日本福祉大学を無事に卒業しました
無事に、『日本福祉大学 通信教育部 福祉経営学部 医療・福祉マネジメント学科』を卒業することができました。
フジノは学士入学でしたので、2年間の学びの日々でした。
卒業式は本校のある名古屋で開催されたので、パニック障がい持ちのフジノには出席することができませんでした。
けれども『学位証』を郵送して下さいました。
『学位証』を手にとって、ようやくこの2年間の学びを無事に修了することができたのだ、という実感がわいてきました。
これでフジノは正式に『福祉経営学』の『学士』となりました。
ツイッターでご報告したところ、たくさんの方からお祝いのお言葉を頂きました。
みなさまの温かいお言葉に心から感謝しています。
社会人こそ学ぶべきですが、時間と学費の確保は難しいですね
フジノは「社会人こそ学ぶべきだ」という考えを持っています。
議会でも社会人が学びやすい環境づくりの提案をしてきましたし、言いっぱなしにならないように自ら実践すべく僕自身も学びの機会を作るようにしてきました。
かつては日本社会事業大学で精神保健福祉士養成課程を修了しましたし、中退こそしたものの上智大学大学院では福祉政策を学びました。
しかし、今回も痛感させられたのですが、社会人として働きながら『学ぶ時間』と『学費』を確保することは本当に大変でした。
例えば、科目修了試験はインターネットを通じてパソコンで受けるのですが、日程が決まっています。だいたいが土日に設定されているのですが、その日に仕事が入っていることが多く、出先の廊下やカフェに急いで入ってパソコンを開いて受験したことも何度もありました。
通信制とはいえ、スクーリングにも出席しないと単位をもらえません。スクーリングの日程も固定で決まっているので本当に日程を合わせるのが大変でした。
そして何よりもつらかったのが、『学費』を捻出することでした。
「政治家はたくさんお金をもらっている」
という世間のイメージがあると思いますが、議員報酬からさらに自分の学びの為に数十万円を確保するのは不可能で、学費ローンに頼るしかありませんでした。
学費ローンを毎月返済する為に、あらゆることをガマンして節約に励まねばならない2年間でした。
通信制であってもこれだけ学費が高いのですから、今の大学生の2人に1人が奨学金(という名前ですが実質的にはローン)を借りなければ学べない実態を自らのこととして痛感しました。
改めて、学びたいという想いを持つ誰もが学びやすい環境を作り出すという政治家としての使命を再確認しました。
フジノがやらねばならないことは、立場が変わろうと死ぬまで続けていきます
政治家という職業は、4年間限定の非常勤の仕事です。選挙で落ちれば、議会での発言の機会を失ないます。
けれども政治家であろうとなかろうと、フジノが人生を賭けてやらねばならないことは死ぬまでやり続けていくことに変わりはありません。
公人であるうちは、ソーシャルアクションとして議会で発言を続けながら、市民のみなさまの相談を毎日お聴きしていきます。
個人になったならば、市民のみなさまの相談を毎日お聴きしながら、政治・行政にソーシャルアクションとして働きかけていきます。
どのような立場になろうと、死ぬまで最新の情報を学ぶことと研究を続けることが必要です。
そして、市民のみなさまの命と暮らしを守れる力になれるように、これからも努力を続けていきたいと思います。