一般開放されていない「浦賀ドック」がなんと初のライトアップ
今夜は『浦賀夏祭り』にお邪魔しました。
浦賀には、日本でわずか2ヶ所しかないレンガ造りのドック(『浦賀ドック』)があります。
ペリーが日本にやってきた1853年に、幕府は浦賀に造船所を開設しました。ここから浦賀は大きく発展していくのですが、浦賀ドックはその象徴です。
1899年(明治32年)に浦賀ドックは完成しました。現在も当時の姿のままをとどめている、貴重な近代産業遺産です。
現在では、『住友重機械工業(株)』の浦賀工場内として位置づけられていてます。その為、ふだんは一般開放されていないので、中に入れるのはイベントの時だけなのですね。
この入れるだけでも珍しい浦賀ドックを、さらに初めて夜にライトアップするという素敵な試みが今夜行なわれました!
地元地域のみなさんが開催している『浦賀夏祭り』がすぐお隣の広場で開催されています。
その関連イベントとして、『レンガドック活用イベント実行委員会』が主催して下さいました。
ライトアップの様子をぜひご覧下さい
30秒ほどの動画ですが、さっそくその様子をご覧下さい。
フジノは20分ほどしか滞在できなかったのですが、夕闇が迫るにつれてライトアップが美しく見えていきます。
ほぼ同じ位置で、上の画像がライトアップ前。下がライトアップから20分後、だいぶ様子が違いますね。
素敵ですね。
日本発展の地「浦賀」。もっと知られてほしい
浦賀の持つ歴史の素晴らしさは、このブログでもたびたび触れてきました。
ペリーが来航した時にまず交渉にあたったのは『浦賀奉行所』の人々でした。
ここ浦賀に浦賀奉行所がおかれたのは1720年ですので、まもなく300周年を迎えようとしています。
現在その跡地は、住友重機械工業の社宅になっているのですが、2017年度中に解体される予定になっています。その跡地が横須賀市に譲渡される可能性もあり、浦賀奉行所を復元しようという声が高まりつつあります。
素晴らしい歴史的価値を持つ史跡が、当時は文化財保護法が整備されていなかった為に社宅が建設されてしまいました。それが2017年度中に解体されるということで、地元地域のみなさまも市議会としても強い関心をもっております。
しかし、前市長時代には行政として動こうという姿勢が全くありませんでした。
そこで市議会として、2016年には全会一致で予算案に対する附帯決議も行ないました。
平成28年度横須賀市一般会計予算に対する附帯決議
浦賀奉行所は、かつて江戸湾の防備を任され、海の関所として重要な役割を果たした。
また、浦賀奉行所はペリー提督率いる黒船の来航により、我が国の歴史上、重要な転換期を迎える舞台となった施設といえる。
このように歴史的な意味を持つ浦賀奉行所が、本市浦賀に開設されてから、間もなく300周年を迎えようとしている。
これまでも長きにわたって浦賀奉行所の復元や、史跡としての保存などを期待する声は絶えず上がっており、浦賀奉行所開設300周年を目前とした今、地元の機運はより一層の高まりを見せている。
一方、市が示す「近代歴史遺産活用事業」は、本市の歴史や文化を次世代へ継承していくため、市内に残る幕末から戦後にかけての歴史的遺産の活用を図るとされており、日本の近代化発祥の地として、横須賀の誇るべき歴史遺産を掘り起こし、磨き上げ、市内外に発信する事業であるとされている。
しかしながら、この「近代歴史遺産活用事業」には、浦賀奉行所に関連する予算が計上されていない。
本市にとって、浦賀奉行所は、極めて重要な歴史遺産であり、その節目となる年を間近に控え、記念事業実施に向け、十分な検討とそれに係る予算は当然必要と考えられる。
よって、市長におかれては、来るべき浦賀奉行所開設300周年に向け、奉行所の復元や史跡指定などの可能性も含めた検討を進め、意義ある300周年事業の実現を図られるよう、強く要望する。
何事に対しても消極的で自ら動こうとしなかった前市長。
浦賀ドックをはじめとする浦賀の大切な資源に対しても本当に消極的で、議会ではあらゆる会派から何年にもわたってたびたび質疑が行なわれました。
浦賀で建造された『日本丸』を浦賀に招致したいという地元の願いも無視して久里浜に寄港させた前市長。
しかも前市長はそれは「日本丸の船長が望んだからだ」という嘘までつきました(これは百条委員会で追究された3つのテーマの1つともなりました)。
けれども、ようやく選挙で新しい市長が誕生しました。
しかも、新市長の上地さんは『浦賀』の出身です。新たな動きが大きくスタートすることを期待せずにはいられません。
浦賀は横須賀にとってだけでなく、日本全体にとっても大切な地域です。その魅力がもっと丁寧に発信されて、多くの人に知っていただきたいと強く願っています。