まちの政治家は、こんなことしてます新人議員の活動日記


2003年11月12日(水)のフジノ
● 日本の精神病院を変えた人

 大熊一夫さんを知っていますか?

 精神保健福祉にたずさわったことのある人なら
 きっと誰でも知っていると思うのですが
 30年ほど前に彼が書いたルポルタージュは
 今もロングセラーとして読まれているすごい本なのです。

 『ルポ・精神病棟』

 当時、朝日新聞の記者だった大熊さんは
 アルコール中毒患者のふりをして、精神病院に潜入取材しました。

 30年前の日本の精神病院は
 本当にひどい所でした。

 鉄格子、囚人のような扱い、罰のようにおこなわれる電気ショック。
 監獄よりもひどい世界でした。

 こういう実態を、大熊さんが自ら体験して
 初めて世間に明らかにしたんです。

 ルポルタージュは大きな反響を呼びました。

 彼のこの本のおかげで
 日本の精神病院は
 やっと大きく改善されはじめた、といってもおかしくなりません。

 大熊さんは、そんなすごい本を書いた
 朝日新聞の記者です。僕のヒーローです。


● ヒーローとの出会い

 大学時代の僕は
 精神保健福祉にかかわりながらも
 その現場だけで働いていくことに限界を感じていました。

 デイケアなどの現場で働きながら福祉を変えていくのも
 本当に大切で地道な努力なのですが
 僕はもっと早く
 もっと大きな変化を求めていました。

 間に合わない、と感じていたからです。

 このコーナーで前に書いたとおり
 厚生省の役人をめざそうとした時期もありました。

 とにかく、現場で働くよりも
 もっと力を持って
 少しでも早く
 精神保健福祉の現状を変えられるようになりたかったのです。

 そんなわけで、就職活動をはじめた3年の秋には
 「新聞記者をめざそう」と僕は決めたのでした。

 大熊さんのように
 精神保健福祉の現状をどんどん伝えていくことで
 より早く、より大きく、現状を変えられるはずだ、と信じたのです。

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 そう決めてから、僕はとにかく大熊さんに会いたくて
 ずうっと会いたかったのです。

 2003年の現在のように
 インターネットなんて普及していなかったから
 人々に想いを伝える手段は、新聞などのマスコミしかありません。

 そもそも僕は自分が新聞記者に向いていないことは
 十分に分かっていました。

 新人記者がしなければならない甲子園取材、全く関心が無い。
 政治家同士のくだらない権力争い、バカバカしい。
 特ダネ競争とかそういうのはとてもくだらないと感じました。

 体力にも自信が無いし、
 転勤を繰りかえすこともできない事情がありました。

 けれども、大熊さんのように
 精神保健福祉のルポを書く記者になりたかった。

 そうすればこんな福祉の現状を変えられると信じていたから。

 果たしてこんな自分が通用するのか、
 大熊さんにお会いして、話をどうしても聞いてほしかったのです。

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 そんなある日(たぶん7〜8年前です)
 彼が横浜で講演をおこなうと知って、僕は会場に行きました。

 確か関内か桜木町にある
 横浜の医師会の会館だったと思います。

 そして大熊さんが講演を終えた後、
 主催者に頼み込んで
 (断られたので最終的にはむりやり)
 大熊さんの控え室を訪れたのでした。

 「すみません、僕の話を聞いてもらえませんか...」

 大熊さんは
 いきなりのぶしつけな僕にも
 きちんと話を聞いてくださいました。

 何故僕が新聞記者になりたいと思うのかを
 じっくりと耳を傾けてくれた後で、語ってくれました。

 「きみのように、1つの分野をやりたいのだと
  新聞記者になってからが大変だよ」

 「書きたい記事を書けるようになるまでには
  本当に時間がかかるよ」

 僕は生意気にも
 遠回りでもそれが近道だと思う、と答えました。

 大熊さんはそれを聞くとにっこり笑って
 がんばれよ、と握手をしてくれました。

 見ず知らずの人間を相手に
 ずっと話を聞いてくれて、
 改めて大熊さんに惹かれました。

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 それから2年間、僕は就職活動をしました。

 大熊さんのいた朝日新聞社が第1志望で、
 4回も就職試験を受けました。
 (新聞社は年2回、入社試験があるのです)

