まちの政治家は、こんなことしてます



2012年5月30日(水)のフジノ
● 明日の『徹子の部屋』にアサノさんが出演します

 最近、アサノさんと長年の付き合いがある方々から

 「フジノさんのHPを観ているよ」

 と声をかけていただきました。ありがとうございます。

 それならば、せっかくですので
 アサノ応援団の一人として広報させていただきます。

 *全国のアサノさんシンパのみなさまへ*

 明日31日(木)13:20〜、テレビ朝日の『徹子の部屋』に
 アサノさんが出演されますので、ぜひご覧くださいませ!

 (画像:アサノさんのHPより)

 黒柳徹子さんとアサノさんはかねてから親しいこともあって
 19日に開かれた『浅野史郎さんの出版を祝う会』にもいらしてました。

 フジノは黒柳さんにHTLV−1についてお話しさせていただいたのですが
 全くの初対面であるフジノのお話を熱心に聴いて下さいました。

 トットちゃんの本のイメージどおりの素敵な方でした。



 芸人キラー徹子さんに
 アサノさんがどう料理されてしまうのでしょうか!?

 果たしてふだんどおりのジョークを
 徹子さん相手に飛ばせるのでしょうか!?

 そんな見所もありますが

 やはり、全国のみなさまにはアサノさんを通して
 HTLV−1についてぜひ知ってほしいです。

 明日、フジノは仕事なのでリアルタイムでは観れないので
 ばっちりタイマー録画をセットしました。

 どうかみなさま、ぜひご覧下さいね。



2012年5月29日(火)のフジノ
● 内海さん一家のお話を伺いました/アサノさんの障がい福祉研究会

 今日は、2週間ぶりに慶応義塾大学SFCへ。

 先週は『民生委員・児童委員大会』にフジノは出席しましたので
 『障がい福祉研究会』は欠席させていただきました。

 研究会のみなさんは、横浜市内の
 重症心身障がいのある方々の入所施設を見学されたそうです。



 今日は、内海隼悟さんと
 ご両親の智子さん・邦一さんが講師でした。

 隼悟さんが出演した映画やミュージカルや
 海外での障がいのある方々が俳優として出演している作品を観るとともに

 隼悟さんのお話をうかがい、質問をさせていただいたり、
 智子さん・邦一さんご夫妻のお話をうかがいました。



 フジノは、昨年の朝日新聞の記事で
 隼悟さんの芸能活動が取り上げられていたのを読んだことがあります。

 横須賀でも上映された映画『筆子〜その愛〜』
 隼悟さんは出演していました。

 (2011年7月2日・朝日新聞beより)

 隼悟さんの誕生から現在に至るまでを
 お母さまの智子さんが著したこの本も好評です。

 『ぼくはダウン症の俳優になりたい』(内海智子著、雲母書房、2009年)


 今から20年近く前のことになりますが
 1996年、映画『八日目』で主演をしたパスカル=デュケンヌさんは
 カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞しました。

 デュケンヌさんは、ダウン症の障がいがあります。

 この作品の中では
 俳優としてダウン症のある方の役を演じました。

 内海さん一家はこの作品との出会いを通して
 日本でも障がいのある方々が
 芸能の世界に進む機会がもっとあるべきではないかと感じたのですね。

 そして、内海さんは様々な活動を行なって
 知的障がいのある児童のプロダクションの設立も実現しました。



 実際、欧米では障がいのある方々が俳優・女優として
 テレビや映画などで多くの作品に出演しています。

 それから20年近くが経って
 日本での知的障がいのある方々の映画・演劇・テレビなどの芸能活動は
 ここ数年ようやく増えてきました。

 先ほど紹介した朝日新聞の記事も
 こうした傾向を紹介したものなのですが

 その背景には内海さん一家の活動が
 大きく貢献していたのだと改めて今日学びました。



 内海さん、今日は本当にありがとうございました。

 アサノ先生、今日もありがとうございました。

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 ところで...。

 アサノさんの障がい福祉研究会は3時間の長丁場なので
 途中で10分ほど休憩があります。

 この時、ゲストでいらっしゃった講師の方々が持ってきて下さった
 おみやげをみんなで頂きます。

 みんなでおやつの時間、という感じでとても楽しいのですが
 実は、毎回、少し気が引けていました。

 というのも、フジノは自分がゲスト講師で来た時は
 緊張しすぎて頭が回らず、おみやげを持ってこなかったのです(汗)。

 そこで今日ついに、持って行きました!



