2007年3月議会 本会議(3月26日)、議案への反対討論 | |
議 案 1 9 ・ 2 0 ・ 5 0 号 に 反 対 の 立 場 か ら の 討 論 |
藤野英明です。 議案19号「一般会計予算」、20号「国民健康保険予算」 50号「国民健康保険条例中改正について」に対して 反対する立場から、一括して討論を行います。 来年度予算案を蒲谷市長が提出した時、 何てすごいのだと感じたものです。 「選択と集中」を基本方針として 市のあらゆる事業に見直しをかけて、 徹底的に歳出をカットして、 財政赤字を立て直そうとしている決意を感じました。 しかし、その中身を見ていくと この「選択と集中」の「マイナスの影響」が見えてきました。 市長への質疑でも述べた 「選択と集中」の「負の側面」が激しく多かったのです。 この予算案を通せば、市民の方々の暮らしは 特に、弱い立場・苦しい立場・ 困っていてもその痛みの声をあげることができない立場の方ほど いのちと暮らしの危機に直面することになるでしょう。 そんなたくさんの「負の側面」の中から、 あえて2つに絞って、例を挙げたいと思います。 まず、精神障がいのある方々の 通院医療費への補助が全額カットされてしまうという 国民健康保険予算案と条例改正についてです。 日本中の大反対を受けながらも 成立した欠点だらけの 障害者自立支援法が昨年4月スタートしました。 激しい財政赤字を抱える政府が 障がいのある方とそのご家族に痛みを押し付けた 福祉予算の切り捨ての為という理念も何も無い法律です。 特にその大きなあおりを受けたのが 精神障がいのある方々です。 これまでも精神障がいのある方々は 知的障がい・身体障がいとは異なって 必要な制度も立ち遅れ、予算も少なく、 追いやられた状態でした。 そんな中で、唯一まともで救いのある制度だったのが 重い精神障がいのある方々が病院に通う為の費用は、 行政が補助を出す、というものでした。 日本の精神医療は入院中心型で、 地域で暮らすのが当たり前の欧米に比べて 30年以上も遅れています。 その為にも、地域でふつうに暮らしていく上で 入院への補助ではなくて 通う費用に補助を出すという制度は大切だったのです。 議場にいらっしゃる議員のみなさんと、 市長をはじめとする行政側のみなさんは どういう方々がこの制度に助けられていたかご存知でしょうか。 精神障がいがあるとはいえ、みんなふつうの方々です。 あなたのご家族やご近所にもふつうに暮らしているはず。 例えば、ある27才の女性は統合失調症にかかっています。 かつての名前では精神分裂病といいます。 17才まではみなさんと同じように小中高校と過ごしてきました。 それがある日突然に、 頭の中で声が聞こえるようになりました。 一体何が起こったのか分からないその女性は はじめは誰にも話すことができませんでした。 何とか高校は卒業することはできたものの、 大学受験には失敗、専門学校に入ったけれども 頭の中から聴こえる声のせいで うまく友達づきあいができませんでした。 アルバイトもできません。 同窓会にも行けません。 友達も誰もいなくなり、 ようやく家族が彼女の変化に気づきました。 メンタルクリニックに連れて行かれたのは、 発病から3年も過ぎていたハタチの時です。 病院からは抗精神病薬と抗うつ剤と睡眠薬を出され、 1回病院に行くと、診察代とクスリ代だけで 5000円以上になりました。 精神病への理解がまだ浅いお母さんには どうしても彼女がなまけているようにしか見えず 冷たく接してしまいます。 ドクターに「月に2回は来なさい」と言われたものの、 働けない彼女には病院代を 毎回お母さんからもらうのもつらくて 病院から足が遠のきがちになっていきました。 精神科医療は、続けて通うことが絶対必要です。 せっかくクスリをのんで症状がおさまっても 中断してしまえばまた症状が出たり、 もっとひどくなることがあります。 彼女は通院を中断しがちな為に 症状が良くなることはなく、 頭の中の声に苦しめられる日々が続きました。 まわりのハタチは楽しそうに短大や大学に通ったり 会社に入って働き始めています。 ブランド物のかばんも持っているし 洋服もきれいな服を着ている。 