 最終面接まで残って
 役員相手に
 「精神保健福祉のルポを書きたい」と言いました。

 ふかふかのじゅうたんの役員室で
 じゅうたんがふかふかしていることにむかつきながらも
 僕は真剣に自分の想いを伝えきりました。

 そして、不合格。

 自分の想いを全力で伝えても
 相手が要らないと言うならば、僕は必要ないのだろう。

 そう納得させて、食べていくために僕は
 新聞記者は諦めて、別の会社に就職をしたのでした。

 やがて、月日は流れました。


● ヒーローとの再会

 人生は分からないものです。

 今日、僕は僕のヒーローと
 再会を果たすことができました。

 大熊さんは、昨日から僕が参加している
 精神保健ボランティア全国大会の講演者でした。

 改めて、どうしても彼に会いたかった。

 7年前と変わらずに僕は
 大熊さんのところへと押しかけたのでした。

尊敬する大熊一夫記者と藤野。  大熊さんです!

 僕は自己紹介をして
 7年前のエピソードを話しました。

 大熊さんはもちろん覚えておらず(笑)
 それでも改めて話を聞いてくれました。

 そして、今は政治家になったことを
 伝えたのでした。

 そうだ、政治家ならば誰にでも会えると誤解されるとイヤなので
 どうやって大熊さんに会えたかを書きましょうね。

 そもそも数ヶ月前に、この講演のことを知って
 応募することをすぐに決めました。

 そして昨日、主催者の方と親しくなることができたので、
 大熊さんがどこのホテルに宿泊しているのかを伺いました。

 それから、講演が10時からだったので
 会場があく前の9時に来て、大熊さんの入りを待ちました。

 会場入りした大熊さんを見つけた後は
 もうむりやり話しかけに行きました。

 それでも状況的に話を続けられなかったので
 今度は講演が終わってから
 大熊さんを待つことにしました。

 ロビーでサイン攻めにあっている大熊さんを
 1時間くらい待っていました。

 それから、また気合で
 話しかけたのでした。

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 大熊さんは、今回もじっくりと話を聞いて下さいました。

 しかも「一緒に東京まで帰ろう」
 と言ってくれました。

 会場ロビーで10分くらい、
 それから一緒にタクシーに乗って駅まで行き、
 武蔵野線に乗って、合計1時間くらい話してもらえました。

 「横須賀に講演に来ていただけませんか」と僕はお願いしました。

 そうしたら「もちろん行くよ」と応えてもらいました。

 「僕は本当に来てほしいと思ってますから
  絶対に来てくださいね」

 「大丈夫だよ」

 そう言って、7年前と同じように笑うと
 握手をしてくれました。

 僕はずっとガチガチに緊張していました。

 たぶん知らない人には分からないと思うのですが
 本当に僕にとってはヒーローなのです。

 精神保健福祉を変えたいと強く望んでいる僕の遺伝子の中には
 大熊一夫DNAが流れていると思います。
 僕は精神的な意味で
 彼の弟子とも言える気がします。

 そんな彼から
 「今度、うちに遊びにおいで」
 と言ってもらって、感動しました。

 ぜひとも横須賀に
 講演に来ていただくつもりです。

 (後で知ったのですが大熊さんは横須賀とも縁が深くて
  パレッタという作業所の設立に際しては顧問に就任されたそうです)

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 「30年前にくらべたら
  日本の精神保健福祉は大きく変わりました。

  それでも、世界の中で見るならば
  日本の福祉は3流です。

  もっと大きな変化をしなくてはいけない。
  日本の精神保健福祉は、もっともっと変わらなければいけない」


 こう語る大熊さんの講演に
 改めて僕は想いを強くしました。

 大熊さん、ありがとうございました。



2003年11月11日(火)のフジノ
● デイケアへ

 今日は雨でしたね。

 こういう憂鬱な天気の日には、
 体調を崩す方もいらっしゃると思いますが
 どうかお大事にしてください。

 さて、今日は保健所のデイケアに参加しました。

 (デイケアについての説明はこちらをご覧下さい)

