今日、フジノは所信表明への質問をしました
今日の本会議は、所信表明への質問2日目でした。
フジノは午後から質問に立ちました。
質問の全文はこちらに掲載しましたので、ぜひご覧ください。
フジノの質問、自己評価は「過去最悪」でした。何故なら・・・
傍聴に来て下さった方をはじめ、インターネット生中継をご覧下さった方々からは、
「素晴らしい質疑だった」
と、とてもありがたいお言葉を頂きました。
でも、フジノ自身は
「過去最悪だった」
という正反対の自己評価なのでした。
何故ならば、本会議の場であるにもかかわらず、この半年間の日々を思い出してしまい、感極まってしまったからです。
インターネット中継や、議場の議員のみなさまや傍聴者のみなさまには気づかれなかったと思います。
市議になってもう14年ですから、必死に堪えました。
最後まで冷静を装って質問をしたので、冒頭に記したように「素晴らしい質疑だった」と市民の方々はおっしゃって下さったのだと思います。
けれども、実際のフジノの内面は「上地市長が誕生して本当に良かった」という想いで胸がいっぱいで、まともに質問を続ける心理状態ではありませんでした。
本当に激動だった半年以上でした
フジノは、上地さんの立候補前から決意に至るまで全てを知っています。立候補を決めるまでの葛藤もとてもよく知っています。
3月下旬の出馬表明、それから横須賀中を駆けめぐる怒涛の日々が始まりました。
6月25日に市長選挙に当選、7月10日に就任、そして臨時議会での市長退職金の廃止の実現、副市長2名と教育長の選任。
現在に至るまで半年以上、上地さんはほとんど休まずに全身全霊で突っ走っています。
当選後にメディアのインタビューに答えた言葉通り、「命をかけて」、横須賀復活の為に尽力しておられるのです。
一方のフジノ自身も激動の日々でした。
選挙前から家族3人が同時に入院してしまい、入院先を毎日まわりながら必死に上地さんの政治活動(ヨコスカ復活の会)の応援に駆けつける日々でした。
選挙中、6月20日にひとりの家族を亡くし、6月23日に別の家族が手術をしても助かるかどうか分からないという重い手術を受けました。
「こんな家族の危機に選挙に行っている場合じゃない」
という自分の気持ちと、
「上地さんの当選が自分たちの為にもなるから選挙応援に行って」
と、病身の家族があえて言ってくれた言葉に、胸をかきむしりたくなるような気持ちで毎日選挙に向かいました。
6月25日の市長当選が決まるまで、亡くなった家族の葬儀も先延ばしにしました。
6月30日、ようやく家族葬をしました。
そんなこともあって、上地市長の誕生は、フジノにとって『家族の命と引き換えに得られたこと』のように率直に感じているのです。
(手術を受けた家族は一命をとりとめ、先月やっと退院。今も自宅療養をしています)
8年前の失敗と、全く違うこの2ヶ月間
市民のみなさまにはまだ実感が沸かないと思うのですが、当選後から現在に至るまでの上地市長の働きは本当に素晴らしいです。
8年前、フジノは吉田候補を応援しました。
応援した市議はフジノとわずか2名だけでした。
その為、当選して市長室へと入っていった吉田市長に対する市民のみなさまからの意見や要望や批判は全てフジノに届けられました。
実は、当選1ヶ月頃には、早くも吉田新市長への批判が起こり始めました。
吉田市長が期待に反して何も実現していないことに対する市民の方々の批判を、フジノは強く受け止めてきました。久里浜花火大会の来賓席にいる市長に2人で花火を鑑賞している風を装って、厳しい意見を伝えに行ったことをよく憶えています。
しかし、吉田市長は変わりませんでした。
所信表明の9月頃までには、本当にたくさんのおしかりをフジノは吉田市長にかわってお聴きしていました。
「2ヶ月も経つのに、何も実現できていない」
「あいさつまわりばかりやってないでもっとやるべきことがあるだろ」