どちらも今の自分には遠い世界のもの。 自分だってみんなと同じだったはずなのに。 病院に通うお金も無い自分でも みんなと同じように 少しでもいいから働いてお金を稼ぎたくて いろいろなアルバイトに挑戦するものの 毎日は通うことができなくて、 何十もの仕事をクビになりました。 最終的に、夜の水商売であれば 数時間の仕事で、わりあい高いお給料がもらえる、 不定期に休んでしまっても何とかなる、 ということで、週1〜2回水商売をするようになりました。 そうして病院代をつくりました。 職場には、自分と同じように精神障がいのある 女性がたくさん働いていました。 仕事に行かない日には、 部屋の中でゆううつな気持ちになりながら 音楽を聴いたりテレビを見て時間を潰して 何とかやり過ごしていくことで 精一杯です。 自尊心を失い、リストカットを何度もしました。 最初のうちは心配してくれていたお母さんも 今では自分のせいですっかり疲れきっている。 お父さんは仕事ばかりで 最初から自分のことに目も向けてくれない。 クスリの副作用にも苦しみ、 急激に体重が増えたり、逆にげっそりやせたり、 ノドが乾いてたまらなく、 毎日3リットルも水を飲んでしまったり 手足がふるえる、顔がひきつることがありました。 そんな毎日を送っている自分に悲観して 自殺したいと思うこともしばしばでした。 そんなある日、同じ病気の友達のすすめもあって 彼女は思い切って別の病院に変えてみました。 そこで出会ったドクターとは相性が合ったのか 新しいクスリを飲むようになり 幻聴が収まり始めて 性格も少しだけ前向きになりました。 対人関係が全くうまく持てなかったのが やっと少し他人と話せるようになり、 ドクターに「デイケアに来てみないか」と言われました。 デイケアとは、週に数日間、 カンタンな作業やレクレーションを行なうことで コミュニケーションを再学習したり とじこもりがちな精神障がいのある方々の 昼間の居場所として、とても有効なものなのです。 また、ご家族にとっても、 1日中ずっと一緒に過ごしつづけていては ご家族自身の気持ちも体も参ってしまいます。 ご家族の休養、つまりレスパイトケアの為にも デイケアは有効なのです。 加えて、ドクターとの話し合いの中で 「前の病院を続けられなかった理由は 家計が苦しい中で 働いていない自分が 医療費を毎回親に出してもらうことが こころ苦しくて通院を途中でやめてしまった」 ということを話しました。 するとドクターは 診察代やデイケアに通う医療費とクスリ代は 行政から補助が出る制度があることを教えてくれました。 こうして、働くことができない為に収入が無くて 親への申し訳なさから病院に通い続けられなかった彼女は この補助制度のおかげで救われました。 今では27才になって、 夜の水商売もやめて、 病院とデイケアと作業所に通いながら 時に再発に苦しみながらも毎日を送っているのです。 こんな方が医療費の補助を受けて 何とか地域での暮らしを送ることができてきたのです。 つまり、『生活の切り札』だったのです。 こんな大切な制度を 障害者自立支援法の成立によって、国がやめました。 それでも横須賀市は1年半、 国が補助を打ち切っても 市単独で、国民健康保険加入者には この補助を継続してきました。 この決定がなされた時に僕は 市内のあらゆる作業所やメンタルクリニックに伝えて回りました。 全国の集まりでも胸をはって報告しました。 市民の方々は本当に喜んでくれて、 全国のみなさんは、 「横須賀市に負けないようにがんばって活動をして 補助を継続してもらおう」 と奮起しました。 その素晴らしい市単独の制度を、今回の予算はうちきるのです。 打ち切る必然性を蒲谷市長に何回も 予算議会で質疑をしました。 しかし、納得のいく答えは1つもありませんでした。 要するに、 制度をやめても反対の声さえあげられない弱いところから 福祉を切り捨てた、ということなのです。 僕は同時に市長に対して、 「財政が厳しい中での福祉の在り方」 について問いました。 障がいには4つの特性があります。 1.不可避性、 自らでは避けることができなかった 2.不可知性 本人があらかじめ知っていた訳では無かった 3.不可逆性 完全には元の状態には戻りにくい 4.