まちの政治家は、こんなことしてます


2012年1月31日(月)のフジノその1
● 『対話』なき『対話の広場』が終わりました

 昨日行われた、『緊急開催!黒岩知事との対話の広場』の様子が
 新聞各紙によって報じられました。

(2012年1月31日・神奈川新聞より)

 フジノにとって、昨夜は『対話』なき『対話の広場』でした。

(2012年1月31日・東京新聞より)

 (2012年1月31日・毎日新聞より)
 (2012年1月31日・朝日新聞より)


 昨日の様子をご覧になっておられない方々は
 ぜひこちらのUSTREAM録画中継をご覧ください。

 (神奈川県の広報が作成したUSTREAMです)




2012年1月29日(日)のフジノ
● 細野大臣のコメント「賛成が多いのに声があがってこないのが実態」

 神奈川新聞の記事によると、細野大臣は『がれき広域処理問題』について
 次のようにコメントしたそうです。

 「賛成が多いのに声があがってこないのが実態。
  深刻さを理解してもらえば(被災地以外から)受け入れようという声も
  出てくるのではないか」


 (2012年1月29日・神奈川新聞より)


 『がれき受入れ』に賛成の声があがってこないのは、
 『あがってこない(=反対)』ということが『実態』なのです。

 細野大臣の受け止め方はおかしいです。

 バグフィルターで99%の放射性物質を除去できるとか
 環境省が科学的根拠なしに言い続けていますが

 一方で、市民の側は一生懸命に勉強会を重ねて、
 どんどん知識を深めて
いっています。


 (2012年1月29日・神奈川新聞より)


 政府や県が訴えてきたことが「根拠の無いものだ」と
 すでに市民の側はハッキリと気づいています。

 こうした市民の側の取り組みに対して
 国も県も全く追いついていっていません。とても不誠実だと感じます。

 ますます国や県の主張への不信感が強まるだけです。

 細野大臣は、24日の「費用は国が持つ」発言に続いて
 市民の想いに寄り添う姿勢が全く見られません。

 もっと市民の生の声に耳を傾けて
 本当にやるべきことは何かを考えてほしいです。



2012年1月27日(金)のフジノその2
● 大切な人を自死で亡くすということ

 1月5日にお知らせしたとおりですが
 3月に都内で開かれるシンポジウムにフジノも出演します。

 発表の記者会見も無事に終わったとのことなので
 告知をさせていただきます。

 『大切な人を自死で亡くすということ』

 3月17日(土)14:00〜16:00
 早稲田奉仕園リバティホール


 (チラシより)

 画像では文字が読みづらいと思いますので
 詳しくはこちらをご覧ください。

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 シンポジウムの行われる3月といえば、
 『自殺対策強化月間』です。

 あの情けない『GKB47』というキャッチフレーズ
 なんとか取りやめさせることができていることを願います。



2012年1月27日(金)のフジノその1
● 県知事と同じ/市長は「密室協議」を支持するコメント

 自分のまちの話であるにも関わらず
 がれき受け入れ問題について
 ほとんどコメントしてこなかった吉田市長。

 昨日、定例の市長記者会見の中で
 がれき受け入れ問題について記者から問われて
 それがけさの東京新聞と神奈川新聞で報じられました。

 ようやく市長の姿勢が見えてきました。
 それは、黒岩県知事を後押しする吉田市長の姿です。

 (2012年1月27日・東京新聞より)



 黒岩知事が『対話の広場』を2回で打ち切って
 芦名の町内会だけを対象にした『直接交渉』に乗り出す方針
 記者会見で述べましたが

 その県知事の意向と全く同じことを
 吉田市長はコメントしています。

 「地元住民は、もう少しゆっくり落ち着いた場所で
  説明を聞きたいと望んでいる。

  それは私からも知事に伝えたい」

 つまり、黒岩知事が打ち出した
 『個別』の『直接交渉』へと切り替える方針を
 吉田市長も進めたい、ということです。

 フジノは汚染がれき問題について
 毎日市民のみなさまから実際にお話をうかがっていますが

 「もう少しゆっくり落ち着いた場所で説明を聞きたい」

 なんて言っている人に
 出会ったことはありません。

 むしろ、ほとんどの方々が

 「かつて神奈川県は町内会役員を飲食で接待して
  切り崩していった過去がある。今回もそのやり方をするのか!?」

 「芦名だけの問題じゃない。神奈川県全体、日本全体の問題なのに
  県知事はわざと芦名の住民だけの問題だとすりかえている」

 という声です。

 それにもかかわらず、
 こんなことを言うのは、要するに、
 吉田市長はがれき受け入れに賛成なのでしょうか?


