まちの政治家は、こんなことしてます |
2005年1月5日(水)のフジノ | ||||||||
● 新しくなったグループホームを見せていただきました 今日は、建て替えを行なって新しくなった グループホーム『第2あすなろの家』の内覧会へと行きました。
2階建てですね。 1階は共有スペースになっています。 玄関を入ると、広々とした共有スペース、台所、職員の部屋、 お風呂、みんなで過ごせる部屋、トイレなどなどがあります。 床暖房が効いていて、共有スペースは ゆっくりと過ごせそうないい雰囲気です。
こういった福祉ハコモノの対極に位置するのが 『グループホーム』です。 グループホームとは、地域で暮らす家です。 ふつうの住宅を少し改造して 1つか2つの共有スペースがあって、職員が常駐しながら、 それぞれの部屋が完全に個人の暮らしの場になっているのです。 僕はグループホームを広めていきたい。 かつて、市の若手職員さんとざっくばらんにお話した時に 彼はとても勉強していてアイディアも豊富で さらに進んでいて 「グループホームも施設です。 密室性が高い分、職員の暴力も外に知られにくい」 と語っていました。こういう気合の入った市職員さんは大歓迎です。 それでも今のフジノは、グループホームを広めていきたいです。 何故なら、巨大な入所施設があまりにも多すぎるからです。 これらを全て解体しなくてはいけません。 -----------------------------------------------------
グループホームというのは 『暮らしの場』ですから、1度そこに人が住み始めてしまえば ふつうは中を見学することができません。 だって、そこに人が暮らしているのだから。 だからどうしても見学したければ そこに暮らしている方とふつうに友達になって お呼ばれするしかありません。 その意味で、今日の内覧会は 本当にラッキーな機会でした。
こういう風なグループホームが どんどん当たり前のものとして 1つの町内会に最低でも1つはできるべきです。 障がいのある人々も重度の障がいのある人も 認知症(旧・痴呆症)のある高齢者も みんな地域にあるグループホームでふつうに暮らせるべきです。 ----------------------------------------------------- グループホーム建設というと 苦い思い出が昨年はありました。 今、僕の知っている仲間たちの中で 2つの団体がグループホームづくりに乗り出しています。 どちらにもぜひ実現してほしいと こころから願っています。 ● イギリスから帰ってきた日本を愛するイギリス人の友達 夜、イギリスから帰ってきたイギリス人でありながら こよなく日本を愛していて日本で永住したい友達と再会しました。 ふだんは僕たちがEメールでやりとりする時は 彼女はローマ字で日本語をうち(日本語対応していないPCなのです) 僕は英語の文章をうち、意思疎通をしています。 今回の休暇を利用して彼女は こちらでの仕事を見つけようとがんばった訳ですが いかんせん年末年始。企業も就職活動はしないですよね...。 何とかしてこちらで働くことができたらいいのに。 こういう親日家が暮らしやすい日本であれば もっと良いのにと最近のニュースを見ていると強く思います。 ● 苦しかった...湯あたり脱水症状体験 最近は慢性的に寝不足で 特に今夜は、眠くて眠くてたまりませんでした。 そこでお風呂をかなり熱めに沸かして いつものように本を持って 入りました。 『まんが&エッセイ中村さんちの志穂ちゃんは 〜自閉症のある娘との喜怒哀楽な日々』 中村由美子著、全国コミュニティライフサポートセンター、2004年 『横浜市改革エンジンフル稼働〜中田市政の戦略と発想』 南学他編著、東洋経済新報社、2005年 を読んでいたはずが、気づくと...。 苦しい!苦しい! 状況から判断すると お風呂の中で眠っていたようだと分かりました。 すっごく苦しい。 身体が動かないし 呼吸も苦しいので 浴槽から洗い場まで出ることさえ必死です。 次にドアを開けて、バスタオルを何とか握りしめて腰に巻き、 『リング』の貞子のようなホフク前進で なんとか台所へたどり着きました。 水が飲みたくてたまらず まさに必死になって 水道をひねりました。 コップ3杯くらい飲んで さらに居間までなんとか這いずって行きました。 苦しい、吐きそう。 寝転がりたいけど寝転がれない。 そんな状態のまま、よつんばいになって数分間を過ごしました。 まいった...。 みなさま、どうかあまりにも疲労がたまっている時は お風呂は気をつけてくださいね。 僕は風呂で寝たのはこれで数回目ですが 毎回とても苦しくてたまりません。やれやれ。 こんな調子で明日は仕事ができるのだろうか...。 |
2005年1月4日(火)のフジノ |
