(いつもみてる風景) |
大きな、大きな、縁側 〜宇東川緑道〜 | ||
川の流れにふたをして、道にしてしまった。 そういう工事って、 聞くだけでゆううつな気持ちになってくる。 だけど、この道はすごく暮らしに溶け込んでいる。 それが佐野にある『宇東川緑道』だ。 2002年夏の現在、かつてここに流れていた川のことを 果たしてどれだけの人が憶えているだろうか。 それくらい、この道=『緑道』は 確立された存在として、生活の中に馴染んでいる。 昔からこの近所に住んでる友達に聞くと、 ふたをされてしまった川の名前が『宇東川』という名前で、 この緑道の下を人知れず今も流れているらしい。 だからこそ『緑道』の正式な名前は 『宇東川緑道』なのだという。 ふだんこの道を通っているあなた、知ってました? 僕はこの道がすごく好きだ。 かれこれ15年にわたってこの緑道を通っているけれど、 つくづくそうと感じる。 通り過ぎていくだけの者の 勝手な思い込みなのかもしれないけれど、 この緑道は、佐野の人々の暮らしの中にとてもなじんでいる。 それはまるで、大きな、大きな、縁側のようなのだ。 縁側、という言葉さえも今はあまり聞かれないし 僕も実体験として縁側のある家に住んだことは、全く無い。 でも昭和をめぐる本をひらけば、 縁側は暮らしの中にいつもあったように思える。 庭先にある縁側。 そこで子どもたちは遊んだり、 母親は隣の家の奥さんと近所の話をしてみたり、 おじいさんは番茶をすすりながらひなたぼっこをしたり...。 宇東川緑道は、縁側が姿を消しつつある今、 縁側のそんな役割を果たしているように僕は思う。 夕方の緑道の光景はすてきだ。 犬を散歩する人。部活動で走る高校生たち。 なわとびをしたり、チョークで地面に絵を描いている子どもたち。 近所の母親たちが集まって、楽しそうに何か話している。 幼稚園の子どもたちは手を引かれて帰っていく。 おじいさんはそんな光景を眺めながら、座っている。 そんなすべてが、オレンジ色の光の中にある。 とても平和な気持ちになる。 そして僕は思う。これがきっと縁側なのだろう、と。 緑道は、大きな、大きな、縁側なのだろう。 |