まちの政治家は、こんなことしてます |
2009年6月11日(木)のフジノその1 |
● 中央斎場への一元化、ようやく実現へ! 今日は、民生常任委員会がひらかれました。 すでに記者発表も行なわれておりますが 市内に2つある火葬場(浦賀火葬場と中央斎場(坂本))の一元化に ようやくめどが立ちました。 (どういう内容の問題かについては、フジノの2005年9月議会での 本会議の一般質問を読んでいただけると分かりやすいです) この問題に対して、横須賀市の行政は あまりにも解決に時間をかけすぎてしまいました。 例えば、2004年6月議会(5月27日)での 沢田市長に対する木村正孝議員の発言からもよく伝わってきます。 「要は、やる気があるかないかだけだと思います。 浦賀火葬場の問題につきましては、 公明党の議員団の皆様が、平成12年、13年、14年、16年と 代表質問で取り上げられてこられましたが、 目立った施設改善はほとんどないように思われ、 訴えに対する無念さは私も同様であります...」 こうした木村市議の想いを受けて フジノも蒲谷市長に対して2005年9月議会の本会議にて 「一刻も早い取り組みを!」 という主旨の一般質問を行ないました。 けれども、それからさらに結果を出すのに 蒲谷市政になってからも4年間が経ってしまいました。 この問題はとにかく歴代の市長の対応が あまりにも場当たり的で、かつ、遅すぎました...。 ともかくこの6月議会に、一元化に向けての補正予算が出されて 今日の民生常任委員会で質疑が行なわれました。 坂本の中央斎場に防音壁を設置する為に まずは『地形の測量』を行なう費用として240万円です。 そして、民生常任委員会ではこの補正予算が可決されました。 本会議でも可決される見込みです。 この240万円に加えて今後さらに合計して、 約1億円の費用がかかる見込みです。 歴代市長の場当たり的な対応によって、 この問題で約1億円もの支出が増えてしまいました。 しかし、とにかく横須賀市の持つ大きな問題の1つが 10年もかけてようやく、本当にようやく、やっと動き始めました。 (問題の1つがと書いた理由は、 こうした問題が横須賀市にはまだ山積みだからです) いずれにせよ、交渉にあたった市職員のみなさま、 おつかれさまでした。 坂本のみなさまには、大変感謝しております。 ありがとうございます。 記者発表された内容は、次の通りです。 ----------------------------------------------------- 火葬業務の集約統合について 1.横須賀市立中央斎場の運営に関する覚書の締結 横須賀市の火葬業務を中央斎場に集約統合する為、 新たに坂本町6丁目町内会長と横須賀市長が合意し、覚書を締結しました。 (1)締結日時 平成21年5月27日(水)18時30分 (2)締結場所 坂本町6丁目町内会館 (3)覚書の主な改正内容 平成2年7月19日付けで横須賀市長と坂本町6丁目町内会長が締結した 「(仮称)坂本火葬場改築等に関する覚書」および 同日付けで横須賀市保健衛生部長と坂本町6丁目町内会長が締結した 「(仮称)坂本火葬場の改築等に関する確認書」を 失効させ、 新たに「横須賀市立中央斎場の運営に関する覚書」を締結しました。 主な改正内容は、次のとおりです。 @火葬業務を中央斎場へ集約統合すること。 A葬儀場を廃止すること。 B中央斎場火葬炉の同時使用を5基から全基(10基)に変更すること。 C中央斎場周辺の騒音・防犯対策および 坂本町のイメージアップ対策を実施すること。 D市と坂本町6丁目町内会との情報・意見交換の場として、 連絡会議を開催すること。 2.火葬業務集約統合までの日程案 ・平成21年5月27日 覚書締結 ・平成21年6月 防音壁設置のための地形測量に係る補正予算議案の提出 *フジノ注:現在がここです ・平成22〜23年度 火葬場条例改正議案の提出 (葬儀場および浦賀火葬場の廃止) ・地質調査、防音壁等設計および工事の実施 ・控室(待合室)の増設工事の実施 ・平成24年度 中央斎場に火葬業務を集約統合 ----------------------------------------------- (以上です) |
