大好き、横須賀
(いつもみてる風景)
 夢の果ての姿は 〜横ビル映画街:横須賀劇場・有楽座〜
2002/03/03

 僕にとって
 かつて『映画館』といえば、
 横ビル映画街の映画館たちをさしていました。

 でも、もうこれらの映画館があったことなんて
 知らない人の方が多いでしょうね。

 かつて横須賀中央に
 『丸井の別館』として知られていた横ビルというビルがあり、
 そのビルの中には
 4つも映画館が入っていたのでした。
 横須賀劇場、有楽座、名画座、スバル座。
 さらに米が浜には
 シネマ座というのもありました。

 僕がそこに通った理由は
 何よりも、そこにしか映画館が無かったからなのです。

 ただそれだけの理由。

 選択の自由なんて無い状況だったから通っただけで
 だから愛着を抱く必要なんて無いのにね。

 だけど僕はここが大好きで
 大好きで大好きで、
 大好きでした。

 今も形を変えて存在していますが
 『メイツ』という4ページくらいの情報紙が
 毎月1度くらい新聞に折り込まれ、
 表紙のページには、
 この映画街での上映スケジュールと時間表が
 掲載されていました。

 東京よりも1ヶ月くらい遅れて
 新作が上映されるような地方の映画館でした。

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 やがて時は流れて
 僕が生まれた時にあった横須賀の映画館は
 全て潰れてしまいました。

 横ビル映画街は、まず小さい3劇場を潰しました。
 そして、三浦半島最大規模をうたう
 巨大レンタルビデオ店へとその姿を変えました。

 しかし、そのビデオ屋も
 世の中にビデオ屋があふれて市場が飽和していき
 レンタル料金がどんどん安くなっていくと共に
 姿を消しました。

 そして今、カラオケ屋になっています。
 (安くて広くて使いやすいです。オススメ)

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 横ビル映画街は、
 今でもその名残りをいくつも残しています。

 まず、横ビルを訪れてみてください。
 ビルの外壁にはまだ
 『横ビル映画街』と書かれた巨大な看板が
 昔の姿のままに堂々とそこにあります。

 エレベーターに乗ってみてください。
 そこには階ごとのテナント表示を見てみて下さい。

エレベーターのテナント表示  4階には『有楽座』、
 5階には『横劇ホール』という文字が
 見えますか?

 そして4階のカラオケに行ってみてください。
 そこには、他の何よりも
 かつてここが映画館だったことを想起させる
 形見があります。

 映写機です。


夢の終わり 

 カラオケの、トイレの脇に映写機はあります。

 その姿を見るたびに
 僕のこころは
 ものすごく複雑な気持ちに襲われてしまいます。

 ひとつの果て。

 たくさんの人たちに夢を送りとどけた者の最期の姿。

 資本主義社会に生きていれば
 会社は潰れる。それが当たり前の健全な姿だ。
 だから映画館だって潰れる。
 それが当たり前の姿だ。

 だけどそれは『知識』だ。

 僕のこころには、『思い出』が残っている。
 そしてこころの中では思い出たちが知識をおしのけて
 いつまでも輝き続けているのだ。

 思い出の中では
 横ビル映画街の朽ち果てていく姿は出てこない。
 お客さんがあふれて
 5階の入り口から1階の外まで
 行列が続いていた頃の姿が輝いている。
 毎週末になると1日中映画館にこもっていた頃の僕が
 笑顔でスクリーンを見つめている。

 だけど、この映写機の姿は
 美しき思い出の日々を完全にうち砕く。
 これがリアルな現実だ。

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 この映写機が捨てられないままに残っているのは
 横ビルの方が「あえて残している」のだと僕は信じている。
 たぶん、実際にそうだと思う。

 かつてビデオ屋になった時代にも
 店内の中央に映写機は堂々と置かれていた。

 当時中学生だった僕は、
 映画館がつぶれると聞いてすぐに横ビルに行った。
 そして、
 「イスをもらっていいですか?」と尋ねた。
 何でもいいから
 その形見が欲しかったのだ。

 返事はOKだったんだけど、
 映画館のイスなんて持ち帰れるはずがない。
 20席くらいがつながっていて、1つずつが重くてたまらない。

 挫折した僕は、映画館の人にそれを伝えた。
 そうすると、映画館の人は僕に言った。
 「でも、映写機は捨てないよ。
  新しくなったビデオ屋に置くつもりだよ」

 もう10数年以上前の記憶だから、
 これは事実に反するかもしれない。

 だけど、確かにそう言われた気がする。
 ビデオ屋に置かれた映写機は、あえてそこに置かれたのだ。

 そして今、カラオケ屋にある映写機も
 きっとあえてそこに置かれているのだと僕は信じたい。 

映写機  映画館という夢をうつしだす装置は
 消えてしまったけれど、
 そこで夢をみた
 その記憶は決して消えない。

 横ビルの人が
 看板を撤去しないのも
 映写機を捨てないのも
 本当は
 単純に費用の問題かもしれない。

 でも、それでもかまわない。
 大切なのは、それがそこにあるという事実だけだ。
 そしてそれを見て感じる僕のこころだけだ。

 かつてみた夢というのは、
 やがて年月とともに莫大な記憶の果てに消えてしまう。
 そして、何かのきっかけでも無ければ
 2度と思い出されることもない。

 だから、僕はここに来れば、
 10歳の頃の自分の夢にたちかえることができる。
 たとえその姿を変えて、トイレの脇においやられていても
 そのアーク灯に2度と火が点けられることは無くても
 夢は再び僕のこころに映写される。

 

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