 デイケアというのは
 精神障がいのある方々への取組みとして、とても大切なものです。

 横須賀市では保健所をはじめ、
 いくつかの病院で行なわれています。

 大学時代の僕は、
 池袋成城学園にあるクリニックのデイケアに
 毎週ボランティアとして参加していました。

 大学の講義よりも
 デイケアで僕は育てられたように感じています。
 僕の原点だと思います。

 今日見学させていただいた横須賀の保健所のデイケアには
 精神保健ボランティア講座を修了された方々が
 たくさん参加してくださっていました。

 ボランティアのみなさん、本当にありがとうございます。

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 今日のデイケアのプログラムは、俳句でした。

 静かなBGMが流れている中で
 みんなで俳句を作っていきます。

 温かいお茶を飲んだりしながら、
 自由な雰囲気の中で参加していきます。
 途中で部屋を出ることもできますし、
 調子を崩している方は
 保健師さんに相談にのってもらうこともできます。

 来週は社会見学に行くそうです。
 とても楽しそうですね。

 どうか、みなさん、デイケアをもっと利用してください。

 なかなかその存在が知られていなくて
 まだまだ利用されていないように僕は思います。

 けれども、うつ病や統合失調症などにかかって
 少し症状が落ち着いた後などは
 どんどんデイケアに参加してほしいのですね。

 いきなり仕事や学校に戻ろうとする前に
 ワンクッション置いて、
 病気によってつらくなってしまった調子を
 整えていくことがとても大切なことだと思います。

 あるいは、対人関係が苦手な方や
 ひきこもりの状態にある方も
 デイケアを利用するのが有効だと僕は思います。

 まわりの方にどんどん広めてください。
 どうかよろしくお願いします。


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 7〜8年前、この横須賀のデイケアに通っていた方から
 僕はネクタイピンをもらったことがあります。

 デイケアのプログラムに
 陶芸や焼き物などもあって
 それで作ってくれたのです。

 僕はもらったネクタイピンがうれしくて
 就職活動のあいだもずっとつけていました。

 思い返すと、胸がいっぱいになります。

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 本当に、この大切な場が
 もっともっと広く知られて、利用されて、
 1人でも多くの方々が精神障がいに負けないで
 暮らしていかれるように、こころの底から願っています。

 ぜひともみなさん利用してください。

 保健所の精神保健班のみなさん、
 今日は見学させていただいて
 ありがとうございました。

 43万人の人口に対して
 わずか7名という少人数でがんばっているみなさんを
 フジノはこころから応援しています。

 これからもよろしくお願いします。


● 精神保健ボランティアの全国大会へ

 午後から、千葉県浦安市でひらかれた
 『精神保健ボランティア全国のつどい』に参加しました。

 全国の精神保健福祉ボランティアが
 つながっていこうという主旨で
 今年が5回目の全国大会になります。

 そもそもこの全国大会が行なわれたのは
 神奈川のボランティアの呼びかけが始まりなのです。

 この大会は本当に素晴らしくて
 感動させられることがたくさんありました。

 とにかく参加している人々がみんな
 気さくで、明るくて、フレンドリーで、
 共に悩んでいて、それに負けないために努力していて、
 すごく感激しました。

 たくさんの新しい出会いもあって、
 参加して本当に良かったと思いました。

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 分科会では『差別と偏見を無くすために』について
 参加者の方々と話しあう機会がありました。