● 市民マニフェストづくりスタート 今日は、2005年一発目の『カフェトーク』でした。 参加して下さった方々、ありがとうございます。 さてさて、これまでは 自由に意見交換をできる『場』としてカフェトークを行なってきて フジノから具体的に何かを求めることはありませんでした。 けれども、今日からは参加して下さった方々に 宿題を出させていただくことにしました。 ・あなたが市長だったら、このまちをどう変えたいですか? この質問をさせていただいて、 メールでも電話でもけっこうですので教えてくださいね、と あるいは次回のカフェトークまでの宿題です、と お伝えしました。 理由は以前書いたとおりです。 まずはカフェトークの場から始めましたが これからは、まちかどでの演説の時にも どんどんみなさんにご意見をいただきたいと思います。 選挙の前にもずうっとやっていたのですが 白い大きな模造紙に 自由にマジックで意見を書いてもらっていました。 その他にもあらゆる機会をとらえて このまちに暮らす人々が 本当に望んでいるこのまちの未来について たくさんのご意見をいただこうと考えています。 そして、具体的な数字(財政を始めとするあらゆる統計)で なかなか一般的に知られていないデータがあれば 僕がどんどん情報公開請求していきます。 マニフェストづくりの『第1段階』として まず、根本的なニーズの把握を行ないます。 単純な方法に思われるかもしれませんが 日頃から政治に関心の強いNPOなどとのマニフェストづくりでは 結局は単なる少数の利害を述べただけのものになりかねない、 そう僕は考えています。 だから、僕は僕のやり方で 政治とは日頃は全くカンケーないところにいる方々の声を 政治とは最も遠いところにいる方々の声を 可能な限りたくさん集めたいと思います。 |
2005年1月3日(月)のフジノ |
● 横須賀市議会の質問王になる 中学時代のフジノにとって 保坂展人さん(教育ジャーナリスト)はヒーローでした。 その保坂さんが かつて社会民主党の土井党首(当時)に願い倒されて 教育ジャーナリストの立場を捨てて立候補して 国会議員になってしまいました。 現在は落選しました。 元の仕事に戻るのか(僕はそれを望んでいます)、 あるいはまた国会議員を目指して浪人中なのかは知りません。 ともかく、その保坂さんが国会議員だった時、 『国会の質問王』でした。 衆院議員500名中、国会での質問回数がトップだったのです。 政治家の仕事は 議会で質問することですから、こうでなければいけません。 ただ数をひたすら多くすれば良い訳ではありませんが フジノも尊敬する保坂さんにならって 『横須賀市議会の質問王』を目指したいと思います。 -------------------------------------------------- という訳で、数をちょっと数えてみました。 数え方にもいろいろあるでしょうが 1.当選以来、全ての本会議と全ての委員会で質問をしている 2.当選から昨年9月議会までの 委員会での質問数は195回にのぼる (議事録に基づき、質問に題名が付けられている物を合計した) 本会議での一般質問については 質問した内容ごとに1問と考えればかなりの数になります。 他の市議がどの程度質問をしているのか 計算する余裕が無いのですが かなりフジノはいい線を行っているのではないかと思います。 (市民オンブズマンの方々や新聞記者の方々、 ぜひやってみてください。よろしくお願いします) という訳で、今現在のところは 『自称・横須賀市議会の質問王』を目指して これからもがんばります。 -------------------------------------------------- これからは、結果が求められる時代です。 年功序列(長く勤めた人がそれだけの理由で昇進する)は もう完全に僕たちの世代で終わりにさせたい。 単にアメリカ型の成果主義とは異なる、 結果に過程を加味した 日本型の成果主義を導入して 本当に努力をしてがんばっている・かつ結果を出した人が それに見合うお給料をもらうようになるべきです。 この国がとってきた『結果平等』主義は終わりにして、 『まず、機会は平等でなければならない』 『しかし結果は平等で無いのが当たり前』 という国にしたいのです。 --------------------------------------------------- そんな方向を目指している世代の1人として、 ささやかではありますが、 政治家の質問回数が『指標』の1つであっても良いと思います。 あなたが投票した政治家は 市議会で、県議会で、国会で、ちゃんと質問をしていますか? インターネットでいくらでも情報は集められるし 手間はかかりますけれどもチェックは可能です。 僕は僕なりに情報公開をガンガンやります。 そして、あなたはそれをもとに どんどん批判をして下さい。 それが健全な当たり前の姿だと僕は信じます。 |
