーマンスではない、本物のリーダーの姿・在るべきトップの姿を知ってほしいです。
●
8年も続いた、暗く虚しい日々。
権力者に媚びを売る一部の人々だけが得をし、市民のほとんどは政治から置き去りにされてきました。
このまちに暮らし続けてもこどもたちの未来は全く見えず、そして、たくさんの人々がふるさとである横須賀を離れていきました。
けれども今、ようやくこのまちに再び朝日が昇ろうとしています。