だから、2009年9月議会での吉田市長の所信表明演説に対しては、かなり厳しい質問をしました。
それでも吉田市長は変わらず、『期待』にふくらんだ市民の方々はしぼみ、かわりに『怒り』が大きくふくらんでいきました。
この8年前のことをとてもよく憶えているフジノは
「上地市長の就任2ヶ月は特に重要な期間だ」
と受け止めてきました。
8年前同様に、僕なりにできることは何でもやろうと決めていました。
しかし、そんな心配は全くの杞憂でした。
就任2ヶ月間の上地市長の働きは、フジノの期待をはるかに超える活躍だったのです。
こうして迎えた9月議会。
上地市長の所信表明「『横須賀復活』の最終目標は『誰も一人にさせないまち』」、所信表明への質問1日目、完全に市議会の空気は変わりました。
前市長時代の重苦しい閉塞感は完全に消えてなくなりました。
明るい雰囲気、即断即決、わからないことはわからないと述べ、謝るべきことは率直に謝る、上地市長の姿。
質問者によって答弁を短くしたり露骨に態度を変えず、市長選挙で対立候補を応援した会派に対しても長過ぎると感じるくらいの丁寧な答弁をする上地市長。
横須賀市議会に民主主義が帰ってきた、とフジノは感じました。
当確が出た瞬間、フジノは「横須賀が変わる!」と泣きながら叫び続けたのを憶えています。
それが今、実現しつつあるのを強く感じています。
潤んだ上地市長の瞳に、フジノも・・・
フジノが行なった質問に対して、上地市長が壇上で答弁をされました。
その時に、上地市長を見つめると、その目が少し潤んでおられるのにすぐに気が付きました。
もちろん、これは市長とフジノの距離でしか見えません。他の方々には見えません。
ああ、質問を通じて、上地市長も僕の想いに触れて下さったのだな、と感じました。
それに気づいた瞬間に、僕の心の中で、堰が切れてしまいました。
加えて、返ってきた答弁はそのどれもが素晴らしかったのです。前市長では考えられないような答弁ばかりでした。
こうしてフジノは、先に記したように、心の中ではすっかり感涙の涙でいっぱいになっていました。
とにかく考えに考え抜いて作った質問ですから、そこから先は一問一答方式での再質問を全力で行ないました。
けれども、今まで14年間の本会議で感じたことが無い感情でいっぱいになりながら、行なった質問でした。
これからは「是々非々」でいつものフジノに戻ります
本会議が終わった後も、あさってからすぐ始まる委員会の為に準備に追われました。
夕方、議会事務局を訪れて、無会派担当をして下さっていた職員の方に、今日のフジノの質問について改めて率直な意見を伺いました。
「やっぱりいつもの藤野議員の質問とは違いましたよね」
「今日の質問は、甘い、と言われてもしかたがないかもしれませんね」
と、職員の方はやはりおっしゃいました。
さすが、長年フジノを担当して下さった方です。僕も同感でした。
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上地克明というひとりの人間に、フジノが心酔していることは隠しようの無い事実です。
この14年間、公私ともにお世話になってきました。市議としては一緒に条例案や決議案をたくさん出し、個人としてはたくさんの相談にいつものって下さった。大好きな方です。
でも、次からはもう絶対に感傷的になりません。
今では、二元代表制のもとで、市長と市議会という立場に分かれました。市議時代とは違います。
フジノの責務は、市長と行政の仕事を厳しくチェックし、誤りはただし、横須賀復活の為に必要な政策提案をし、市長と市議会がともに切磋琢磨しながら市民のみなさまの為に働いていくことです。
その責務を果たす為に、全力で働いていきます。
今日は、不覚でした。半年以上の激動の日々が一気に胸に去来してしまいました。
けれども、もう感傷は今日で終わりです。
いつもの市長が誰であろうと厳しい追及を行なう市議であるフジノに戻ります。
がんばります。