2005年1月2日(日)のフジノ |
● また今年もやってきたぞ! 神奈川県の選挙管理委員会から 『収支報告書の提出について』のお知らせが来ました。 これは、政治家が政治団体を持っている場合、 政治資金規正法第12条にもとづいて 毎年12月31日現在での すべての収入と支出を記した報告書を作成して 3ヶ月以内に報告しなければならないのですね。 ちなみにフジノの場合は、 政治団体=『藤野英明と横須賀をおもしろくする会』です。 昨年の収支報告書はこちらです。 ぜひご覧下さいませ。 ちなみに提出した時の様子はこちら。 --------------------------------------------------- 情報公開はどんどんすべきです。 ただ「事務量が増えて忙殺される」という意味では 「とってもめんどくさい」というのが本音なのです(涙)。 だから、こういうお正月休みなどは ひたすら事務作業をしています。忙しい...(涙)。 でも、フジノが勝手にやっている政務調査費の公開も 選挙にかかった費用の公開も 今回3月末までに出す収支報告書も 全て『政治家』としての当然の説明責任(アカウンタビリティー)です。 今年も神奈川県選挙管理委員会に提出したら すぐにHPでも公開しますので 待っていて下さいね。 ● 本の紹介などなど 実際は、本を読む時間も ほとんど取れていないのですが それでも定期的に今読んでいる本の紹介をすると決めたので 3冊だけ、ご紹介しますね。 <仕事用> 『僕はサイボーグ』 松山智著、新風舎、2004年 この本は、現在は23才の著者が 3才の頃に聴覚を失ってしまってから今に至るまでの半生記。 本のタイトルは、読唇術でも手話でもなくて 自分自身の声を聞きたいと願った著者が 人工内耳を装用したところから来ています。 人工内耳とは頭蓋骨に手術をして機械をとりつけるのですね。 しかし、この本は決して人口内耳装用についての本ではなく、 1人の若者の葛藤や想いを記した素晴らしい本です。 こころの動き、悩み、生きていく上でのいろいろな経験。 こういう本って、本当に素晴らしい。 けれども、実は最も感動したのは、 この本に僕の中学時代にお世話になった先生たちが 何人も実名で登場してくることです。 著者は、横須賀ろう学校に通っていたのですね。 (現在は和光大学に在学中) 先生たちの登場を 全く予想すらしていなかった! そもそもこの本の著者が 横須賀と関わりを持っていることすら知らなくて 買ったのですから。 でも、改めて、僕が育った中学時代の あの頃の先生たちが かつて僕に強い影響を与えたように 今も著者をはじめとする多くの人たちに対して きっと良い影響(つまり教育ですね)を与えていると思うと すごくうれしいです。 『階層化日本と教育危機〜不平等再生産から意欲格差社会へ〜』 苅谷剛彦著、有信堂、2001年 この有名かつ高い評価を得ている本を あえて紹介するまでも無いのかもしれませんけれども 2001年に出版された本書ですが 2005年になってやっと僕は初めて読んでいます。 というのも「読むまでも無い」というか 著者が本書で伝えたかったこと、 1.階層化する日本社会 2.階層化された人々は、その子どもの世代もまた 教育への意欲が全く異なっていく これはもはや、 子どもを持ち親になり始めている僕たちの世代では 感覚的には「常識」「理解できる」「実際にそうだ」というものに すでになっているからなのです。 この国は明らかに再び階級社会になっています。 そしてそれは子どもたちの意欲に 激しく影響を与えています。 東大卒の親を持つ子どもばかりがまた東大へ入学していく、 そんな現状がはっきりとあります。 2005年の今ではこれらはハッキリと実感できますが すでに4年前に実証的に この危機的状況と問題点と これらを包み隠している現状を暴いたことは 著者の素晴らしい調査能力と問題意識の高さだと思います。 僕はこれまで『雰囲気』で感じてきたことを あえて『言語化』された本書を読むことで もっと強く納得して、問題意識として強く持ちたいのです。 そんな訳で読んでいます。 『夜回り先生の卒業証書〜冬来たりなば春遠からじ〜』 水谷修著、日本評論社、2004年 夜回り先生としてテレビドラマ化されたりマンガ化されたり いまや水谷先生の活躍ぶりは誰もが知るところでしょうね。 僕は以前に自殺予防の観点から 彼の本を1冊だけ買いました。 彼の活動は(僕なんかとは比べ物にならない程に激しいけど) 少し僕の目指している所が似ていると読んで思いました。 そこで、彼が書いた著作を買い集めて読んでみました。 本書が最新で、僕にとって最後の1冊になると思います。 