まちの政治家は、こんなことしてます


2011年4月14日(木)のフジノ
● 横須賀市議会は、さらに情報発信・政策提言の場を目指します

 けさの朝日新聞で、横須賀市議会をはじめとする
 神奈川県内の地方議会についての特集記事が報道されました。

 今回の特集記事を執筆したのは
 2月に連載された『シリーズ「見えない議会」』を執筆した
 あの佐藤記者です。

 フジノも再びインタビュー取材を受けて、
 コメントも掲載されましたので、ご紹介します。

 (2011年4月14日・朝日新聞より)

 見えない議会〜本社アンケートから(上)〜
 個人埋没、議案の賛否


 写真:1月27日に初めて開かれた議会報告会。
 約80人の市民が参加した=横須賀市のヴェルクよこすか

 統一地方選は、17日から後半戦が始まる。

 地方議会に対する批判は根強いいが、
 日常生活にかかわる政策を決めていることには変わりがない。

 大切な1票をどう投票するか。

 朝日新聞が1月に実施した自治体議会アンケートの結果をもとに、
 議会の現状を紹介したい。

 1月27日夜、横須賀市内で議会報告会があった。
 集まった市民は約80人。

 初の試みに、市民と向かい合った市議11人の表情は
 緊張気味だった。

 「議会運営委員会もネット公開して」
 「議会だよりを年4回に増やせないか」

 派手な会合ではなかったが、ここまで来るのに2年かかった。
 市議にとっては大きな一歩だった。

 報告会開催を盛り込んだ議会基本条例検討委員会が
 発足したのは2009年2月。

 各会派の代表10人が委員となり、
 条文ひとつ一つの中身を詰めた。会合は延べ23回に及んだ。

 報告会について

 「市民運動家ばかり参加したら」
 「自由に発言させたら何を言い出すか」。

 当初は消極的な意見も多かった。
 それでも「開かれた議会」をめざす点では一致し、
 最終的に意見はまとまった。

 委員の1人は

 「真剣に議論し尽くした。
  ただ、条例の目的をいかに実行していくか、
  議会の真価が試されるのは実はこれから」。

 7月からは本格的な報告会を各地で開いていく。

 横須賀は本会議のほか
 委員会もインターネットで生中継する。

 委員会傍聴も自由で、議員と同じ資料が見られる。

 個別議案に対する個人の賛否も
 ネットですべて公開。

 議会事務局によると、議会内のIT化を進める中で、
 大きな反対もなく公開が進んだという。

 若手議員の1人は

 「ネット中継が始まり、意見をいう議員が増えた。
  仕組みはできた。次は成果をどう出すかが問われる」。

 朝日新聞が実施したアンケートによると、
 議員個人の議案への賛否を明らかにしない、
 県内自治体の「非公開」議会は
 34議会中21議会(約62%)にのぼった。

 非公開の理由として、

 小田原市議会は
 「賛否だけを公開すると結論に至った理由が説明されず、
  市民に誤解を与える恐れがある」、

 平塚市議会は
 「市議個人と会派の意見は同一と考えている」、

 鎌倉市議会は
 「議員個人の賛否について認定していない」
 と説明している。

 また議会報告会など
 市民が議員に意見を言える場を設けている議会も5議会のみで、
 29議会(約85%)は制度を設けていない。

 (佐藤善一)
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 (引用おわり)

 この部分がフジノのコメントです。

 選挙の前は、マスメディアは特定の政治家個人の名前は
 記すことができないそうなので匿名になっています。

(2011年4月14日・朝日新聞より)