2009年6月10日(水)のフジノその1 |
● 父のお見舞いと医療費の支払いへ 今日は、夕方から父のお見舞いへ行きました。 僕は、毎月必ず月はじめに医療費の支払いに行かねばなりません。 病院側の方針で、全ての患者さんのご家族は 1日でも多くお見舞いに来てもらう為に 入院費用の支払いは病院の受付での直接でのやりとりのみで 銀行での振込みとか引き落としは無しなのですね。 でも、先月は忙しすぎて病院に行ったのが月末になってしまいました。 そのことで病院にも迷惑をかけてしまったし、 やっと同じ県内に父を転院させることができたのに なかなかお見舞いに行けないことは僕にも大きなストレスでした。 今月にはもう今日の午後しかスケジュールの空く日がありません。 ふだんは議会シーズンには プライベートの用事は入れないようにしていますし 今は6月議会のまっただなかですが、 やむをえず今日、病院へ向かうことにしました。 -------------------------------------------------- お見舞いに『行く』のはとてもイヤです。 行く時にはつらいイメージしか沸かないからです。 実際には『帰る時』にはたくさんのエネルギーをもらったように感じるので お見舞いを終えると「ああ、行ってきて良かった!」と思うのですが 『行く』という決心をするのはなかなか難しいのです。 それこそ医療費を支払わなければならないという義務が無ければ なかなか足が病院へ向かってくれません...。 しかも、僕はパニック障がいなので 江ノ電の混雑が大のニガテです。 特に最近は忙しくて眠っていないので 睡眠時間が少なかったり疲れていると クスリをのんでもパニック発作が出やすくなってしまうのです。 今日もまた、観光客で鎌倉はいっぱいでした。 僕は逃げ出したい気持ちでいっぱいになりました。 そこで、友達にメールをしてわざと宣言してみました。 「いま鎌倉。お見舞いに行ってくるよ」 するとすぐに 「お父さんから元気をもらっておいで!」 と、こころのこもった返事をもらいました。 彼女は先月おじいちゃんをみとったばかりなのですが おじいちゃんが闘病の為に入院していた半年間は 彼女がお見舞いに行かれるように 逆に、僕の方が背中を押していました。 彼女はシングルマザーでお子さんが2人いて、 複数の仕事をかけもちしながら長い時間を働き続けているので 毎日とても忙しくて なかなかお見舞いに行く時間を作ることができません。 でも、末期がんだったおじいちゃんとの 最期の時間を一緒に過ごしたいという気持ちが とても伝わってきていました。 「おじいちゃんコだったからお見舞いに行きたいんだけど なかなか休暇を取るふんぎりがつかなくて...」 と迷っていた彼女に、 僕はときどきメールを打って、 「お見舞い、行かれた?」 とか 「がんばってこどもたちとお見舞いに行っておいで」 と、やんわりと促し続けました。 ムリ強いされているような気持ちだとか 追い込まれないくらいの頻度で、ごく時々に。 でも、みずからお見舞いに行こうという勇気が出るくらいの頻度で。 この頻度というかタイミングは 闘病中の家族を持つ人間にしか分からないものがある気がします。 家族は、とても自責感を持ちやすいのです。 いつでも、「行かなければ」という気持ちを抱えているのです。 だから、何気ない言葉でもけっこうズシリと傷つくのです。 今、彼女はもうすぐ四十九日の法要を迎えるのですが 笑顔でおじいちゃんのことを語ることができています。 本当にとても良いことですよね。 やっぱり、最期のその瞬間を見送ることができなくても 「できる限りのお見舞いに行けた」という気持ちは持てるということが 人には、とても大切なことだと思います。 僕も、やがて来るその日にそなえて 笑顔でいられるように、しっかりとお見舞いに通いたい。 (つづく) |
2009年6月9日(火)のフジノその2 |