普遍性 誰にでも障がいをもつ可能性がある つまり、個人のレベルではどうすることもできない この4つの特性があるからこそ 公的責任に基づく社会保障が必要になるのです。 こういう想いを持ちながら市長と福祉について 質疑をかわしましたが、 残念ながら 時間の都合もあって議論は深まりませんでした。 けれども、今回市長が行なう補助のカットは この障がいの特性を無視するもので 大きな問題をはらんでいます。 つまり、行政が障がいに対する社会保障を放棄することは 障がいがある理由さえも「自己責任」という 「障害自己責任論」へと切り替わるということなのです。 かたや自殺を無くす為に 全国にさきがけて自殺対策連絡協議会を設置しましたが 自殺に追い込まれる方々の8割以上は 死の直前には何らかの精神疾患を抱えていた というのが定説になっています。 それなのに精神科への通院医療費の補助をゼロにすれば、 精神科病院にまたも通いづらくなって 自殺してしまう人も増えるかもしれません。 先ほど挙げた彼女はまた病院に通えなくなるでしょう。 また病気の症状が再発して、生活が難しくなるでしょう。 時には入院しなくてはならないかもしれません。 彼女の地域での暮らしは 週1回の通院で守られていたのに 答弁を聞いても納得さえできない理由で 彼女の人生を壊してしまう権利が市長にあるのでしょうか。 もしもこの女性が自殺に追い込まれてしまった時、 本当に市長に責任は無いと言えるのでしょうか。 市長のやっていることは矛盾に満ちています。 命を守ろうとしているのか 守る気が無いのか、 僕から見る限り、 命を本気で守ろうとしているとは思えません。 したがって、この国民健康保険の予算と条例改正は 精神障がいと16年にわたって関わってきた個人としても 国家資格である精神保健福祉士としても 政治家としても どの立場からも僕は 絶対に賛成することができません。 そして、もう1つの例が 今年スタートする横須賀美術館の 約4億5000万円もの赤字です。 美術館問題は僕の政治家としての4年間をかけて 「福祉の為にハコモノを無くせ」と批判をしてきました。 オープンを目の前にした今 少しでも赤字を減らす為にいくつもの提言をしてきました。 しかし、オープニングイヤーとはいえ 当初見込んでいた3億円の赤字をさらに 来年度は1億5000万円も上回ります。 これだけ大きな赤字を生み出すにも関わらず 新しい美術館の館長は非常勤で月4回しか来ません。 名古屋に暮らしていて その往復の交通費も市が出してあげる。 本気で赤字を減らして経営を行なう気があるならば 館長は当然、毎日現場に立つ人間がやるべきです。 そんなのは どの企業だって当然のことです。 100周年記念で美術館をオープンすると言いながらも 本気でこのまちの文化を育成する気概は感じられません。 もしも美術館の赤字を埋める為に使われる 4億5000万円の税金のうち、 わずか3000万円さえあれば、 精神科の通院医療費補助は1年分まかなえるのです。 4億5000万円あれば、 あと15年間は補助が続けられるのです。 明らかに物事の優先順位が間違っています。 税金の使い方が間違っています。 こんな風に命を軽んじた予算には 絶対に賛成することはできません。 今日が政治家としての4年間の任期の 最後の議会の日となります。 けれども、 市長がこんな議案を出すならば、 市議会がこんな議案に賛成するならば 僕は何度でも何度でも この横須賀市議会に戻ってきて、反対をしつづけたい と思います。 たとえ市全体、市民全体を見渡して 財政再建を行なう為にカットすべき事業があるとしても それでも政治家の仕事は、 いのちと暮らしを守ることに尽きるはずです。 福祉と財政再建は必ず両立できるはずです。 けれどもこの予算案にはそれがありません。 どうか、あらゆる政党や会派の壁をこえて このまちに暮らす市民のみなさまの命と暮らしを守る為に 先輩議員・同僚議員のみなさまは、 これらの議案にどうか反対していただけますように こころからお願い申し上げます。 以上で、反対討論を終わります。 ありがとうございました。 |
フジノの反対討論もむなしく
議会の多数派によって可決されてしまいました。