 横須賀市議会は
 「他のまちの議会に比べるとかなり進んでいる状態」です。

 けれども、本来は「他のまちの議会と比べてどうか?」ではなくて
 大切なことは「市民のみなさまにとって身近かどうか?」、
 評価の基準は、これだけです。

 現状では、まだまだ市民のみなさまにとって
 「身近な議会だ」とは言えません。

 これからはハッキリとした『成果』を出すことが課題です。

 情報発信を徹底的に続ける。
 政策提言をどんどん行なう。

 何よりもそうした活動が市民のみなさまにとって
 リアルに身近に感じてもらえる結果を出す。

 これが横須賀市議会の目指していく姿だとフジノは考えています。


● フジノが、マスメディアの取材を解禁した理由

 2009年12月からフジノは
 あらゆる取材をお断りしてきました。

 まもなく2期目の任期も後半にさしかかった1年半前から
 フジノは政治家を続けるべきかずっと悩み苦しんでいました。

 そして、もしも辞めることを決意した場合に
 なるべく早くふつうの暮らしへ戻れるように

 マスメディアの取材をはじめ、大学などからの講演の依頼など、
 全てをお断りして、可能なかぎり露出しないようにしてきました。

 (唯一の例外は、3月8日の神奈川新聞の記事
  これは石橋学さんという記者の方の姿勢に強く打たれて
  取材を受けました)

 それが、今回の記事を書いてくれた佐藤記者が
 昨年暮れにカフェトークにふらりと参加して

 (カフェトークは名乗る必要もありませんから
  はじめは新聞記者であるということも知りませんでした)

 その後に、取材の依頼を受けました。

 シリーズの記事についてもどんな連載かも知らず、
 フジノは取材依頼を最初はお断りしました。

 でも、佐藤記者はそれからもしばらく
 カフェトークに通ってくれたのでした。

 そんな佐藤記者の在り方に共感を覚えて
 率直に自分自身の気持ちをお伝えしました。

 「僕はこの仕事に誇りを持っているけれど、
  同時にいつも政治家を続けていくことに苦しみを感じています。

  まわりの人々はそんな僕の気持ちをよそに
  僕に過大な期待と幻想を抱いています。

  僕はそれが苦痛でたまりません。

  もう8年前みたいに体力も無いし、
  精神的な不調もより強くなってきています。

  だから、取材をお受けてしても
  そもそも政治家を続けないかもしれません。

  だから僕を取材していただいても
  望んでいた取材にはならないかもしれませんが
  それでもよろしければ、取材をお受けします」

 それに対して佐藤記者は
 それでもいい、と言ってくださいました。

 そこまで想っていただけるのであれば、と
 取材を受けたのが2月のあの記事になりました。

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 今、フジノは迷いを捨てた訳ではありません。
 物事を僕はそんな簡単に割り切れる性格ではないからです。

 今もこの仕事を続けることに苦痛と困難を感じています。
 それは、震えるほどの責任の重さと
 僕自身の心身の不調からです。

 それと同時に、この仕事を続けていかねばならない責任を感じています。
 何故ならば、僕にしかできない仕事がたくさんあるからです。
 やらなければならないことが
 目の前にたくさんあるからです。

 葛藤をいつも内側に抱え込みながらも
 僕は、最後の判断は市民のみなさまにしていただこうと決めました。

 だから、マスメディアの取材も
 これからはお断りするのではなくて、解禁しました。

 5月にパネリストとして依頼されたものも
 お受けすることにしました。

 もともと僕がこの仕事を続けるべきなのかどうかは
 僕自身の判断で決められることではなくて

 市民のみなさまの判断に
 委ねられているものだと考えています。

 その為の判断材料は、きちんと全てお出しする。
 そして、結果はどちらであろうと受け入れる。

 そう考えています。



2011年4月12日(火)のフジノ
● 議会活動報告(第25号)を配っています

 フジノは市民のみなさまに
 「支援物資を提供してほしい」というお願いを
 3月31日まで続けてきました。

 最終的に、わずか8日間で合計2208件もの物資
 市民のみなさまから提供していただきました。

 その報告とお礼を
 きちんと市民のみなさまにお伝えしたかったのですが

 県知事選挙と県議会議員選挙のあいだは、
 あらゆる『政治活動』をしてはいけないルールになっているので

 報告のチラシを
 配ったりすることもできませんでした。

 けれどもようやくその禁止期間も終わりましたので
 支援物資の合計数の報告と
 ご協力いただいたことへのお礼を
 昨日からスタートしました。

 みなさま、支援物資の提供を
 本当にありがとうございました!