何故なら、水谷先生は教師を辞めてしまったからです。 僕は『目的』の為なら『手段』なんて何でも良い、 と常々書いてますが、何故か水谷先生の 自らの退職にはショックを受けました。 別に水谷さんのやりたいこと(目的)は 先生という『手段』なんかじゃなくてもできる。 でも、なあ...。 僕のスタッフのあいだでも 「水谷さん、教師を辞めたんだって」というのは しばらくの間、否定的な意味合いで話題になっていました。 何でだろうね。僕自身、イメージを持ってしまったのかなあ。 けれども、水谷さんの活動は素晴らしいと思います。 市議として市議会のある時には 徹底的に行政をチェックする為に働きながら、 体力さえ持つならばふだんは 昼間から夕方までは福光さんのように相談にのりまくり 夜から明け方までは水谷さんのように自殺防止や薬物防止に ひたすら活動し続けることができたら...理想です。 ● 時間が欲しい... やらねばならないことを徹底的にやっているのですが それでもまだ時間が欲しくてたまりません。 昨年、このHPで紹介しきれていない いくつもの視察先の素晴らしい取組みがあふれています。 例えば、市立総合高校の 『産業社会と人間』という総合学科の1〜3年生まで続く授業。 この試みも早く紹介したいのですね。 それから、時期をはずしてしまいましたが 秋田県で行なわれた『精神保健ボランティア全国のつどい』での たくさんの方々との出会いも紹介したいのですね。 いろいろ紹介したいのがたくさんあります。 その他に、これを読んで下さっている市民のみなさまに 問題提起したいこともたくさんあります。 例えば、図書館が今年からイルミネーションを始めたこと。 市役所のイルミネーションをやっと やめさせることができたと喜んでいたら 今度は図書館にイルミネーションです...。 あなたは図書館にイルミネーションが必要だと思いますか? それともその電気代をもっと蔵書に充てて欲しいと思いませんか? こういうこと、たくさんたくさんあります。 このまちには僕の常識では 納得できないことがたくさんあります。 PCの前にばかり座っている訳にはいかないので そういうのが紹介できなくて残念です。 少しずつ紹介したいです。 |
2005年1月1日(土)のフジノ(その2) |
● 新年初日から「税金のムダづかいだ!」と怒る 去年も今年もHPでも日常会話でも 「政治家である僕には年賀状を出さないでほしい」 とこれだけ伝えているのに それでも送ってくる人々がいます。 ・市役所の部長クラス(全員ではない) ・市の外郭団体の理事長(全員ではない) どういうつもりなんですか? 昨年もこれらの方々に頂いて強い違和感を抱いたのですが 今年はきちんと態度を明らかにします。 僕が年賀状を送らないでほしい理由は3つです。 1.公職選挙法に照らして(自筆以外での答礼以外は) 返事を出せないという礼を失するのが申し訳ないから 2.虚礼は廃止すべきだから (会社員時代は大晦日も元日も働いていましたし 「どうぜまた会うんだから必要ない」との上司の言葉を受けて お互いにみんなで出していませんでした) そもそも、行政(市役所の人々)と政治(市議会議員)とは チェックアンドバランスの関係にあるのですから 年賀状を出すといった儀礼をすることが倫理的に正しいのか 僕は強く疑問を持ちます。 そして、この2つに加えて 最大の理由があります。 3.差出人名が市役所での『肩書き』で送られているから そうすると、いくつもの疑念がわきます。 (1)年賀状代金50円は、税金から出しているのではないか? (2)市議会議員宛ての年賀状の作成を、 市役所の勤務時間内に部下にさせていないか? (3)全ての市議に毎年出しているとすれば それは一体どれくらいの金額になってしまうのか? (50円×市議45人×例えば10年ならば 2万2500円です) 1人の部長あたり2万2500円ですから 10人だとすれば22万5000円です。 これらの金額を、僕は税金で払われているとするならば ますます受け取りたくない年賀状です。 あなた方は『好意』や『慣例』で 年賀状を送って下さったのかもしれません。 好意を仇でかえすようで本当に申し訳ないけれども いくつもの疑念を昨年も今年も強く持ちました。 だから、今年を最後に絶対に送ってこないで下さい。 送ってきたら、市議会で追及します。 この問題をわずか20分しか与えられていない 本会議での質問時間に加えるのは嫌です。 しかし、もし来年もそうだったら必ずやります。 ------------------------------------------ これが僕の勘違いで 年賀状を出してくれた部長たちや外郭団体理事長たちが 1.自費で年賀状を購入して 2.自宅で印刷している のならば、謝罪します。 けれども...。李下に冠を正さず、だと思います。 