 (2012年1月26日・神奈川新聞より)

 「県の権限で事務が進められるもので、
  市として賛否を明確にすべきものではない」

 と一方で県と市との『所管事項論』を持ち出して
 イエスでもノーでもないというコメントしておきながら、

 もう一方では、『個別』の『直接交渉』を県知事に進言する。
 完全な二枚舌です。

 記者会見の報道を読む限りでは
 吉田市長は、事実上、県知事を後押しするコメントをしています。

 記者クラブの方々によって
 吉田市長の姿勢が
 ようやく明らかになってきました。



2012年1月26日(木)のフジノその4
● 津田大介さんとソーシャルメディアとフジノ

 (前回より続いています)

 全てが終わった後、企画・運営にあたった方が誘って下さり、
 みなさんと一緒に打ち上げに参加しました。

 打ち上げ会場は、横浜市立大学を出て
 金沢八景駅から追浜方面に数百メートル歩いた所だったのですが

 そこに行くまでの景色は
 かつて追浜に暮らしていたフジノにとってすごく懐かしかったです。



 『ツイッターの伝道師』とか『ソーシャルメディアの寵児』と呼ばれて
 今では社会的に絶大な影響力を持つ津田さん。

 ソーシャルメディアでの影響力を示す『kloutスコア』でも
 損正義ソフトバンク社長を抜いて日本人トップになったこともあります。

 そんな津田さんですが、奢り高ぶるところは全く無くて
 ものすごく気さくに学生たちの質問にも
 どんどん答えてくれていました。

 本当にすごい方だと思います。



 フジノもいろいろ意見交換をさせていただきました。

 特に、3月11日の震災発生から現在に至るまでの
 フジノがソーシャルメディアを使わなければできなかった取り組みなども
 津田さんにお話しさせていただきました。

 特に津田さんが感心してくれた
 2つのエピソードはこれです。



 (1)被災直後で衛星電話でもやりとりが難しかった塩釜とのやりとり


 3月15日夜に親しい先輩から連絡を受けて

 「塩釜港を復旧に向かう船があさって出る。

  その船に4トン分の空きスペースがあるから
  支援物資を持っていきたい。

  塩釜の方が今本当に必要としている物は
  何か尋ねてくれないか」

 と言われました。

 当時は、現地とは電話もほとんどつながらず、
 衛星電話も基数が少ない為にやりとりができませんでした。

 そこでフジノがツイッターで呼びかけたところ、
 たくさんの方々がRTで拡散してくれました。

 そして、ついに明け方になって

 塩釜の災害対策本部の建物の中にいる方と
 つながることができたのでした。

 こうして現地のニーズを直接うかがうことができて
 なおかつその物資を実際に送ることができたのです。

 (詳しくはこちら


 (2)給食一食丸ごとセシウム検査の視察を文部科学副大臣に直訴

 全国に先駆けて『給食一食丸ごとセシウム検査』をスタートした
 横須賀市の現状と抱えている問題について知ってほしくて

 フジノは森ゆうこ文部科学副大臣に
 「視察に訪れて下さい」とツイッターで呼びかけました。

 森ゆうこ副大臣は即断即決してくれて
 ツイッターで返事をくれました。

 それから1週間後には文部科学省からフジノに連絡があり、
 さらに数日後には、実際に文部科学副大臣が
 横須賀を訪れてくれたのでした。

 (詳しくはこちら




 最後に、津田さんの新著『情報の呼吸法』を読んでいて
 フジノが「いいね」と感じた4つのフレーズをご紹介します。

 「社会にはいまだに
  異質なものを排除する動きはあると思いますが

  とがった人がとがり続けていても、
  かえってソーシャルメディアで輝くという多様性は
  生まれた
と思います」

 「たとえ対面することが苦手でも
  情報の提供力や自分のプライバシーを切り売りして話題を提供するなど
  普段の日常生活で必要とされるコミュニケーション能力の代わりに
  何か突出したものを持っていればいい
んです」

 「ソーシャルメディア上では真正直に、愚直に行動することが
  分かりやすく可視化されます


 「ソーシャルメディアを通じて
  専門分野を持っている人たちとダイレクトにつながることもできる。

  そういうものを見て、「あ、この人の言うことは納得できる」という人に
  断られてもいいから訊いてみることです」


 全く同感です。

 ソーシャルメディアの普及によって
 新しい希望が見えてきていることをフジノは感じています。



 津田さん、今日は本当におつかれさまでした。

 いろいろな形で自分の取り組みを振り返ることができた
 とても貴重な機会になりました。

 そして、えいみーをはじめ、今日の企画・運営に携わって下さった
 全てのみなさまに感謝しています。

 ありがとうございました!



