しろうとが政治に挑戦してみることにした

一緒に横須賀を
もっとおもしろくしようよ!
横須賀をもっとおもしろくしたい人、集合!


藤野英明
  
藤野英明、29歳。ただの元会社員。

  思うところあって
  政治という『手段』に挑戦することになりました。
  ネガティブなイメージばかりの
  政治という業界に
  しろうとがどこまで通用するのか?
  その挑戦の一部始終、
  ありのままの姿を
  ここで伝えていきたいと思います。

  (どんな政党とも組織とも関係ない
無所属です。)

2003年4月16日(水)のフジノ
● 今までどおり、現場に行きますからね

 昨日、ある方からお電話をいただいて
 障がいのあるお子さんがいらっしゃるおかあさんたちの集まりに
 今週末の日曜日に、呼んでいただくことになりました。

 その方は、とても日程を気にしてくださったのですけれど
 大丈夫ですよ。僕は基本的に今週も来週も何も変りませんから。

 これまでの政治家がどうだったかは知りませんが
 選挙期間中であってもそうじゃなくても
 僕はいつもどおりです。

 朝、駅に立つ。人々の声に耳を傾ける。

 毎日必ず福祉の現場に訪れる。
 このまちで暮らしている人の声に耳を傾ける。

 夜、駅に立つ。人々に自分の想いを伝える。

 それが僕のやりたいことなのです。

 選挙の前にだけ事務所をひらいて
 その豪華な事務所の中では後援会のじいさんたちが
 楽しそうにお茶を飲んでいる。

 選挙の時にだけ、うるさい選挙カーを出して
 バイトで雇われただけのうぐいす嬢が
 名前だけを何万回も何万回も呪文のように叫んでる。

 あるいは、いきなり脂ぎったおやじが握手を求めてくる。

 僕はこういうのぜんぶムダだと思っています。

 こんなことをしている暇があれば、少しでも多く現場を訪れて
 障がいのある人の声に耳を傾けたいんです。

 だから、「ねえ、聞いてよ!」と思っている方は
 どうか安心してフジノに電話をかけてきて下さい。

 いつでも僕はそこに行きますから。
 いつも今までどおり、僕は現場に行きますからね。


● みんなで真夜中まで作業、だけど楽しい!

 ハガキの印刷ができあがりました。

 ものすごく親切な印刷屋さんがいらっしゃって
 ふつうなら1週間かかるところを
 なんと、たった2日で印刷してくださったのです!

 料金も、最初の見積もりを大きくしたまわって
 すごく安くしあげてくださいました。

 「ハガキの原稿を読んだんだよ。がんばってね!」

 想いに共感してくれて、帰りには激励されました。
 今日から気合で宛名書き作業です。

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 完全ボランティアで政治活動をしている僕たちは
 仕事を終えて帰ってきたばかりの人たちが手伝ってくれてます。
 本当にみんな、ありがとう。

 今夜も、ポスターの裏面に両面テープを貼る作業をしました。
            
 Dさんは20時から、
 Aくんは22時から、
 Bくんとその恋人のCさんは22時半から、

 みんなして仕事を終えて疲れているはずなのに
 そのままフジノの家に来てくれて、
 真夜中の0時半まで手伝ってくれました。

手伝ってくれた方々  Aくんと、BくんとCさんは、
 僕の大学時代最後のバイト先で
 出会ったバイト仲間です。

 それから、Eさん、自宅での作業ありがとうございます。
 車で取りに来てくださって、

 Fさん宅に集まって5人で作業してくれてるそうなのです。
 ありがとうございます。

 昨日の夜は、GくんとHさんが来てくれました。
 本当にありがとう。おつかれさまです。

 こんな退屈な作業なんですけれども
 みんなが集まってくれて、そして持参のジュースを飲みながら
 (食べ物や飲み物を出せないので
  みなさんに自分の分を持参してきてもらってるのです)
 いろんなことを話しながら、冗談をとばしあいながら
 楽しくやってます。

 フジノは「選挙はお祭りだ」とか言う人は大キライなんですけれど
 こういうふうにみんなで集まって楽しくするのは
 とても楽しくてうれしいです。
 熱も疲れも吹き飛んでしまいますね〜。

 何もかもが一段落したら
 またみんなで大集合して猿島にBBQしに行こうね!