 その中で『シルバーリボン』という運動を
 初めて知りました。

 精神障がいだけでなく、脳にかかわる全ての障がいへの
 差別・偏見・スティグマを無くしていこうという活動です。



 さっそく今日からフジノも
 スーツの胸に付けています。

 この大会に参加していた
 浦安市長の松崎さんも
 シルバーリボンを胸につけていました。


● 松崎市長との出会い

 そう、浦安市長の松崎さんについても
 どうしてもここに書いておかなければ。

 夜におこなわれた懇親会で
 たまたま同じテーブルになったおかげで
 松崎市長と30分以上にわたって話すことができました。

 すっごく気さくな方で
 そして福祉に熱心な方で感激しました。

 そもそもこんな集まりに
 市長がわざわざ参加してくれること自体がうれしかったのですが
 彼はあまりにも気さくにみんなと話しているので
 スピーチで舞台にあがるまで
 実は気づきませんでした(笑)。

 堂本知事をはじめ
 千葉県は精神保健福祉にとても熱心なこともあって
 僕は浦安市長選挙にも注目していました。

 福祉難民をつくらない、というのが松崎さんの主張で
 だからずっと前から名前も顔も知っていました。

 なのに、同じテーブルで
 実物に気づかなかった(笑)。

 市長が自ら1対1でたくさん話しかけてくれて
 さらには意見に耳を傾けてくれる、ということが
 僕の意識にはありませんでした。

 だから目の前のきさくな人が市長だとは
 まさか思わなかったんです。

 「松崎です」と言われて
 「えっ、市長ですか!」と驚いてしまいました。

 市長も僕のことを市議会議員と知って、
 驚いてましたけれど...(笑)

松崎浦安市長と藤野。  ディズニーランドのある
 全国で1番豊かなまちの市長。

 いただいた名刺は、点字名刺でした。
 これにも感激しました。

 これは1枚ずつ奥さまが
 作っているそうです。

 ついつい話し込んでしまって
 気づいたら30分は経っていました。

 「このメールアドレスに送ってよ、必ずメールチェックしてるからさ」 

 「フジノくん、若手が福祉を変えようとするというのは
  本当に大切なことだよ。がんばってね」

 最後にそんなふうに言ってもらえて
 市長とお別れしました。


 僕が新聞報道などから知っている浦安市は
 議会の多数派が
 何回も松崎市長に不信任案を出していたりして
 とても大変だというイメージです。

 けれども、逗子もそうですが
 市長が若かったり改革派のところは全国共通して
 議会が市長を攻撃しているものだな、と改めて思いました。

 松崎さん、議会に負けないでがんばって下さい。

 トップが若くて行動力のある人だと
 福祉も変わっていく、と感じた30分間でした。


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 他にもたくさんの出会いがありました。
 精神保健ボランティアのみなさん、ありがとうございました。

 前回の開催地である滋賀県のみなさん、
 今回の開催地である千葉県のみなさん、
 次回の開催地である秋田県のみなさん、
 本当にお世話になりました。ありがとうございます。


 来年も必ず参加します!



2003年11月10日(月)のフジノ
● あいまいな記憶

 けさは起きてから携帯電話を見たら
 自分では全くうった覚えの無いメールを送信していた。

 内容を見ると、明らかに僕の内容だ。

 社会福祉審議会への傍聴について
 友達に相談している。

 それから障がい者差別禁止法について
 3人の友達に質問している。

 送信時刻は真夜中の3時頃。

 自分ではまったく送信した記憶が無い。

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 いつも、僕の枕元には
 ひどい量の本と資料が置いてある。

 眠る前には毎晩、地方自治法の勉強のために
 公務員試験の問題集を1日1問ずつ解いている。

 それから毎日つけているノートを見直して
 印象に残ったことにマーカーで線を引いたりする。

 最後に読書をしながら眠るのがいつものパターンだ。
 たとえば今は、ジュリアーニ・元NY市長の自伝
 パブリックコメントにかけられている
 横須賀の港についての資料を読みながら眠っている。