2012年1月26日(木)のフジノその2
● 津田大介さん講演会@横浜市立大学へ

 今日は、お昼から京浜急行金沢八景駅前にある
 横浜市立大学(略称・浜大)へ行きました。

 横須賀のすぐお隣にあるのに
 浜大のキャンパスに入ったのは初めてでした。

 津田大介さん(メディア・アクティビスト)による
 講演会に参加する為です。

 かねてからツイッター上ではずっと接点があるのに
 実際にはお会いしたことが無いという方々が何人かいるのですが

 そのうちの1人である横浜市立大学の学生さんからお招きいただき
 喜んで参加させていただきました。

 こどもたちの為の24時間365日かけこめる居場所的空間である
 『Kakekomi Cafe(カケコミカフェ)』を運営している
 えいみーさんです。

 えいみーさん、ありがとうございます。

 (画像:横浜市立大学の校門にて)



 今日のプログラムは下のとおりです。

 【第1部:津田大介さん講演会

 テーマ:
 ・震災直後と今のSNSの役割の違い
 ・今の社会問題とSNSの展望と課題

 【第2部:パネルディスカッション】

 津田さんと社会人・横浜市立大学生で
 パネルディスカッションを行います。

 テーマ:
 ・SNSでの運動の限界
 ・日本においてSNSでの革命は可能か?

 1973年生まれで1993年に早稲田大学入学という津田さんですが
 フジノもまさに同じ年に同じ大学に入学しています。

 つまり、同じ時代の空気の中で生きてきた
 『僕たちの世代』の1人なのですね。

 フジノが大学1年の時の『コンピュータ』の授業で出された
 最初の宿題にとても苦労したので今も憶えているのですが

 「1分間に●文字以上タッチタイピングできるようにする」
 というのが課題でした。

 今でこそタッチタイピングなんて小学生でもできる子は多いですが
 かつては大学で初めてPCに触わるような時代だったのです。

 すでに『インターネット』はスタートしていましたが
 むしろまだ『パソコン通信』が全盛でした。

 モニターはもう緑色の文字では無かったはずですが
 画像よりも文字ばかりの画面(今でいうところの掲示板)で
 情報をやりとりしていた頃です。

 ソーシャルメディア時代の夜明け前を
 まさに同じように体験してきたのだろうなあと思います。

 あの頃は、新しい可能性が生まれつつあることを感じてはいたものの
 現在のようなソーシャルメディア時代への突入は
 まだ全く想像できませんでした。

 (画像:津田さんの講義を聴き逃すまいとする200人の聴衆)


 今、津田さんは
 早稲田大学大学院・政治学研究科ジャーナリズムコース
 『webジャーナリズムの現在』という講義を担当していたり

 エンタメ系ニュースサイト『ナタリー』の非常勤取締役を勤めるなど
 多彩な取り組みをされていますが

 世間的には津田さんと言えば『ジャーナリスト』として
 知られていると思いますが

 『メディア・アクティビスト』という肩書きこそ
 最もふさわしいはず、とフジノは感じています。

 単にジャーナリストとして活動をしてきたというよりは、
 『発信するツールそのものを開拓してきた方』なのです。

 例えば、よく知られているのが『tsudaる』です。

 今、フジノがあらゆる場所に行って
 そこでの様子をリアルタイムで実況ツイートをすると

 「その場にいなくても様子や雰囲気が分かる」と
 たくさんの方が喜んで下さいます。

 このリアルタイム実況ツイートをすることを
 世間では『tsudaる』と正式に呼んでいます。

 いろいろな審議会やシンポジウムなどの内容や発言を
 ツイッターでリアルタイムに実況することを
 この取り組みの先駆者である
 津田さんの名前を取って名付けられているのですね。

 こうした発信するツールや手法そのものを
 津田さんは生み出しながら発信を続けてきた訳です。

 だから、『ジャーナリスト』という範疇を超えて
 『メディア・アクティビスト』なのだと思うのです。

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 今日の講演は、

 『リアルタイムメディアが動かす社会
   〜市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平』
   (東京書籍、2011年9月)

 に書かれていることと同じ中身でしたので
 内容は知っていることばかりでした。

 けれども、津田さんの生の声で
 本に記されているよりもっと詳しくお話をうかがって
 本を読んだ時よりも
 一気に理解が進みました。

 そして、『開拓者』としての津田さんに
 フジノはとても感動しました。


 (その2へ続く)

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