フジノの最後の質問 | |
では、市長の質問にお答えいたします。 「なぜ有権者の欄をつくったのか」、 市長がそのように質問されたので答えたいと思います。 有権者欄を設けた理由は、 有権者であることを明らかにすることで、 むしろ未成年を際立てることを目的としたものです。 未成年の関心の高さを知りたかったからです。 では、本来の質問に戻ります。 「議論の出発点が違う」と市長はおっしゃいますが、 今回の議論のスタートは 市長の『自治体経営』についての考え方を もとにしています。 それを議論の出発点が違うと言い切ってしまうことに、 僕は大きな疑問を感じます。 順番はばらばらになりますが、 まず市長は 横山・前市長時代に行われた『市民と語る会』について、 「だれと会ったか知らないが」とおっしゃいましたが、 助役である方(かつての沢田市長)が 「市長がだれと会ったか知らない」と、 そう皮肉まじりにおっしゃいますけれども、 現在でも市民が市長を求める、生の声を求める、 そういう声は非常に強くあります。 やはりその市長が 市民が求めている在り方にこたえられないのであるならば、 それは経営者として 失格ではないかと思います。 ぜひこういう場を設けていただきたいと強く求めます。 市長は「非常にたくさんの行事で市民に語りかけている」、 そうおっしゃいましたけれども、 市長は『大霞会会報』2003年144号で こう述べていらっしゃいます。 「市長になって驚いたのは、 あいさつをする機会が多いことである」と。 「あいさつの連続で1日が終わることも珍しくない」と。 けれども、 あくまでもこういう会合のあいさつは あいさつでしかありません。 市民が求めているのは、 行事に来賓として呼ばれて 義務的にする市長あいさつではありません。 僕が市民の声として申し上げたのは、 市長自身の 『このまちの未来像』を、 『組織経営の理念』を、 『地域経営への想い』を ご自分の言葉で このまちの人々に直接に語ってほしいという想いです。 残念ながら、 それが市長には全く通じていないようなので、 非常に残念に感じます。 市の職員の方とも 年間1万人ですか、 会議を通じて語っていらっしゃるということだったですけれども、 ただ私がある職員の方から聞いたお話は、 あるプロジェクトが決まる。 それを神奈川新聞を読んで 初めて職員さんが知ると。 そういうことが日常的にあると。 そういうふうに一般の職員さんは言っておりました。 つまり情報がおりてこないということです。 これは定期的に職員と語る会があったならば、 こういうことは起こらなかったはずなのです。 改めてその必要性について、 ぜひつくるべきではないかという、 この提案についてお答え願いたいと思います。 以上で私の質問を終わりにします。 ありがとうございました。 |
フジノの最後の質問に対して
市長の答えはいかに!?
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