2003年4月15日(火)のフジノ
● 雨のYデッキでの出来事

 雨の中の駅前でのお話にもかかわらず
 今日も足をとめて聞いてくださる方々がいらっしゃいました。
 何よりも最初に、そのみなさまに対して、
 本当にありがとうございました。

 なかでも毎回驚いてしまうのが
 中高年の男性が、握手を求めてくることです。

 かねてからここでも繰り返しているとおりで
 フジノはちょうどその中高年の世代に対して
 かなり厳しい意見を持っています。

 それなのに、その世代の人々が応援してくださる。
 これは一体何故なのだろうかと、ものすごく不思議に感じています。

 「雨ざらしで話してたら風邪ひくだろう!
  風邪ひいたら戦えないんだから!」

 そうやって、フジノにカサをかざしてくれた人もいました。

 「これからは若い世代にがんばってほしい」

 そう言って、握手を求めてくる方もいました。
 雨で冷えきったフジノの手を、力強く握り返してくれる方々。

 フジノは障がいのある人たちの代表だと自分を捉えているのですが
 どうやらまわりには、そういうふうには見られていないのかな?


● 高校にもなって...

 今日バイクに乗って移動していて見かけたことです。

 ある高校の下校時間だったのですが
 そのせいで、たくさんの学生があふれていました。

 ふと校門を見ると
 先生たちが3人、腕組をしながら立っているんです。

 そして時々、大声を出して生徒になんか叫んでいます。

 「おーい!道路は横断歩道のあるところで渡れ!」

 はあ?

 僕は驚きました。

 確かに目の前の高校生たちは道路を歩いてる。
 いきなり車にひかれそうな感じの女の子たちも確かにいる。

 でも、そんなことまで高校になっても指導するのか?

 学生が幼稚化したのか?
 先生が過保護なのか?

 いずれにしても、見ていて情けない風景でした。

 16歳にもなれば、自己責任で生きていかれるように
 そういう教育をすすめていかなければ...。


● 精神障がいのある方々の作業所を見学しました

 今日最もこころに残ったのは
 ある作業所を訪れて、一緒に作業をしたことでした。

 日産の工場の部品組み立ての下請けとして
 鋼鉄のビスをはめていく作業を1時間半お手伝いしました。

 その後は、広報紙『はまかぜ』を三つ折にする作業です。
 最後に広告にハガキをはさみこむ作業をしました。

 2時間半、みんなと一緒に汗を流しました。

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 作業所というのは、本当に大切な施設なのです。

 その大切な施設の数が、このまちはまず足りない。
 すでにある施設も、請け負っている仕事が減ってきたりしていて
 あるいは職員の方々のお給料もとても安かったりして
 フジノには改善しなければならないことが
 山積みのように感じます。

 現場の人たちは、本当にがんばっています。
 それでも、現場だけでは変えられないことがたくさんあります。

 フジノはそれを少しでも変えていきたい。
 現場の想いを知っている人間として政治家になって、
 このまちの福祉をもっと良くしていきたい...。

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 今日訪れた作業所には
 とても思い入れが僕にはあります。