 同時に、8年間で最後の
 議会活動報告チラシを配りはじめました。

 4年間の任期での成果や
 新たなハコモノ・サッカー場建設の問題などを記しました。

 夜、ひとりで歩きながら
 このチラシのポスティングもしています。

 久しぶりのポスティングでしたが、
 昨日は平成町で2500枚、
 今日は衣笠で1000枚です。

 4年前のこの時期には、親友が手伝ってくれて
 市内全域に2万5000枚をポスティングしました。

 今回は1人きりの作業なので、
 さすがにそこまで多くの枚数は配れなさそうです。

 それでも可能なかぎり多く
 みなさまのお手元に届くようにがんばります。

 ぜひ読んでみてくださいね。



2011年4月11日(月)のフジノ
● どんなに時が経っても、僕は変わらない

 フジノは、今回もポスターのデザインを全く変えませんでした。

 下の写真は、左から
 8年前のポスター、4年前のポスター、今回のポスターです。



 何故このようなポスターにしているか
 その理由は4年前に書いた活動日記をご覧下さい。

 あれから4年間が経った今も、
 3つの原則について、全く同じ想いで僕はいます。

 (1)絶対に笑わない

 政治家のポスターが、へらへら笑っているのが
 幼い頃からフジノは大キライでした。

 政治というのは命がけの仕事なのに
 政治家のポスターといえばみんなでヘラヘラ笑ってる。

 魂と体を削って必死で働くのだから、
 笑顔なんて出るはずが無い。

 少なくとも僕には笑うことはできない。

 だから僕は『絶対に笑わない』ことこそ
 『フジノらしさ』なのだと考えています。


 (2)キャッチコピーもデザインも変えない

 この8年間、どんな時でも信念を貫いてきました。

 政治家は『先生』ではなく、
 ただの『サービス業』です。

 政治家は『偉い存在』なんかでは決して無くて、
 徹底して『使い倒すべき存在』です。

 だから、「おれを、こきつかえ!」。

 この想いは8年間ずっと揺らぐことはありませんでした。
 だから、キャッチコピーは変えません。

 撮影にあたっても、背景はいらない。
 真っ白の背景。

 政治家の本当に在るべき選挙とは、
 政策を伝えることだけであるべきです。

 本来ならば、顔を出す必要さえ無いものだと思います。
 政策がただひたすら書かれていれば良いのだと思うのです。

 けれども、今、選挙ポスターが現実に存在している中、
 政策を記した文字だけのポスターでは誰も読むことはないでしょう。

 理想(政策だけを書き連ねるべき)と
 現実(それでは誰も見向きもしない)との妥協点が、
 『可能な限りシンプルにする』ことでした。

 だから、真っ白な背景にしかめつらのフジノがいるのです。


 (3)徹底しておカネをかけない

 おカネをかけない政治を実現することは
 フジノの重要な信念の1つです。

 だから、デザインを前回から全く変えないことで
 ポスター作成代金を安く抑えることができました。

 今回、新たにデザイン担当になってくれたMくんが
 こうしたフジノの想いを深く理解してくれて
 フジノの願いどおりのポスターができあがりました。

 スタッフのみなさん、本当にありがとうございました。


● たすきもついに届きました/準備がほぼ完了です

 選挙が始まるまでに届くかどうか心配していた『たすき』が
 今日の夜になって、届きました。

 ギリギリまで立候補すべきなのか悩んでいたことと
 選挙よりも被災地への支援に優先して取り組みたいこと、

 この2つの理由から、選挙カンケーのあらゆる準備が
 全て後手に回ってしまっています。

 けれども、この『たすき』が届いて
 ちょっと安心しました。



 これも、8年前、4年前、そして2年前と
 全て同じ職人さんに作っていただいています。

 2年前というのは、あの大きな話題を読んだ(皮肉ですからね)
 市長選挙での勝手連のたすきです。

 『新しい横須賀』という言葉を考えたのも
 発注して作ってもらったのもフジノです。

 4回目になってしまいましたが
 いつもムリなスケジュールでお願いしてしまっているのに

 とても素敵な出来栄えのたすきを作ってくださる
 職人さんの方には本当に感謝しています。

 これで、装備はほぼ完了です。
 メガフォン用の乾電池(単1×10本)も買うことができました。

 あとは公選ハガキ2000枚を作らなければいけません。
 早く原稿を作って印刷しなければ...。



2011年4月10日(日)のフジノその1
● 神奈川県知事・議員の選挙へ/フジノが投票した候補者の報告です

 今日は、神奈川県の『知事』と『議員』を選ぶ為の
 選挙が行なわれました。

 みなさまは選挙に行きましたか?