また、副市長の1人からは 『副市長』としても『都市施設公社・理事長』としても 2通、送られてきています。 もしもこれが税金で送られていれば ムダ以外の何物でも無いですよね。 同じ人から2通も来ているんだから。 肩書きが違おうがなんだろうが、同じ1人なんだから。 --------------------------------------------- でも「虚礼廃止だから年賀状は要りません!」と言いつつも ナミねぇと関根千佳さんから届いた年賀状は すごくうれしかったです。 だって日本の関東・関西の福祉リーダーから ダブルで頂いたら、それは福祉関係の人間としては ものすっごくうれしいですよ。 また2ちゃんねるで文句書かれるのでしょうけれど 尊敬している人たちから年賀状いただけたら 単純にうれしいし、自慢したいもん。 どうぞ文句を垂れ流して下さいませ。 ● 美しい夕方と父のささやかな変化 大晦日も元日も、父の病室へ行きました。 父の意識は全く戻っていませんが 病院側の治療対応には少しずつ変化が起こっています。 例えば、栄養は点滴だけだったのが 鼻からの胃までの管を通しての経管栄養になりました。 あるいは、昨日から 血圧計・脈拍計・血中酸素計が外されました。 (これが外れていると僕はとても不安です。 何か急変したということをどうやって分かるのか...) この年始は人がいないのでやってくれないそうですが 寝たきりのせいで手足が固まってしまうといけないので カンタンなリハビリ(ストレッチみたいなもの)を 1日1回、してもらっています。 僕自身の心境も少しずつ変化してきて あれだけ最悪な悲壮感に追い込まれた 気管カニューレも慣れてしまいました。 眼球の動きに合わせて瞼が少し動くことや 気管切開をして口からチューブが外れて以来、 ときどき唇や口全体をもぐもぐと動かすことなどがあります。 そういったささやかな『反射』に 意図的に意味を見出してしまうような気持ちも 正直なところ僕にもあります。 こんな風にして、父と過ごす日々は過ぎていきます。 人生80年時代に 何故、わずか65才になったばかりの父が こんなことにならなければいけないのか。 そんな行き場の無い怒りをよく感じます。 そんな時はなるべく空を見上げて 少しでも考えを切り替えようと努力します。 悲しみを感じるべき時間、あるいは 涙を流すべき時間、というものが誰にも必要だとは思います。 けれども今の僕には そうではないと思います。 しっかりとこの足で立つこと。 父を信じて回復を待つこと。 ここで感じた問題意識を必ず仕事に活かすこと。 そう、考えています。 |
2005年1月1日(土)のフジノ | ||
● 2005年になりました 日付が変わっただけのことなのに 多くの方々にとっては気持ちが新しく感じることができる。 『新年』という仕組みを 昔の人が生み出したのは素晴らしいアイディアだと思います。 昨日の夜から今日(今は朝の4時半です)にかけて たくさんの友達から電話とメールをもらいました。ありがとう。 年賀状は出さないでほしいと HPの表紙でお願いを僕がしているので 出さないかわりに電話であいさつ、というわけなのです。 こうした『新年』という節目のおかげで僕は 旧交を温めることができてハッピーです。先人サンキュー。 それにしても昨夜は関東地方にとって 21年ぶりに雪が降った大晦日だったのですが 雪のせいで1日中ずっと新潟県のことばかり考えていました。 今年は、新年のイベントみたいなのには一切参加しなかったし、 母と妹と猫と親しい友達とコタツに入りながら ささやかに迎えました。 半年過ぎたら新潟にボランティアに行くと 以前に僕は書きましたが、 ニュースから流れる映像を見るにつけても 今こそが行くべき時期なんじゃないかとあせってばかりいます。 やれやれ。現実逃避ですね。 こんな気持ちで現地を訪れるのも失礼ですね。 そんな自分が嫌だなあ、と思います...。 新年を迎えてひと段落してから、 毎年恒例の佐野の神社に初詣に行ってきました。
初詣で祈ったことは、父の健康回復と 新潟の方々の復興についてでした。 --------------------------------------------------- 帰り道、『新年を迎えての、今年の目標』を 友達に尋ねられたので 「横須賀市長になることだよ」 と答えておきました。 そして友達と大笑いしながら、 神社を後にしました。 僕の基本的な目標は、 市長なんかではなくて(いちいち真に受けないで下さいね) 今年も去年も来年も変わりません。 決して諦めないこと。 今よりも少しでも現状を良くすること。 どんな時も努力を続けること。 ものすごくシンプルです。 変わらない僕でいることを 続けていけたらと思っています。 みなさまにとって、今年が素晴らしい1年になりますように。 |