 かつて、僕の友達がこの作業所に通っていました。
 つまりこころの病にかかり、そしてリハビリの一環として作業所へ
 通ってきていたのですね。
作業所

 だから僕はずうっと前から、この作業所を知っていたのです。
 けれども、中に入ったのは今日が初めてでした。

 友達は、ここでこうやって働いていたのだなあ...。

 とても複雑な感慨深い気持ちでいっぱいになりました。
 政治活動をしているおかげで僕は
 今日こうやって現場で一緒に作業をできて、良かったです。

 友達がかつて体験したこと、
 それがまた1つ、腑に落ちて理解できました。

 福祉を変えたい、という想い。

 それはこのまちに住むみんなのためだからだけではなく、
 僕自身の決着のためにも、どうしてもやりたいことなのです。

 切実に、福祉をもっと良くしたい。
 現場の人たちと一緒に、福祉をもっと良くしたい。絶対に。



2003年4月14日(月)のフジノ
● 尊敬してた先輩との14年ぶりの再会

 僕が中学1年生だった頃、
 中3だった先輩たちのことをものすごく尊敬していました。

 不良の人はものすごく不良だったし、
 まじめな人はものすごくまじめでした。

 当時、ある先生を中心として
 数名の先輩たちが集まっておもしろい活動をしていました。
 ちょうど今の僕の仲間たちみたいな感じだったと思います。

 大好きな中3の先輩たちの中でも
 このグループの方々はとても僕は尊敬してきました。

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 今日、なんとこの先輩方の1人に
 偶然にもお会いすることができたのです。うれしかった!

 たぶん、14年ぶりだと思うのです。

 堀の内駅で僕を見かけてくださって
 そして連絡をくれたのでした。

 ひさびさにお会いした先輩は
 当時のことを僕がとても鮮明に覚えていることを聞いて
 すごく驚かれていました。

 だけど、尊敬する側とされる側では
 記憶に差があるのは当然です(笑)。
 僕は本当にこの代の先輩、特にこのグループの方々を
 とても尊敬していたのですから。憧れてましたし。

 ものすごく久しぶりに再会した先輩は
 3人のお子さんがいる、笑顔の素敵なお母さんになっていました。

先輩の娘さん (左)先輩の幼い頃に
そっくりな娘さん

(右)先輩の弟さんの幼い頃に
そっくりな息子さん

2人ともかわいい!
先輩の息子さん

 政治活動をしているおかげで
 本当に大好きな方々との再会を果たせたりして
 ああ、うれしいなあ、と感じることがたくさんあります。

 
● 手話のできる方、連絡ください!


 今日は朝から
 「手話のできる方を探しています」と伝え続けました。

 僕の親戚で1名だけ、手話ができる人がいました。
 ボランティアとして僕の隣に立ってもらえるかは
 現在、分かりません。

 というわけで、ひきつづき手話ができる方を募集します。
 ご連絡はメールにてお願いします。



2003年4月12日(日)のフジノ
● 福祉のまち、よこすかをめざして

 今日は、話しかけてくださる方が多くて
 お話を続けることができないような状態でした。すごい!

 新しく今年から開校した保健福祉大学の学生さんをはじめとして
 障がいのあるお子さんがいらっしゃるというおかあさんや
 初めてお会いする方々が
 たくさん声をかけてくださいました。

 その関心の高さは
 今日が『県の政治家』を選ぶ日だったからなのかもしれません。
 でも、とてもうれしかったです。

 『福祉のまち、よこすか』をめざして
 僕はひたすらまっすぐに歩いていきます。


● こころづよい仲間の登場!

 今日は春のとてもあたたかい天気でした。
 というか、アチー!
 Yシャツ1枚になっても暑くて暑くて...。

 毎日ずうっと外に出て、
 みなさんのお話を聞かせていただいているので
 少しずつ顔が日に焼けてきました。

 ところで、今日はこころづよい仲間がお手伝いをしてくれました。

お手伝いをしてくれた2人  美男美女、登場!

 幼稚園の元先生だったAさんと
 今年高校2年生になったばかりのBくん。

 これ見ると、どう見てもデートだよね〜。
 だけど2人はカップルでも何でも無くて
 それぞれ別々に
 応援に来てくれたのです。

 せっかくの天気のいい春の日曜日に
 わざわざ応援に来てくれたのでした。

 世の中、捨てたもんじゃない、って思いませんか?

 若い人が政治に関心が無い、というのは
 メディアがつくりだしたウソですよ。

 今日だって本当にたくさんの10代のコたちが
 「応援してます」「がんばってね」と声をかけてくれました。

 そして、この2人みたいに
 こんなに気持ちのいい晴れた春の日曜日をつぶして
 わざわざ応援にかけつけてくれる人がいるのです。

 「ごめんね、せっかくの休みに...」と僕が言うと
 「いや、楽しいんで気にしないでください」と答えるらみたくん。
 「私、露天商とかやる才能あるかも」と笑顔のNさん。

 2人とも、サイコーだ!