 選挙に行くのは「こどもたちに対する大人の義務だ」と
 フジノは考えています。

 だから、たとえ震災後の今、
 選挙なんてやってる場合じゃないのにという気持ちがあっても
 それでもあえて投票には足を運んでほしいと思っています。

 今回の選挙の投票率が
 前回より0.1%でもアップすることを強く願っています。



 それにしても今日は桜が満開で
 本当にキレイでした。

 お花見気分で投票なんて、素敵ですよね。



 さて。

 公人としてフジノは「誰に投票したか」を
 市民のみなさまにいつも公表すべきだと考えてきました。

 選挙期間中に尋ねられた時には
 「誰に投票するかは終わるまでは言えません」と答えていますが

 これまでも、選挙が終わった後には
 あらゆる選挙が行なわれるたびに必ず報告してきました。
 (例えばこちら

 今回もフジノの投票行動を報告します。

 県知事の選挙には
 下の写真の方々が立候補していました。



 フジノは、この方に投票しました。

 ・県知事→黒岩祐治さん

 理由は、高齢の方々の福祉に対する考え方が
 フジノの想いとかなり近かった為です。

 国際医療福祉大学大学院の教授としての黒岩さんの考え方は
 あらゆる機会に読んだり聞いたりして、
 とても良く知っていました。

 (そもそも黒岩さんはジャーナリストをしていたそうですが、
  彼のニュース番組は1度も観たことがありません。
  フジノにとっては、医療と福祉を研究している大学院の教授という認識しかありません)


 あらゆる政策の中で政治家としてフジノが
 今とても重視しているのが
 
高齢の方々の福祉の在り方についてです。

 これからも介護保険制度を守っていく為に
 財源をどう確保していくかをはじめ、

 特別養護老人ホームに入所したくてもできない
 待機者問題の解消に向けての取り組みなどに対して

 共感する提言が
 黒岩さんには、たくさんありました。

 フジノがずっと傍聴を続けてきた審議会である

 『介護職員などによる、たんの吸引などの実施の為の
 制度のあり方に関する検討会』

 審議会メンバーであった黒岩さんは

 「たん吸引などの医療行為を
  介護福祉士ら介護職の方々ができるようにすべきだ」

 とする側の論客でした。

 一刻も早い解禁を目指しているフジノにとっては
 強い味方に感じられていました。

 だから、県知事選挙においても
 県の高齢者福祉政策が今よりも改善されることを信じて
 黒岩さんに投票をしました。

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 県議会議員の選挙には、
 下の写真の方々が立候補していました。



 フジノは、この方に投票しました。

 ・県議会議員→竹内英明さん


 理由は、2つあります。

 第1に、2005年の横須賀市長選挙
 竹内さんと一緒に勝手連として活動をさせていただくなかで
 『人』として惚れたからです。

 正しいと信じた政策の為には全てを投げ打って
 1人きりになっても正しいと訴え続けるその姿勢に打たれました。

 (写真:2005年の横須賀市長選挙の最終日)


 竹内さんは絶対に人を裏切らないし、
 信念の為に身を捨てることができる人です。

 そういう人が政治家であってほしいと
 フジノはいつも願っています。

 (写真:2005年の市長選挙に敗北したものの、笑顔の勝手連仲間)


 第2に、障がいのある方々の福祉をはじめとする
 福祉政策に対する取り組みの深さからです。

 フジノは、どんなに人間として信頼できる方であっても
 やはり政治家ですから『政策』が全てで、
 『政策』で信じられなければ、託すことはできません。

 その点において、竹内さんの県議会議員としての
 福祉への取り組みはとても素晴らしいものがあります。

 (その情熱は、フジノもいつも見習わなければと感じています)