 『横須賀おみやげコンテスト』の第1回金賞受賞作品である
 『黒船かりんとうまんじゅう』です。

 研究会のみなさんが「おいしい!」と喜んで下さいました。
 良かった!

 横須賀というと『海軍カレー』みたいなイメージがありますが
 本当は他にももっとたくさん良いものがあることを
 この際、フジノが宣伝してきます。

 これからしばらくは『横須賀おみやげコンテスト』の受賞作を
 毎回おみやげとして持って行こうと思います!



2012年5月26日(土)のフジノ
● 介護保険制度を生み育て守り続けてきた方の姿勢に学ばされる

 先週の18日からずっと体調が悪かったのですが
 大切な仕事が立て込んでいて休めず

 ごまかしごまかし何とか乗り切ろうとしてきたのですが
 20日の夜に、高い熱が出てしまいました。

 喉と全身の関節が痛んでしかたないので
 翌朝、診療所で診てもらいました。

 扁桃腺の腫れが原因との診断が出て
 腫れをひかせる為の抗生物質を処方してもらったのですが

 夜になると、今度は全身に発疹が出てしまいました。

 抗生物質のせいで
 アレルギーが出る人がしばしばいるそうなのですが
 今回初めてフジノもそのアレルギーになってしまいました。
 それだけ心身ともに弱っていたのだと思います。

 全身にブツブツが出ました。

 水をもったブツブツの上に、さらにブツブツができるといった具合で
 顔から足の裏まで、隙間なくびっしりと赤い発疹だらけ。

 かゆくてかゆくて眠れないし、ウトウトして無意識に掻いてしまうと
 真っ赤になって熱をもってひどいことになりました。

 22日の朝、皮膚科を受診すると、
 「扁桃腺の薬は中断するように」との指示が出ました。

 こうして、薬をやめて自然治癒に任せるしか無くなり
 熱とかゆみのダブルパンチと向き合わねばならなくなってしまいました。

 そこで、23日と24日の2日間は
 仕事をキャンセルして休みました。

 まだ万全では無いのですが
 でもこれ以上休むのは気が引けるので、今日から仕事に復帰しました。

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 という訳で、病み上がり第1日目の今日は
 慎重に1日を過ごしました。

 まずはカフェトークでした。

 それから1時間ほど事務所で作業をしてから、
 東京・青山一丁目の国際医療福祉大学大学院に向かいました。

 毎週土曜日の夜は4月14日から14週にわたって
 大学院で聴講しているのですが、その第6回目です。




 今夜の講師は、大森彌さん(東京大学名誉教授)です。
 フジノは今日の講義をとても心待ちにしていました。

 大森さんは、介護保険制度の生みの親の1人です。

 かつて日本の高齢者福祉は措置で行なわれてきたのですが
 社会保険方式による新しい介護システムの創設を提案した
 報告書(1994年12月)を打ち出したのが

 旧厚生省の私的研究会『高齢者介護・自立支援システム研究会』です。
 その座長を勤めたのが大森さんであることから、
 『大森研究会』とも呼ばれます。

 (詳しい経緯はこちらをご覧ください)

 小泉政権によって破壊された社会保障を立て直す為に
 福田総理が立ち上げた『社会保障国民会議』(2008年)では
 サービス保障(医療・介護・福祉)分科会の座長を務めました。

 さらに、『社会保障審議会』の会長であり、
 『介護給付費分科会』の分科会長でもあります。

 つまり、20年にわたって一貫して
 わが国の介護の仕組みを生み育ててきた方です。

 自民党政権から民主党政権へと政権が代わっても
 要職にずっと任用され続けてきた訳ですが

 それは『使いやすい御用学者』だからではなく
 むしろ逆で、誰が総理であろうとどこが政権を担おうとカンケーなく

 介護保険制度の本来在るべき姿を守り続ける
 防波堤のような存在だからです。

 大森さんのそうした姿勢から、
 国会で政治家から名指しで批判されたこともあります。

 例えば、今年2012年3月12日の参議院厚生労働委員会では
 自民党の中村博彦議員からこのように非難されています。

 (厚生労働委員会・議事録より)

 <中村博彦議員>

 (略)皆さんにお配りをいたしましたペーパー、見てください。
 23年の7月までにはこの一体改革のイメージ図の中に
 特養や老健が中核施設として位置取りされていました。

 しかし、12月から出したこの改革イメージには、どうでございますか、
 グループホームと小規模多機能施設しか
 介護というこの図形の中に入ってございません。
 ここを皆さんが見ていただいたらいいんです。