● 手話のできる方、連絡ください!

 今日は、あまりにも自分のバカさかげんに
 がくぜんとさせられました。

 おかあさんと小学生くらいの娘さんが
 近づいてこられて、
 そしてフジノの話に耳を傾けてくださってました。

 だけど、娘さんの方は
 あまりフジノの話には関心が無いような表情でした。

 小学生くらいの年齢だと、
 まだ福祉は遠いものなのかなあ...。

 年齢はカンケーないはずなのに、と
 フジノはちょっとガッカリしてしまったのでした。

 しかし、次の瞬間です。

 彼女は『手話』でおかあさんに話しかけたのです!

 ...!

 フジノはガーンと頭を叩き割られたような
 ショックを受けました。

 「関心が無い」なんて、
 なんておれはひどい誤解をしたのだろう。

 彼女は、僕の声が聞こえていなかったのだ。

 最悪なおれ。
 なんて最悪な思い違いをしたのだろう。

 その瞬間に、自分のバカさかげんにがくぜんとしました。
 福祉の必要性を説いていながら、
 フジノは『手話』という言語のことを忘れていました。

 次の瞬間には
 こないだフジノは「名刺を点字にしなくちゃ」と思ったのに
 すっかり忙しさにかまけて忘れていたことにも気がつきました...。

 『福祉のまち、よこすか』をめざしているのに
 なんていう、ていたらくだろう。

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 さっそく帰ってから、友達に電話しまくりました。
 手話のできる人にフジノの隣に立っていてほしいのです。

 だけど、いませんでした。

 手話をこれから学びたいという人はたくさんいました。
 でも今すでに手話を流暢にできる人は
 フジノの友達にはいません。

 そこで、このHPをつうじてお願いがあります。

 どなたか、手話ができる方、いらっしゃいませんか?

 そしてフジノのボランティアとして、
 手話の通訳をしてほしいのです。

 自分の未熟さが恥ずかしいです。
 中学時代に1度習ったのですけれど、忘れてしまいました。

 どうかどなたかお願いです。
 フジノの手話通訳としてボランティアになって下さいませんか。



2003年4月10日(木)のフジノ
● 泣いてばかりの僕

 今夜の駅前でのお話では、涙で声がつまってしまいました。

 ある女性が話しかけてきてくださいました。
 障がいのあるおこさんがいらっしゃるということでした。

 涙ながらに話されるその女性にうたれて、
 フジノは泣けて泣けてしかたがありませんでした。

 その方が帰られてからも
 しばらくのあいだ、涙で言葉がつまってしまいました。

 福祉は一部の弱者のものだ、
 一部の人のために税金をつかわないでほしい、
 そんなことを言う人がいます。

 こういう人たちは、想像力をつかっていない人たちです。
 もっと、ちゃんとこころを働かせてください。

 誰もが必ず年をとります。
 フジノだってあっという間に30才に近づきました。

 こんなにあっという間なら、60才になるのもすぐでしょう。

 みんなこうやって年を重ねて高齢になるのです。
 そうしたら高齢の方々の
 福祉サービスを受ける必要が絶対あります。

 あるいは、あなたに子どもができたとします。

 この赤ちゃんがたまたま障がいがあるかもしれない。
 それは誰にだって起こりうる出来事です。

 想像力のない悲しい人々は
 自分が痛みを体験するまでは「自分はカンケーない」と信じてる。

 でも、絶対にカンケーあるんですよ。
 そして痛みを体験して初めて慌ててしまう。

 フジノが福祉を変えたい(=当たり前のレベルにもっていきたい)と
 毎日毎日、まちかどでお話をしているのは
 一部の弱者とかのためではなく
 僕たち全員のためなのです。


● 恩師の励まし

 中学時代の担任の先生が、フジノの話を聞きに来て下さいました。
 そして、ものすごく励ましてくださいました。

 それだけではなくて、
 2万円も寄附をしてくださったのです。

 寒い夜の吹きさらしの風がぶつかるYデッキの上で
 ずっとお話を聞いてくださって、本当にありがとうございました。

 お金は、大切に大切につかわせていただきます。


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