● テレビ局が1日、密着取材でした 今日は夕方から、追浜駅で新しいマニフェストを配りました。 徹夜で質問原稿をしあげて臨んだ本会議を終えたばかりで、 体力的には厳しかったのですが、人手が足りないのでがんばらなければ! ところで今日は、雄人(吉田雄人市議会議員)に 某テレビ局(全国ネットです)が1日密着取材で付いていました。 小泉元首相をはじめ、 県議会議員や横須賀市議会議員が30人以上も支援する しがらみだらけの現市長に対して 市民ボランティアのみなさんと勝手連だけで ひたすらマニフェストによる闘いを挑む若き無所属市議 という構図が、全国から注目されています。 今日はこのテレビ局が来てくれたのですが これまでもフジノは 某全国紙(あの新聞社とあの新聞社です)の本社政治部をはじめ 某インターネット新聞社(ってどこかはバレバレですね)から 「フジノさん、6月の中旬から必ず横須賀に取材に行きますよ! 横須賀が変わるということは、 日本の古い支配の仕組みが崩れるということですからね!」 という熱い言葉をいただいています。 一般的に選挙の報道というのは全ての候補予定者に対して 同じ行数の記事であったり 同じ秒数の映像であったり という紳士協定みたいなものがあります。 けれども、 親しいマスメディアの関係者の方々が 口をそろえて言うことは マスメディアの本音の部分での関心は 果たして市民のみなさまが選ぶのは 今までどおりの 「中央官僚を送り込んで支配される古き悪しき保守のまち横須賀」なのか それとも 「しがらみなしの若手による新しい横須賀」なのか という1点だそうです。そりゃそうですよね。 だって横須賀は「天領」(幕府が直轄で支配してきた土地)とさえ 呼ばれている保守のまちだと、全国的には考えられているのです。 それが本当にチェンジするのか、と全国が見つめています。 追浜駅ではたくさんの市民のみなさまが 雄人に語りかけてくれましたが、カメラがそれを撮影してくれてました。 フジノも少しだけ取材を受けました。 この掲示板の前って、象徴的な場所ですよね(笑) 追浜駅での活動ではいつも学生さんたちが応援してくれるのですが 今日もみんなで大声援を送ってくれました。 みんな、マニフェストを持っています。 そしてピースサインです。うれしいですね〜。 「がんばってください!」の声にエネルギーをもらいます。 ありがとう! 雄人も僕たちもみんな限界を超えてがんばってるよ! 最近では市民ボランティアのみなさまにも どんどんマイクでその想いを語っていただいているのですが ボランティアさん&勝手連で最もカッコいい水沢さん(フジノ超推薦)も マイクで話しているあいだ、カメラで撮影されていました。 やっぱり「絵的」に決まってますからね〜。 こうして、新しいマニフェストの配布が終わりました。 A4サイズで15ページもあるので 毎回の配布で何部くらい市民のみなさまにお渡しできるのか まだ感触がつかめません。 実は、毎回準備して持ってきた部数を上回ってしまい、 急いで事務所に追加分を取りに戻る、ということを繰り返しています。 (じゃあ、毎回多めに持ってくれば良いかというと 多くしすぎると重くて重くて、手作業の僕たちにはムリなのです) これはうれしい悲鳴ですね。 「勝手連をやってみたいなあ」「ボランティア、挑戦してみたい」 と、ひそかに思っているあなた、 ぜひとも勇気を出して一緒に活動してみませんか? これからもマスメディアの取材がどしどし来ますから、 あなたもテレビに映るかもしれませんよ(笑) こうして、街頭演説&マニフェスト配りが終わると 雄人はすぐにミニ集会へとバイクで向かって行きました。 そうだ、「雄人と語りあいたいので来てほしい!」という ミニ集会を希望する方々もどんどん募集しています。 集まっていただく人数も10人なんて大規模じゃなくていいんです。 数名くらいでも、当然、雄人はかけつけていきます。 ご指名があれば、フジノも付いていきます(笑) 勝手連&ボランティアに挑戦したい方も ミニ集会に来てほしいという方も ぜひこちらからご連絡くださいませ。 |
2009年6月9日(火)のフジノその1 |