 こういう流れをつくろうとする理念派学者
 今、厚生労働省は牛耳られている。


 最初は官という中で審議会を設けて
 上手に官が学者を使っておったけれども、

 今やその審議会の委員の皆さんが怪物に成長して
 手を焼いているのが厚生労働省でございます。


 そこを是非御理解をしていただきたい。

 (略)

 今回の介護給付費分科会で、今のような形の中で
 地域包括ケアシステムを進めるために
 強引に進めてきているということでございます。

 これ、全て議事録からでございますけれども、
 大森座長というのは、

 「ユニット個室、従来個室、多床室と
  順となるように報酬水準を適正化する、
  この路線でいきたいのですが、反対があってもこれを貫く」

 これ、座長の発言ですよ。



 (引用終わり)


 前半は、地域包括ケアの流れの中で
 特別養護老人ホームなどの大型の施設から
 グループホームや小規模多機能への移行を強く進めようとする
 大森さんたちの姿勢が非難されています。

 後半は、1部屋に4ベットあるような多床室を無くす為に
 個室に介護報酬を高くして、多床室には少なくするという方針に向けて
 強い決意を示した大森さんの発言が非難されています。

 フジノには大森さんの発言はどちらも正しいとしか考えられないのですが
 大規模施設を守りたいような政治家からすると

 「理念派の学者(大森さんのこと)に老健局が乗っ取られた」

 ということなのでしょうね。

 政治家から名指しで非難されるような
 大森さんの学者としての姿勢はむしろ称賛すべきだと感じました。



 そんな大森さんのお話を聴きながらも
 今夜、フジノは体調が悪いせいで
 どうしてもいつものように集中することができませんでした。

 講義も残り時間が尽きて、最後に質疑応答に入りました。
 そして話題が特別養護老人ホームの話題になりました。

 かつての特別養護老人ホームは
 4人1部屋のような大部屋(=多床室)がメインだったのですが
 今では個室への流れこそが主流になっています。

 (例えば、フジノの過去の活動日記をご参照ください)

 けれども実は昨年になって、
 都道府県によっては再びこの多床室を認める動きが
 少しずつ復活してきたのです。

 フジノは、横須賀市の介護保険課長とも

 「これは絶対に食い止めなければいけない」
 「横須賀では絶対に認めてはいけない」

 といった意見交換をしたこともあって、強く印象に残っています。

 さて、この多床室への流れへの回帰について
 話題になりました。

 それまで1時間半にわたって
 本当に穏やかに講義を続けてこられた大森さんが
 初めて厳しい口調で述べました。

 「日本ではずいぶん前からこどもに1人部屋を与える時代ですよね。
  それなのに、どうして高齢になって
  人生の最期を迎える時に
  特別養護老人ホームでは4人部屋なのですか?

  病院型の多床室の方が経営的にラクだという理由で
  人の尊厳というのが踏みにじられていいのですか?」

 大森さんのその言葉に、フジノは強く胸をうたれました。

 フジノの父は、4人部屋の療養病床に
 寝たきりのまま7年半を過ごしています。

 きっとこのまま人生の最期の時を迎えるのだと思います。

 個室化・ユニットケア化を政治家として訴えてきたフジノですが
 その政策の目指す理想の姿を体験させることができずにきました。

 このことに対して
 いつも悲しいやりきれない気持ちを持ちながらも

 ・個室では入院費用を払いきれないのだからしかたない...

 ・待機者があふれているのだから、4人部屋でもしかたない...

 ・個室より4人部屋の方がにぎやかでいいという意見だってある...
 
 といった、いろいろな『できない理由』や『いいわけ』で
 自分の気持ちをごまかしてきました。

 でも、いち個人としてのフジノは圧倒的な現実の前に妥協をさせられても
 現実のシステムを変えることができる立場にある政治家フジノは
 絶対に現実をうのみにしてはいけないんだ!

 大森さんの言葉に改めてそんな気持ちを奮い立たせられました。

 さらに大森さんは、人としての尊厳を守る仕組みを作っていくことが
 自分に残された大きな宿題だと考えているとおっしゃいました。



 これらの言葉で、ようやくフジノの気合いにスイッチが入りました。

 体調はまだ治らないし、
 ムリに動き出したせいでまぶたは痙攣していますが

 気持ちのスイッチは入り直しました。

 また明日からしっかりと福祉を守る為に働いていかなければと
 気合いを入れ直しました。

 理想は確かに遠く、財源の壁やいろいろな困難が立ちはだかっている。

 けれども、その理想の実現に向けて
 現実を1つずつ変えていくことこそが政治家の仕事であるはず。

 がんばろう。

 大森彌先生、ありがとうございました!


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