 具体的に、フジノがこころに
 強く印象に残っていることがいくつもあります。

 例えば、障がいのあるおこさんが福祉施設の中で
 虐待を受けた可能性がある、という市民の方からの相談を
 フジノが受けた時のことです。

 あまりにも根深いこの事件に対応しきれずに
 フジノは竹内県議に相談に乗っていただきました。

 それからわずか数日のうちに
 竹内県議がみずから運転するクルマにフジノを乗せて
 その事件の現場に
 一緒に訪れて下さったのです。

 竹内県議のおかげで
 福祉施設の職員への徹底的なヒアリングを行なうことができました。

 その福祉施設はとても遠い場所に会ったので
 帰り道、どうしたら再発防止ができるのかをずっと話し合いました。

 一大政党の県連幹事長を勤める多忙な方が
 政党のワクも飛び越えて、

 こうして、市民の方の為に
 語り合ってくださることに深く感動しました。

 このようなエピソードがいくつもあります。

 人として、政治家として、フジノは竹内県議を尊敬しています。
 そこには『政党』がどこかといった概念は全くカンケーありません。

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 まだ、開票が始まってすぐなので
 どなたが県知事/県議会議員に選ばれたのかは分かりません。

 けれども、政治家は選挙が終わってからが
 仕事のスタートです。

 誰が選ばれたとしても、僕たちはいつも是々非々で臨むのです。

 投票をした人が選ばれたならば、
 1票を投じた責任をもって厳しくチェックしていかねばなりません。

 投票をしなかった人が選ばれたならば、
 自分の想いもその人の政策に反映されるように
 働きかけていかなければなりません。

 政治家を選んだらそれで終わりではありません。

 明日は今日よりも必ず良くなる社会に変えていく為には
 投票に行くだけでなく、
 選挙が終わってからも
 ずっとずっと関心を持ち続けていかねばなりません。

 どうか市民のみなさま、
 新たに選ばれた県知事と県議会のもとで

 被災地の支援をはじめとする
 今すぐやらなければならないたくさんの課題に対して

 ちからを合わせて
 がんばっていきましょうね!



2011年4月9日(土)のフジノその2
● 政治家フジノがつくった唯一のハコモノ

 今日は、『スワンカフェ&ベーカリー赤坂店』へ。
 赤坂に仕事で来ると、いつもごはんをここで食べることにしています。

 何故かというと、店内にところせましと
 全国のスワンベーカリーの写真が飾られていて

 2006年にオープンした横須賀の
 『スワンベーカリー県立大学駅店』の写真もあるからです!

 全国のスワンベーカリーの中に
 横須賀店があることは、フジノの誇りです。



 実は、横須賀のスワンベーカリーが
 3月6日で5周年を迎えました。

 2006年3月の内覧会から、もう5年も経ったのですね〜。
 本当に早いものです。

 全てのスタートは2004年でした。
 かねてから障がいのある人も無い人も共に働く場としての成功例である
 スワンベーカリーをフジノは横須賀に作りたかった。

 ヴェルニー公園に市が新たにつくるカフェとして
 ヤマト福祉財団に対して
 スワンベーカリーを出店してほしいとフジノは提案しました。

 残念ながら、これは条件が合いませんでした。

 しかし、横須賀へのスワン誘致へのフジノの想いは強かったので、
 今度は横須賀市に対して
 2005年に市議会で提案をしました。

 ときの沢田市長がその提案を受け入れてくれて
 みずから京浜急行に働きかけてくれました。

 そして、京浜急行も決断をしてくれて
 特例子会社である京急ウィズが
 スワンベーカリーを横須賀でオープンすることになりました。

 沢田元市長には深く感謝しています。

 障がいのある人も無い人も
 ともに働ける。それがスワンベーカリー。

 そして、スワンの取り組みが
 どんな企業でも当たり前のことになることを
 フジノはいつも願っています。

(2011年4月6日・神奈川新聞より)

 そして、障がいのある人も無い人も
 ともに働ける社会に向けた1つの過渡的な手段として
 『特例子会社』があります。

 横須賀市内への特例子会社の設立・誘致を
 フジノは2003年から提案し続けてきました

 そのフジノの想いは
 吉田市長のマニフェストの中にも盛り込まれました。

 (吉田市長のマニフェストより)


 そして彼が市長になった今では、

 特例子会社の誘致の為の事務費は
 今年の予算にもしっかりと載っています。

 これからもっともっと
 障がいのある人も無い人も共に働いていかれる
 当たり前の世の中になるように

 しっかりと働いていきます!


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