● フジノから市長への最後の一般質問でした 今日は本会議でした。 フジノは6年間1度も欠かしたことが無いのですが 市議会定例会において必ず市長に対して質疑を行なってきました。 (これは43人の市議会議員のうち、フジノただ1人きりです) 今回は、蒲谷市政1期目4年間の 最後の本会議です。 その最後の本会議で5人の質問者が立ったのですが フジノはくじびきとはいえ、最後の5番目となりました。 つまり、蒲谷市長に対する最後の質問者です。 彼が市長選挙で落選してしまえば、 まさに本当の意味でフジノが最後の質問者となります。 基本的にフジノは、今の勝手連という立場はからめずに いつもどおりの姿勢で蒲谷市長に対して一般質問を行ないました。 (質問の1回目の全文をこちらに掲載しましたので、ご覧下さい) 残念なことに今回の質疑においても(最後なのに!) 蒲谷市長とはディベートにさえなりませんでした。 市長からは(フジノだけでなくどの質問者に対しても) 答弁のはじめに、「では回答します」との言葉しかありません。 フジノはいつもどおり市長の答弁に対して 「市長、ご答弁ありがとうございました」と述べるのですが 今日はそれに加えて 「こうした言葉はディベートの基本ですから、ということを あえて申し上げておきたいと思います」 と、ひと言あえて申し添えました。 もちろんフジノが念頭にあったのは、4月22日に 雄人(吉田雄人議員)が発表した 議会対応マニフェストの一節です。 (「ご質問ありがとうございます」の 当たり前の一言を答弁に必ず盛り込みます) フジノもジョークっぽくその点については述べましたし 本会議場からは、笑いが起こりました。 しかし、肝心な質疑の本題についての答弁が 2回目、3回目と繰り返される中で あまりにも「どうしようもない答弁」を蒲谷市長が繰り返すので ついに3回目の再質問でフジノはブチ切れて 声を荒げてしまいました。 「ひとり親家庭」へのサポートに対する質疑についてです。 蒲谷市政の4年間に対する自己評価への答弁は 延々とひたすらに答弁を長く語り続けるくせに (フジノは「沢田前市長=電子入札のように1つでいい」と 述べたにも関わらず、蒲谷市長は「しぼりきれない」と延々と答弁しました) ひとり親家庭に対する支援に対しては 4年間、市長が全く何もしてこなかったことに対する怒りが 爆発してしまいました。 最後の最後まで蒲谷市長という方は しょせんは「官僚出身の市長」、しかも「三流の官僚」でした。 フジノは国のキャリア(官僚)の方々とやりとりすることも多々ありますが 立派な素晴らしい方もたくさんいらっしゃいます。 蒲谷市長がたとえ官僚出身であるとしても そんな立派なキャリアの方々と一緒にするのは間違っています。 蒲谷市長は地方自治体のリーダーとしても失格、 41万人市民の代表としても失格、 二元代表性の意義も理解していない、 市議会に対する敬意も持っていない、 こんな方を4年間も市長としていたこのまちが 4年間にわたって停滞しまくっていたのも当然です。 しっかり仕事をする期間が4年間もあったのに何も活動せずに 選挙の直前になった今ごろ急にいくつもの成果を打ち出し始めました。 こんなことは全て、4年間の任期のうちの 「最初の1年」で「やればできたことばかり」です。 本当に情けない。 こんな人を再びわがまちがリーダーとして選ぶようなことがあれば、 このまちに明るい未来は決してやってこない と、強く感じた本会議でのやりとりでした。 明日以降になれば、市議会ホームページから インターネット録画中継が観られるようになりますから ぜひフジノが怒りまくった市長とのやりとりを 直接にあなた自身の目でご覧下さいませ。 |
2009年6月8日(月)のフジノ |
