あさか由香さんの応援に藤沢へ向かいました
参議院選挙も早くも6日目となりました。
神奈川選挙区から立候補しているあさか由香さんの応援に、JR藤沢駅へ向かいました。
藤沢は、とても思い入れのある土地です。
フジノは高2の冬から1年間、藤沢の予備校に通いました。
行きたくなかった高校に進学したせいで、高校は大嫌い。
全く高校に通いたくなくて、遅刻した日数は学年で2番目に多かったです。
勉強も嫌いで、ひたすらアルバイトとバンドばかりの高校時代でした。
バンドには特に力を入れていて、オリジナルの歌を作って、毎月1回以上必ずライブハウスでライブを行なっていました。
自分の想いを詞と曲にのせて、誰かに本音の想いが届くことを願っていました。
そして出会ったのが、別のバンドでベースを弾いていた彼女でした。
それまで孤独感と絶望しかなかった人生が、僕の歌を聴いて、僕のことを好いてくれた彼女の登場に、希望を初めて感じられるようになりました。
けれども(過去からフジノのブログを読んで下さっている方はご存知かと思いますが)彼女は統合失調症にかかってしまいました。
なんとか彼女の力になりたくて大学で臨床心理学を専攻することを決めて、バンドを辞めて、バイトもやめて、入試に向けて勉強することにしました。
藤沢の予備校に足を運んだのは、同級生たちはみんな横浜の予備校に通っていたからです。誰にも会いたくなかったのです。
たまたま2年生の冬休みにお試し受講(確か無料だった)の広告をみて、受けてみました。
そこで出会ったA先生に、人間的に惹かれました。フジノはその先生の、1科目だけを受講することにしました。
いつからか、きっかけは何だったのかは思い出せません。
毎週、講義が終わった後に、A先生と近くの喫茶店で1時間以上話し込むようになりました。
A先生と僕には、共通点がありました。
A先生はごきょうだいが統合失調症で長期の入院をしておられました。
僕が大学に進みたい理由をA先生は全力で応援してくれました。
当時の横須賀には精神障がいの家族会もまだ無く、A先生と語り合える時が大きな救いになっていました。
でも同時にA先生も僕と話す時だけが、唯一、ごきょうだいのことを話せる機会とのことでした。
●
やがて僕は大学に進み、希望通り臨床心理学を学びました。
進学後もA先生のもとを何度も訪れました。
しかし、結局のところ僕は彼女を守ることができず、彼女は自殺の犠牲になってしまいました。
転職をしたA先生とも疎遠になってしまいました。
20年くらい前から僕はパニック障害もちなのですが、いくつかの駅や土地に対して強いニガテ意識があります。
藤沢もその1つです。
藤沢を通過するのは大丈夫なのですが、目的地が藤沢で向かおうとするとダメなのです。
今日も頓服の精神安定剤を何錠ものんだのに、大船駅からどうしても前に進めませんでした。
30分以上も目の前にやってくる電車に乗ろうとしては諦めることを繰り返しました。しかたなくタクシー乗り場に向かいました。
こうして、なんとかあさか由香さんの応援に藤沢にたどりつくことができたのでした。
応援スピーチを断りきれず、フジノもマイクを握りました
フジノは選挙の応援に行っても、依頼されても可能な限り応援のスピーチをしないようにしています。
何故なら、市民のみなさまは候補者本人の声をお聴きしたいはずだと思うのです。
そして、自分のまちのことを知りもしない他のまちの政治家に市民のみなさまは偉そうにスピーチされたくないと思うのです。
だからチラシ配りや交通整理がフジノの仕事で、頼まれてもスピーチはしないようにしてきました(特別な場合は除きます)。
今夜はラスト30分の時に
「フジノさんにもぜひお話してほしいのですが・・・」
と頼まれて、断りきれずにお話することにしました。
まず最初に藤沢市民の方がマイクを握りました。ご自身の暮らしについて、壮絶な体験について、率直な言葉で語られました。
生死をさまよう体験をされたその方の言葉に、フジノは心を動かされました。
次に、フジノの番がやってきました。持ち時間は7分間。
高校時代、恋人を守りたいと必死の想いで学ぶ為に足を運んだこの藤沢というまち。
けれどもその想いが叶わなかったこと、それがきっかけで政治家になったこと、そして自殺対策に全力で取り組むようになったこと...。
政治家としてフジノは横須賀の犠牲者を減らすことができました。
政治家が全力を尽くせば、守ることができる命が必ずあるのです。
けれども、1度喪われた命は決して戻ってきません。
政治家として全力を尽くせば自殺は防ぐことはできる、と希望を語り続ける。けれども喪われた命は2度と戻ってこない、その絶望を忘れた瞬間はありません。
そんな矛盾した気持ちの中でいつもフジノは生きています。
こんな気持ちで7分間のスピーチを語り終えました。
そして、あさか由香さんにバトンを渡しました。
あさか由香さんの涙ながらの神演説!
知人の朝倉さんが、3人のスピーチをインターネット中継して下さっていました。
その動画を、公開します。
あさか由香さんが3年前から訴え続けてきた
「8時間働けばふつうに暮らせる社会」
というキャッチコピーは、単なるキャッチコピーではありません。
あさかさんの切実な祈りの言葉なのです。
フジノはスピーチの最後に、あさかさんが「8時間働けばふつうに暮らせる社会」という祈りの言葉を今も大切にしているのかをぜひ語ってほしい、と述べました。
市民の方の切実な想いのスピーチ、フジノの長年の想いをふりしぼって語ったスピーチ、その2つの想いとあさかさん自身の想いがクロスしました。
あさかさんはマイクを握った瞬間から、その目に涙がいっぱいでした。
ふだんのあさかさんの政治家としてのスタイルは、青い炎です。
青い炎とは穏やかな色なのですが、実はものすごく高い温度なのです。まさにあさか由香さんの穏やかで優しくて、愚直に政策を語るスタイルは青い炎です。
けれども今夜のあさかさんは、赤い炎のようでした。ご自身の感情に身を委ねて、政治家をめざした時の想いを涙ながらに語ってくれました。
藤沢駅前に集まっていた聴衆のみなさまは、あさかさんの言葉に聴き入っていました。
スピーチの後、あさかさんご自身はティッシュで涙を拭きながらとても照れておられましたが、本当に素晴らしかったです。
そのスピーチの様子が下の動画です。7分20秒頃からあさか由香さんのスピーチが始まります。
ただ、もしもあなたのお時間に余裕があれば、どうかフジノのスピーチから続けてご覧いただけるとよりあさかさんのスピーチの素晴らしさが際立つと思います。
ぜひご覧下さい。
フジノはますますあさか由香さんに当選してほしいという想いが強くなりました。
今夜のブログはフジノの事柄ばかり記しましたが、一番の願いは上の動画をご覧いただきたいということです。
どうか動画をご覧下さいね。