本日、新たに生まれ変わった『自殺対策推進協議会』がスタート
フジノがニコニコしているのには大きな理由があります。
それは、横須賀市の自殺対策のネットワーク組織が6年ぶりに正常化したからです。
この日をずっと待ち望んでいました。
2006年に全国に先駆けてスタートしたネットワーク組織が、2013年度から前市長によって格下げされていました
自殺対策を推進するには何よりもあらゆる関係機関のネットワーク組織が必要で、取り組みを前に進めていくエンジン役となることが最重要です。
その為、初当選したフジノは2003年12月議会の一般質問で横須賀市に自殺対策のネットワーク組織を設置するよう提案しました。
粘り強く提案を続けて、2006年に横須賀市は市単独で『自殺対策連絡協議会』を設置しました。
県内初の設置であることだけでなく、全国の動きが鈍い中で横須賀市独自の取り組みは大きく評価されました。
2006年3月に国は都道府県と政令指定都市は『自殺対策連絡協議会』を2年以内に設置するよう通知を出しました。
つまり設置義務があるにもかかわらず、当時(2006年5月末現在)は、62の都道府県・政令指定都市のうちわずか13道県しか設置していなかったのです。
このような状況の中で、全国に先駆けてスタートした横須賀市の自殺対策に対してメディアも高く評価と期待をして下さいました。
しかし、前市長は...。
2013年度からこの組織を単なる『連絡会』へと格下げしてしまいました。
フジノは怒りでいっぱいになりました。
みなさまがご存知のとおりですが・・・初めての市長選挙ではフジノは前市長を全力で応援しました。
しかし、当選2ヶ月後頃から様々な政策的な裏切りがあって、2010年1月に袂を分かつことになる決定的な事件がありました。
その後も次々と失望させられることばかりで、完全に別の道を歩むことになりました。
それでもフジノと同席せざるをえない公の場(例えば『横須賀こころの電話』の記念式典など)で発言する時にはいつも前市長は、ずっとこんなふうに発言してきました。
「フジノ議員とは考え方は違いますが、自殺対策だけは同じ想いで取り組んでいます」
自殺対策だけはフジノと同じ気持ちのままがんばっているかのように前市長は世間に対してアピールを繰り返してきたのです。
しかし、実際には全く違います。
最も重要な組織を、単なるメンバー同士の連絡の場におとしめてしまったのです。
イメージ戦略がうまい前市長は市民人気が高かった訳ですが、実際にやってきたことは市民のみなさまには知らされていません。
専門家で無ければわからないようなことをいくつも行なってきたのです(彼のこういうやり方をフジノは政策的な裏切りと呼んでいます)。
それでもフジノは今日に至るまで、ネットワーク組織の名前が行政的にどうなろうと、必死になってこのネットワーク組織が機能するように全力でがんばってきました。
自殺対策連絡会の運営やメンバーについての質問(提案)は本会議でも委員会でも本当に何度も何度も行なってきました。
それでも前市長が交代するまでは、単なる『連絡会』のままで在り続けました。
しかし、2019年度から(今日から!)ついに組織のメンバーも大きく増えて、名称も自殺対策を推進する協議の場である『自殺対策推進協議会』へと格上げされたのです。
年度 | 組織の名称(当時の市長) |
---|---|
2006〜2012年度 | 自殺対策連絡協議会(蒲谷市長時代に設置) |
2013〜2018年度 | 自殺対策連絡会(吉田市長によって格下げ) |
2019年度〜 | 自殺対策推進協議会(上地市長によって格上げ) |
このまちの自殺対策を1つずつ作ってきたフジノですが、それを壊そうとする動きや横やりは16年間いつも存在しました。
だから、いつも必死に闘ってきました。
さらに、フジノが落選や辞職でいなくなっても自殺対策が無くならないように、行政計画である『自殺対策計画』の策定には徹底的に関わりました。
横須賀市初の自殺に関する市民意識調査(アンケート)もフジノの提案で実現しました。
このネットワーク組織を『連絡会』ではなく本当のエンジン役にするべく条例を新たに作ろうという提案も議会内で行ないました。
2年前には上地市長の誕生という幸運に恵まれました。
こうして、流れが大きく変わりました。
自殺対策計画がこの2019年4月からスタートするのにあわせて、新たに生まれ変わったネットワーク組織『自殺対策推進協議会』が誕生したのです。
まさに、感無量です。
(次の記事に続きます)