● 明日、フジノは市長と質疑をします!/5番目に登壇します 明日から6月議会がスタートします。 メインの議案(市長から提出された提案のことですね)は 第2次緊急経済対策の補正予算です。 しかし、この時期に提案されたものを 『緊急対策』と呼べるとは考えられないなあ...。 まちを歩いていて倒産した企業の話を 市民の方々からこれでもかというほどに聴かされるにつけても 第1次の緊急対策も補正を打つのが遅かったし、 緊急対策というならもっと早く出すべきだったではないだろうか。 さて...。 フジノは明日、市長に質疑をします。 5人の質問者のうち、順番はフジノが最後で5番目です。 つまり、蒲谷市長の任期1期目4年間の 最後の質問者がフジノとなる訳です。 質問の順番というのは、 議会運営委員会のくじ引きで決まるのですが 蒲谷市長との宿命を感じます。 フジノが行なう質問内容は先日お知らせしたとおりで、 大きく4つの質問をします。 1.何故、蒲谷市長は北朝鮮の核実験に抗議しなかったのか? 2.子宮頸がんの検診を20才以上の誰もが受診しやすい仕組みづくり 3.ひとり親家庭の支援策をしっかりと実現すべき 4.蒲谷市政4年間について です。 ● 事務所に掲示板がつきました 前の事務所(2階部分にありました)の時には 窓ガラスから外に向けて、 いろいろなお知らせチラシやポスターを貼っていました。 (例.日本自殺予防学会の開催、『こころの元気プラス』の紹介...) 新しい事務所に引っ越しをしてから 玄関の脇にけっこう広いスペースがあるので 「ここにしっかりとした掲示板をつけよう!」 と、ずっと考えていました。 でも、フジノ自身のアイディアでは なかなか雨風をしのげる掲示板を壁に付けることが うまくできませんでした。 そこに、はるかぜ書店のスタッフの方(掲示板のアイディア)と RRROOMのスタッフの方(電動ドライバーを貸していただきました)の ご協力をいただいて ついに掲示板が完成しました! 今は、 1.6月議会の開催日程のポスター 2.8月のリカバリーフォーラムのチラシ 3.新しくたちあがったセルフヘルプグループ 『よこすかひとり親サポーターズひまわり』のチラシ が貼りだしてあります。 今までの経験から、NPOや福祉カンケーのイベントなどで なかなか良いお知らせなのに 市の行政の掲示板にはまず貼らせてもらえませんでした。 だったら、自分が宣伝できる限り、 あらゆる手段で広報していけばいい、と ずっと考えてきました。 その第1弾です。 市民のみなさまも告知したいチラシなどがありましたら (もちろん公益的なものに限りますけれど) ぜひ持ってきて下さいね。 |
2009年6月7日(日)のフジノ |
● リーダーの孤独/本物の政治家は孤独に耐えなければならない 政治家は、孤独です。 正確に言うならば、『リーダー』である政治家は孤独です。 どれだけたくさんの市民ボランティアの方々が 一緒にマニフェストを配ってくれていても そのマニフェストに書かれた政策に対して 全ての責任を負うのは、リーダーであるその政治家1人きりだけです。 たくさんのボランティアの方々に囲まれていても 演説をしているその瞬間、 語りかけているリーダーは1人きりなのです。 数千億円もの借金づけにさせられた このまちの厳しい財政に直面しながらも その財政危機を克服するための道筋を必死に考えて こどもたちの未来への希望を語るリーダーは、ただ1人きりなのです。 どれだけのアドバイザーがいてくれても 最後に決断するのは、リーダー1人きりなのです。 全ての責任をその両肩に背負って あらゆる困難に直面しながらも、笑顔で希望を語り続けていく。 それはとても孤独な作業です。 例えば、「人前で演説してる時に全く緊張していないように見える」と よく言われるフジノであっても 5日の吉田雄人総決起集会でのフジノの応援演説の前には こんな風でした。水を飲みながら精神統一をしているところですね。 (ちょうどAさんに写真を撮られていました)。 祈るべき神も持たない僕たちは、 ただ現実を変えていく為に自分の信念を唯一のよりどころにして 前へと歩みを進めていくのです。 リーダーであることは、実はとても孤独です。 もちろん政治家という職業についてはいても リーダーにふさわしくない人間はたくさんいます。 だから、政治家=リーダーではありません。 また、リーダーであることの孤独と、 単なる仲間がついてこない『孤独なリーダー』とは全く別の話です。 それはリーダーシップに欠けるニセモノのリーダーです。 