まちの政治家は、こんなことしてます |
2006年8月18日(金)のフジノ |
● タウンニュース紙がとりあげてくれました タウンニュース紙がフジノの自殺予防対策の活動を取材して とりあげてくれました。 最近は、メディアに対して不信感が強まっていました。 でも、タウンニュース紙のYさんは、 フジノの想いをとても早くから汲んでくれて取材してくれました。 (この記事が掲載されたのは8月号ですけれど、 取材はもっと数ヶ月前に行なわれました) (06年8月18日タウンニュース) 取材してくれたYさん、本当にありがとうございました。 これからも自殺予防対策を進める為に、全力でがんばっていきます! |
2006年8月17日(木)のフジノ |
● 変わらない想い 親しい友達から 「フジノくんの隣にはいつも、もう1人ひとがいる。 隣に立っている人の影が見える」 と言われました。 これは、いつまで亡くなった人を想い続けているのか、という 批判的な意味で言われてしまったのですが 僕はこの言葉を聴いて、 『自分の生き方』を改めて「心強い」と思いました。 自分の生き方を心強いと思う、という言葉は 変な感じがするでしょう。 でも、迷いながら必死に歩もうとしている僕自身には 自分の生き方を『客観的』に『外側』から見ることは難しいのです。 だから、果たして今の自分の生き方が正しいのかどうか、 僕自身にはなかなか分からないのです。 けれども、友達が僕の隣にもう1人の姿を見るならば きっと僕は生き方を間違っていないのだろうと思います。 その姿が僕の隣からもしも消えたとしたら 僕の役割は終わった、ということだと思うのです。 そうしたら僕は公の場からは姿を消して、 自分の好きなことだけをして暮らしているはずです。 僕が今やらなければならないことは いつまでも変わらない想いのままに それを公のしくみ(政策とか施策とか)へと形にしていくこと。 いまはそれが叶っているから まだ隣に居てくれる姿があるのでしょう。 そういう自分を、自分の生き方を、 僕はとても心強く思います。 ひとりじゃない。 |
2006年8月14日(月)のフジノ |
● もうマスコミの取材は受けない フジノが今年に入って 今まで避けてきた大手マスコミから取材を受けることにしたのは 昨年12月31日にあえてそう決めたからでした。 基本的なフジノの姿勢は、 ・既存のマスメディアには取り込まれない ・インターネットという手段で直接に情報を発信する というものでした。 政治家に転職するまでマスコミで働いていた人間として 今すでに存在しているマスメディアの問題点を 強く実感していたからです。 だから、雑誌であろうがテレビであろうが フジノは断ってきました。 取材する側の想いの強さが フジノの想いに合致した場合に限ってだけ いくつかの取材を受けてきました。 そうして避けてきたマスメディアなのですが 今年はあえてその中に飛び込んでいく決心をしました。 昨年12月31日のことです。 フジノの政治家としての任期がラスト1年になり、 やらなければいけないことをスピードアップする必要を痛感しました。 そこで、『対世間』にのりだすために あえて既存の大手マスメディアとも交わることにしました。 --------------------------------------------------- そうして、約9ヶ月が過ぎました。 本当にたくさんの取材を受けました。 特に6〜7月は、丸2ヶ月間、取材に費やした、という印象です。 スケジュール欄には載せていなくとも インタビューを受けていた時間が 本当に長かったです。 かなり忙しい日々をあえてマスメディアの取材に応じました。 そして、結論です。 今日を最後に、既存の大手マスメディアとの関わりは 終わりにします。もう取材は受けません。 確かに「対世間」という仕事は大切です。 しかし、やはりマスメディア業界で働く人々への強い不信感は 9ヶ月間の中でぬぐうことができませんでした。 あまりにも簡単に約束が破られること。 これは人として許せない。 また、『時間』という限りのある大切な資源の価値が 全然理解されていない。フツーの民間企業ならば許されない。 マスメディアだけで通じるルールにはつきあえない。 そして何よりも、 ・僕は消費される商品では無い。 ・他人に作られたイメージでストーリー化されたくはない。 政治家だったら誰でもメディアに出たいかといえば、 僕は違う。何でもかんでも取材を受けるような政治屋ではない。 ---------------------------------------------------- という訳で、もうマスコミの取材は受けません。 この先の9ヶ月間の任期で 政治家フジノがメディアに露出するとするならば、 それは相手のこと(=取材する側)を ・人として高く評価している ・人として信頼している という場合のみだと考えてください。 相変わらずガンコなやり方ではありますが、 最後までフジノはフジノらしくやります。 |