 だけど、前の晩に読んだ本の内容を
 翌朝覚えていないことなんて今まで1度も無いし、
 寝る前にしたことなんて忘れたりしないんだよなあ...。

 だから、携帯電話で
 自分が送信したメールを全く覚えていないなんて、
 少し驚きを感じた。

 うーん。


● 総選挙について

 フジノは誰の応援もしなかった。

 ただ、こころの中では
 山井和則さん(民主党)が当選することだけは
 強く願っていた。

 国会議員で精神保健福祉にたずさわっている
 本当に貴重な数少ない議員だから。

 テレビで山井さんの当選確実が流れて
 ものすごくホッとした。

 それから、保坂展人さん(社会民主党)が
 落選したのには複雑な気持ちがした。

 中学1年生の頃のフジノにとって
 教育ジャーナリストだった保坂さんは
 けっこうヒーローだった。

 不登校やいじめの問題を
 本当に早くからとりあげてきたのは
 保坂さんだと僕は思う。

 数年前に彼が政治家になった時には
 ひどくがっかりしたのを覚えている。

 政治家になんてならないで欲しかったからだ。

 けれどもその後の彼が
 『国会の質問王』と呼ばれるほどに活動をして
 評判になっているのを知った時には
 うれしかった。

 子どもたちを守る立場の
 ジャーナリストでは無くなってしまっても
 国会議員として全力を尽くしてくれているならば
 それもいいのかなあと僕は思った。

 その彼が今回、落選した。

 落選したのには少しだけ驚いたけれど
 国会議員で無くても
 彼の真価は変わらないと信じているので
 これからも教育ジャーナリストとして活動を
 どんどんしていってほしいと願っています。

 最後に、国会議員ではないけれど
 海老名でおこなわれていた市議会選挙に出ていた
 太田ゆうすけくんが当選したのは良かったです。

 1ヶ月ほど前、
 横浜のある社会福祉施設を訪れた時に
 職員の方からこう言われました。

 「若い政治家が福祉を主張していてうれしい。
  横須賀のフジノさん、平塚の江口さん、
  まだ政治家じゃないけど
  海老名の太田さん...」

 こうやって3人の名前が挙げられると
 自然にシンパシィが出てきて
 ぜひとも太田くんにも当選してほしいものだ
 福祉をつらぬいてほしいものだ
 と思うようになりました。

 その彼が海老名で1位当選を果たして
 良かったと思います。

 当選なんてただのスタートだから
 お互いにこれから実績を残していかれるように
 がんばっていこう。



2003年11月8日(土)のフジノ
● おめでとうございます!

 すでにみなさんご存知かとは思いますが
 今日は雄人(吉田雄人議員)の結婚式でした。

 本当に素晴らしい結婚式でした。

 式自体も素敵だったけれど
 何よりも結婚した2人の表情が本当に素敵でした。

 いつも見ている雄人の表情が
 今日はいつもと違いました。

 議員としてではない、表情だったのでしょうね。

 議員になってからこの半年間は
 雄人と毎日のように顔を合わせている訳ですが
 僕と雄人は
 実は同じ高校の1学年違いで、
 体育祭も同じカラーだったりして
 かれこれ10年以上前から知っていることになります。
 大学も同じ大学だったし、時々偶然に会うこともありました。

 けれどもその10年以上の
 どの表情とも違って
 とても晴れ晴れとしていて、素敵でした。

 カッコよかったです。

 奥さまにも半年ほど前に1度、
 選挙が終わってから数回ほど、
 お会いしたことがあるのですが
 やっぱり今日が1番の笑顔だったように思います。

 本当に胸が熱くなりました。
 おめでとう。本当に良かったね。

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 僕自身のことをふりかえってみると、
 政治家になるということで
 最も迷惑をかけているのは『家族』です。

 僕の場合、妹の結婚式が選挙のすぐ前だったので
 とにかく迷惑がかからないように
 僕の立候補をとにかくみんなに秘密にしました。
 やっぱり選挙に出るなんて、家族には迷惑でしかないからです。