フジノが今、語っているのは『本物のリーダー』は たくさんの人々に支えられているので、表面上は孤独ではありません。 けれども、最後の最後は1人きりで決断をする、という意味において リーダーは孤独なのです。 --------------------------------------------- 雄人(吉田雄人市議会議員)は リーダーになるべき人間だとフジノは感じています。 逆説的ですが、総決起集会のバックステージで フジノは雄人の姿に『リーダーの孤独』を感じました。 勝手連としてフジノは雄人の表情を この2ヶ月間、間近で見てきて (より正確に言えば、彼は高校時代の後輩ですから 17年前から僕は彼の横顔を見てきました) 最近、彼の顔つきがぐっと引き締まって リーダーとしてふさわしい表情になってきたのを感じます。 もちろん、ふだんの彼は気さくな人間で いつもジョークを飛ばしながら、まわりの人々を笑わせています。 そんな彼のまわりにはいつもたくさんの人たちがいて 楽しく笑いながら過ごしていることが多いです。 けれども、ふだんの彼と、 リーダーであることを求められる瞬間の彼とは、全く別なのです。 それは、きっとこれを読んでいるあなたも すでに感じているはずです。 例えば、彼は開場前のリハーサルは 笑顔でこなしていました。 時に、ジョークもこぼれていました。 けれども、開場してお客さまが続々と入場してきて 本番がついにスタートして バックステージで ただ1人きりになった彼は表情が変わります。 リーダーとしての表情になるのです。 そこに漂うのは、『リーダーとしての孤独』です。 これから600人もの市民のみなさまを前にして 彼は『希望』を語らなければならないのです。 人々が未来に変化が起こると信じられるようになるのは 彼の言葉によってのみなのです。 彼は、その言葉を紡ぎださねばならないのです。 誰も彼の代わりになることはできません。 それは彼のすぐそばに居て 最も近い立場にいるフジノでさえも、不可能です。 1才違いの高校・大学の先輩後輩として 似たようなキャリアをたどってきて 6年間、同僚議員として仕事をしてきて その重責や孤独を同じ政治家として 他の人々よりは深く理解することはできても 決して彼と同じ立場になることはできないのです。 誰も彼のかわりになることはできないのです。 バックステージでフジノにできることは 笑顔で言葉を交わして じゃっかんの緊張をほぐしてあげることぐらいです。 リーダーが持つ本質的な孤独は 誰にもぬぐうことはできない宿命的なものなのです。 それは、家族でさえも不可能です。 彼は善き父であり、善き夫であり、愛に満ちた家族がありますが 今この瞬間の彼には、家族という強い支えは彼にパワーを与えはすれども 彼の孤独を埋めることはできません。 何故ならば、彼は今、家族を支える父であるだけではなく、 42万人もの市民のみなさまを支えるリーダーだからです。 けれども、その孤独に耐えてこそ、本物のリーダーなのです。 彼にはそれができます。 41万人のまちのリーダーとしての重責を 彼はしっかりと受け止めることができます。 彼は1人きりで全ての重圧を受け止めて、 決して負けることなく前へと進んでいくでしょう。 そして、華やかなステージに立つ時には そんなリーダーの孤独を一瞬も感じさせることなく 市民のみなさまがこのまちに希望を感じられるようなまちへと 彼の言葉が人々のこころにしみわたっていくように 笑顔で彼は語りはじめるのです。 政治家としてフジノは彼の間近にいて、 リーダーとして彼はまさにふさわしい顔つきになってきたことを感じます。 僕は、吉田雄人という存在と、 同じ時代に生きることができたことにうれしく感じます。 彼は必ずこのまちに希望をもたらす 新しいリーダーになるはずです。 僕たちにできることは、そのリーダーを支えていくこと。 リーダーの決断が鈍らないように、常に声をあげていくこと。 リーダーの肩書きを外したプライベートの瞬間には、 1人の仲間としてお酒を酌み交わしたり、くだらないジョークに笑いあうこと。 がんばれ、吉田雄人。 がんばれ、新しきリーダー。 |