 当選してからも今に至るまで
 両親ともにプライバシーが損なわれてしまうことが多くて
 本当に迷惑ばかりかけてしまっています。

 そもそも政治家になるというのは本人だけの問題なのですが
 この国では全くそういうふうには捉えられていません。

 そう言っている僕自身も
 吉田『議員』のことではなくて
 吉田『くん』のプライベートのことをここに書いてしまっているわけで

 このあたりが『個人』が確立されていない
 日本の象徴なのかも知れません。
 ごめんなさい。

 いずれにしても、僕の場合は
 僕が政治家になったことで1番苦しんでいるのは
 『家族』です。

 だから、そのことを吉田くんに想うにつけても
 新しくご家族になられる奥さまは
 これから本当にご苦労されると思うのです。

 良い時もあれば
 いろんな逆風の時もあると思いますけれど
 どうかのりこえてくださいね。

 どうか、ご近所のみなさま、
 吉田くんご夫婦を温かく見守ってあげてください。

 横須賀のみなさま、新婚さんですから
 少しだけ吉田議員を公務から早く解放してあげてください。
 彼は仕事好きですから、放っておけば深夜までも仕事をするでしょう。
 だから、時々はこちらから解放してあげてくださいね。

 とにかく、こんな素敵な2人の門出を
 みなさんお祝いしてあげてください。

 高校・大学時代の先輩として
 こんなに素敵な結婚式に呼んでもらえて
 ものすごくうれしかったです。雄人、本当におめでとう!

吉田くんと吉田さん  まるで、映画『卒業』の1シーンのような
 2人の姿です。本当におめでとう。

 どうかずうっと末永くお幸せに! 



2003年11月7日(金)のフジノ
● みんなで強くなっていこう!

 『地域福祉計画』の重要性について
 これまでも何度かこのコーナーでとりあげてきました。

 何故、この計画が大切なのか。

 これまで福祉というと
 福祉施設の中や福祉関係の職員がおこなうもの、という
 イメージがありませんでしたか?

 けれども、これからは
 福祉は『地域』全体でおこなっていくもの、
 という位置づけになります。

 つまり、このまちに暮らしている
 あなたや僕が福祉をすすめていくのです。

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 さて、この計画づくりが
 これまで進められてきました。

 地域福祉計画検討部会という11人の委員メンバーによって
 毎月話しあいがおこなわれて計画がつくられました。

 事務局を務めていたのは市職員の方々ですが
 今回は、地域の声を集めるために
 本当に努力してくれたと僕はとても評価しています。

 福祉施設の方々の声を聞く、
 町内会の集まりにどんどん出席しては伝えていく。

 また、まちの人々の声も
 積極的に計画に反映していこうと努力していたと思います。

 そして、この計画は
 11月20日からパブリックコメントにかけられます。

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 今回、僕は1人でも多くの人に
 この計画について知ってもらいたいと思いました。

 何故なら、これは『あなたの計画』だからです。

 もっともっとたくさんの人にこの計画を知ってもらいたい。
 そして、できることなら意見をどんどん伝えてください。

 そんなわけで、
 地域福祉計画について知ってもらって
 あなたにもどんどん意見を言ってもらいたくて
 イベントをおこなうことにしました。

 福祉の知識が無くても全然かまいません。

 これからの福祉は地域で担う、
 それが一体どういうことなのかをぜひ知ってください。

 そして、どんな意見でもかまいません。
 そっちょくな意見を伝えてもらえたらと思っています。

 というわけで、告知です!


           『 地域福祉計画って何? 』


  日時 : 11月22日(土) 夕方5時から7時

  場所 : ヴェルクよこすか 第3会議室

  定員 : 30名程度

  内容 : (1)地域福祉計画についての分かりやすい説明
        (2)参加者のみなさんと意見交換

  申し込み : 定員の都合がありますので
          あらかじめ、Eメールでご連絡ください。

  連絡先 : フジノまでメールください(こちらへお願いします)
         お名前とご連絡先電話番号と参加人数を
         記入してください。

 当日は、市・健康福祉部の職員さんが
 土曜日の夜であるにもかかわらず(ありがとうございます)
 出前トークに来てくれます。

 1時間ほど地域福祉計画について説明していただき、
 その後、みんなで質問や感想や意見を
 どんどん言い合えたらと考えています。

 



 みんなで力をつけていきましょう!


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